初恋のジンクスといえば叶わない恋だが、私の場合は少し違う。
そう言い終えない内に、高尾はドリンクバーを吹き出した。
「なによその反応。言わせたのはタカでしょ」
「そりゃそうだけどさ。んなセリフ、あの頃のあずみだったらぜってぇ言わねーだろ」
「そりゃまあ、そうですけど」
高尾は「ワリワリ」と右手で拝むようにして小首をかしげた。
それは中学の時から全く変わっていない彼の姿だった。人間としての愛嬌というか、私が未だに補えてない所というか。
もっとも、高尾と会ったのは本当に偶然だったのに、三年前と距離感が一ミリも変わってないのには流石に驚いたが。
食器を片付けに来た店員を呼び止めてティラミスを注文すると、高尾はすました顔で「コーヒー」と言った。
「なぁにカッコつけちゃってんの。もしかしてそれも、」
「そー、彼女に釣り合うための努力の一環」
「呆れるね。昔から徹底した努力家だったのは知ってたけど」と言いかけて、高尾和成という男のプライドの高さを思い出す。
昔から、みっともない姿を他人に見せないことで自分を保っているような奴だった。
そして当時、そのことを知っているのは私だけだった。馬鹿なことに、今でもそう思っている。
「好きなんだね。本当に」
「好きだよ。マジで好き。どうしようかってぐらい。だから、初恋のジンクスなんて適用したくないワケ」
「塾で一緒のコだっけ?」
「そ。めっちゃ可愛いし、頭もめっちゃいんだよ。俺よか全然。授業中はほぼ寝てんだけどな。で、気になって聞いてみたら、なんつったと思う? 夜通し写経だって。ちょま、ガチで高三かっつの」
高尾は息継ぎもしないでまくし立てる。
日常の会話から調整役に回るような奴だったし、少なくとも他人のことをここまで楽しそうに話すような奴じゃなかったから、恋愛という魔法は恐ろしい。
彼の場合は十九歳という時期の遅さが影響しているのだろうか。
適当に相槌を打っていると、いつの間にかコップには氷しか残っていなかった。
「そういえばどうなのよ、花のキャンパスライフは」
「どうって、レポートめんどいし、ゼミの先生は変だし……」
「ちげーって。俺が言ってんのは浮いたオハナシ。あるっすよね、センパイ?」
「先輩、ねぇ。確かに。タカってよく考えたら浪人生なんだもんね」
「生憎、青春は勉強時間込みでバスケに捧げちゃったもんで、って違う違う。はぐらかさねぇであずみも言えよ」
まるでどこぞの少女漫画のようだと思った。
主人公が好きな相手に「好きな人誰? 応援するよ」って言われる、あれ。
実際言われてみれば、全く悲しくもやるせなくもない。漫画みたいに実は両片思いで、恋が成就することもない。
そんなことは分かっているんだけど。
「残念、タカが期待するようなことはありませんー」
「ご冗談を」
「ほんとほんと。高三のときに別れたっきり何も無いんだって」
「ふぅん? なんだよ、つまんねーの」
私、それなりに高尾のこと引きずっていたはずなのに。
どうしてだろうと考えていたら、無意識に言葉がこぼれ落ちていた。
「でも、恋ならしたことあるよ。……参考になるかは分からないけど」
「ほっほー? 続けて続けてー」
「さっき、初恋のジンクスがちょっと違うって言ったでしょ? 私の場合、叶わないって言うより、終われなかったんだ。影を馬鹿みたいに追いかけて、ずっと、ずっと」
高尾は何も言わず私を見つめた。
夜のファミレスの照明がコーヒーカップに影を落とす。橙色を限りなく濃くしたような、手の形の影だ。
どうしてか、彼は私の恋心に気付いていたのだろうか、なんて思う余裕があった。
つい三年前までは高尾に恋心を見抜かれまいと必死だったのに、今や胸がすくような感覚すら感じている。不思議なものだ。
「お待たせしましたーー」
タイミングを図ったように場違いに明るい声がして、店員が伝票を置いていった。
私と高尾の間に何層も重なったティラミスと湯気の立つコーヒーが残される。
私は何となく咀嚼するのもためらわれて、ただフォークを動かしていたが、高尾は思い切るようにカップを傾けた。
「それでも、過去形なんだな」
「え?」
「だって『終われなかった』つったろ。なら今は違うんじゃん?」
「……なるほどね」
「おっ、俺今めっちゃ良いこと言っちゃった? 言っちゃった?」
「うん、ちょっと吹っ切れた。って、ごめんね。タカに恋愛相談されてたのは私だったのに」
「いーよ、全然。他の奴のコイバナ聞いてっと自分のことも客観視出来る気がするし」
「他の奴、ねえ。他人の振り見て我が振り直せって?」
ティラミスを指したフォークを口元で止め、それを眺めていると、高尾は怪訝な顔をした。
「どったの、今更カロリーでも気になった?」
「ううん」
「じゃあ何だよ。美味そうなのに」
「ティラミスってこんなに綺麗に積み重なってたんだなって思って。なんで今まで気づかなかったんだろ」
「何言ってんの、おま」
茶色のグラデーションはきっちりと重なっているようで、その実、境界面は所々交じりあっている。通気性の良さそうな層もあれば、みっちりと濃い層もある。
まるで人間の記憶のように。
「こっちのこと」
ぱくりとそれを頬張って、苦みの中の甘み、それとも甘みの中の苦みだろうか。
もはや、どっちでもいい。
あとは咀嚼して、飲み込むだけだ。
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