affair.15
愛染明王…愛欲をつかさどる神。
そんな大きなものにはなれないけど
君だけの為なら何にでもなれる気がした
affair.15 only for you.
何で俺はこないな事してるんやろ。
別に俺にとってプラスになることなんやないのに。
電話帳の“名前”という名前を暫く眺めた後、発信ボタンを押した。
《もしもし?》
「何してた?」
《別に、何も》
「ちょお出て来られへん?」
《今から?》
「ん。」
《うん行く…》
電源ボタンを押して電話を切ると、家の中から足音が聞こえて玄関が開く。
目の前に居る俺を見た瞬間、顔を綻ばせるんや。
『ひかる…』
「うわ、素っぴんやん」
『す、素っぴんでも変わんないもん!』
「女って怖いなぁ」
『し、失礼な…』
「ククッ、嘘や嘘。素っぴんでも可愛えって」
『もう遅いもん…』
「何拗ねてんねん」
宥める様に頭をくしゃくしゃにしてやると『ひかるー!』って俺の手を払いのけようとするんやけど、全然嫌な顔はしてへんくて。
歳上やのに妹みたいで、俺に懐く笑顔が好きやから俺も一肌脱いでやろうって、思てしまうんや…
『ねぇ光…』
「ん?」
『寒い』
「は?」
『寒いったら寒い!冬の公園なんか駄目だって!しかも夜だよ夜!ファミレスかカフェか行こうよー!』
耐えれんないー死ぬー、って叫ぶ名前に溜息ひとつ。
別に呆れてるわけやなくて、下手に媚び売ってやせ我慢する奴より幾分可愛気があんねん。せやけどこれが謙也先輩とか部長やったら腸煮えくり返るんやろうけど…想像しただけでイラッとくるわ。
『何よ光ー、溜息なんか吐いたって光だって寒いの駄目じゃん』
「せやから場所移動するんやろ?」
『ひかるひかる、パフェ食べたーい』
「…ファミレス決定やな」
『何で?カフェがいいー!』
「高い。却下。俺今日金欠やもん」
『あー!またテニス用品買ったんでしょ?』
「バンド買っただけや」
『…3個買ったと見た』
「惜しいなー」
『じゃあ4個?』
「バンド3個とボールと雑誌」
『アタシもバンド欲しい』
「使わへんくせに」
『光がくれたら使うもん!』
「分かった分かった」
ファミレスへ行く道程で、どちらかともなく繋がれた手が暖かくて、同じ体温に中和されていく感覚が心地いい。
「もし、部長が居らんかったら…」
『え?』
「何でもない」
もし、なんか要らへん。
行き過ぎたシスコンやって思われたら十分や。それでええねん。
□
「…美味い?」
『うん!超美味しいっ!』
チョコレートソースがたっぷり掛かった見るからに甘ったるいパフェをパクパク食べる名前を前に、俺は本来聞きたかった話題を持ちかけた。
「なぁ名前、」
『うん?』
「ソレ、不味くなるかもしれへんけど聞きたい事あんねん」
『……うん』
「不二さんと、何で付き合うてるん?」
『……………』
“不二”の言葉に反応して俯く名前は、スプーンを置いて顔を上げた。
『光、アタシ間違ってないよ…』
「うん」
『でも、良く分かんない…』
「…………」
名前は躊躇いがちにゆっくり話を始めたんや――
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アタシが青学に居た頃、3年の時だった。
マネージャーをして皆と仲良くなって、皆が大好きだったの。『全国に向けて頑張ろう』ってアタシも一緒に仲間として見てくれる事が嬉しくって、正に学校の名前通り青春そのものを楽しんでた。だけど、
『名前』
優しく笑ってくれる周助が一際目立ってて、アタシが好きになるのは時間なんか掛からなくて。
周助の前でだけはマネージャーじゃなくて女にしかなれなかった。隣に居るだけで緊張して、触れる事すら許されない、そんな気がしてたんだ。
そんな中、アタシは見てはいけないものを見てしまった。
同じクラスに居た1人の女の子、その子は周助とずっと同じクラスだったらしくてアタシよりもずっと周助と仲が良かった。嫉妬、というより憧れの感情を抱くくらいだったのに…
その日は家庭科で調理実習があって、マドレーヌを作って。彼女がソレを周助にあげようとしてる時に運が良くか悪くか出くわしちゃったアタシは咄嗟に隠れたんだけど。手渡されたマドレーヌを見て周助はこう言った。
『こんな物要らないよ』
ボトッ、と鈍い音がした瞬間、周助はソレを踏みつけた。
温厚で、誰より人に優しい周助が何でそんな事をするのか、何か理由があるに決まってるけど…悪夢を見たくらいにアタシには衝撃的で。
仲が良い彼女ですら拒絶されるんだと思うと、アタシは自然と自己防衛本能が働いた。その日から周助を好きな気持ちは忘れようって思う様になったの。だけどそれだけじゃない、最終的に周助に恐怖心を植え付けられる出来事があった。
あの日は、中々部活に顔を出さない周助を心配して英二と教室へ様子を見に行った時。
教室へ近付くと周助と女の子が話をしてるみたいだった。それを邪魔するのはどうかと思ったアタシ達はこっそりドアから覗いてて。
「英二、何か空気重くない?」
『うんにゃ、入れない雰囲気だにゃ』
「だよねー…あれ、」
『どうかした?』
「あの子が持ってるの、アタシのノートだ…おかしいな、落としたのかな」
『不二が部活で会うし渡してもらうように頼んでるんじゃない?』
「ああ、そうかもー」
そんな呑気な事を考えてたのに。
『話はそれだけ?僕、部活行くね』
『え、待ってよ!』
そう言って周助と女の子はアタシ達が居るドアとは逆の方から出て行ったけど。ドアのすぐ側に置かれたゴミ箱にアタシのノートを投げた…
『え、ふ、不二…?』
「…………」
『名前、』
「アタシ…ひ、拾ってくるね」
ゴミ箱から取り出したノートを開けても間違いなくアタシのノートで…授業中、周助の事ばっかり考えてたせいで隅っこに書かれた『周助好き』って文字が虚無感でしかなかった。
アタシは、周助を好きになっちゃいけない。
傷つきたくないなら友達の枠を超えてはいけないんだって実感したの。
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「なんやねんその話…」
『アタシが、何か気に障る様な事したのかも』
「名前は何もしてへん、アイツが最低なだけちゃうんか!」
正直なところ、名前が好きなはずの不二さんの行動が奇怪で腑に落ちへんけど…せやけどどんな理由であれそんな事するような男を許せるはずが無かった。
『で、でもね、アタシが気付かないだけで何かしちゃったのかもしれないし…それに、周助はずっとアタシの事好きだったって言ってくれたんだもん…』
「…………」
切なく笑う顔は哀歓っちゅう単語がぴったりやった。哀しいながらも嬉しい、そんな顔。
『周助がね、一緒の大学行こうって言ってくれて、その約束守る為に大阪来てくれたんだよ?アタシを探してくれたんだから…』
「…ほな、何で泣くんや……」
名前はテーブルにポロポロ雫を落として歯を食い縛ってた。
いつもチャラけてたアイツがこんな顔するのを初めて見た。
いっつも部長に引っ付いてて、悩みなんか無さそうに人一倍元気な女やったのに。
「…部長が、好きなんちゃうん?」
『……ちが、う』
「俺しか居らへんねん。正直に言うたらええ」
『…ひか、る…』
何の為に俺が呼び出したと思ってるんや。少しでも、お前の抱えてるもん減らしてやりたかったからやねんで。
『あの、ね…蔵がね、アタシの事好きだって…』
「ん…知っとる」
『嬉しかった…嬉しかったけど、分かんない…』
「何で?」
『周助が好き、って思ったら、ドキドキして近付けないのに…蔵には、近付きたくて…直ぐに手を伸ばしたくなる…』
「…………」
『出逢った時から隣に居るのが当たり前で、それが普通なの…だけど、周助は怖いのに、好きだって思う…』
矛盾だらけで、2人共が好きやって言うてるようにしか聞こえへん。
せやけど、ホンマは…
「名前、お前の寿命が後1日しかなかったらどうする?」
『え、』
「最後の1日の明日、誰の隣に居るんや…?」
『……………』
ホンマは誰に向いてるかって分からへん気持ちをハッキリさせたいって思てるんやろ?
なぁなぁにしてきた想いをひとつにしたいって。
「よお考えて、その答え出しや?」
『ひかる…』
「ほな、さっさと残り食べ」
『もう、お腹いっぱいだもん…』
「嘘言うな。俺が奢ったるんやから全部食べな許さへん」
『鬼ー…』
「そないな事言われたって痛くもないで」
『ひ、光の馬鹿!ケチ!貧乏!ハゲ!』
「どの口や要らん事言うんは」
『!』
スプーンを取って無理矢理パフェを口に入れてやる。
『ひかる、美味しー…』
「当たり前や、俺が食べさたったんやから」
『じゃあ残りもー』
「甘えんな」
パフェの甘さに洗脳されたみたいに甘ったるい顔するから。俺もつられてしまうねん。
「名前、」
『なに?』
「やるわ」
『、バンド…?』
「欲しいんやろ?」
ポケットに入れっぱなしやった今日買ったばかりのリストバンド。
ソレを指で弾いてテーブルの上を滑れば名前は阿呆みたいに驚いて。
「交換条件や」
『え、』
「お前が好きな男に告白するんと引き換えやで」
『…………』
「分かったなら返事は?」
『……うん』
最後に決めるのはお前自身やから俺はこれ以上何もしてやれへんけど。
部長でも不二さんでもなく、俺は名前の味方っちゅう事で。
愛染明王気取りな俺の想いは鍵を掛けた。
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