風をはらんだスカートに気をとられていたら右手からチューリップの感触が抜け落ちた。
春の乱気流に乗ったそれは近付いてきたピカピカのローファーの前におさまる。
あたかもそこが定位置のように。
「おいおい、縁起物落とすとかマジありえないんすけど」
高尾は「縁起物」と銘打ったピンクのチューリップを拾い上げると、まじまじと私を見つめた。
「なんだよー。泣いてねーのかよ」
「甘いな。私が卒業式ごときで泣くと思うか」
「やっぱつれないのねあずみチャン」
「それを言うならつまんねーの、でしょうがタカの場合」
「あれ、バレた?」
大体そっちも泣いてないじゃん。
私がそう言うと、高尾は張り付いたような笑みを浮かべた。皆に向けるいつもの仮面だ。
「で、その縁起物、返してくれる気は?」
「ナッシング」と高尾は言った。
「何となく」
気分屋の高尾がよく口にするその言葉が私には怖い。おかげで、伝えたいことも聞きたいこともいまだに言えてない。
「……まあ、いいけどさ」
ぬるい風が、泣き腫らした瞼の上を、決めにキメた髪型の真正面を、そして私たちの間をも平等に通り過ぎていく。
私の人生に同じ空気感が訪れることは、もうない。
そんなことを思い知らせたそれがどうしようもなく憎かった。
「あのさ、和成」
わずかに間があって、高尾はひどく驚いたように目を見開いた。
二年間も友達をやってきて初めて名前で呼んだのだ、当然の反応だろう。
「ワリ、あずみチャンがそう呼ぶの、珍しくて。どーかした?」
「あ、いや……何となく」
「何となく?」
「そ。タカの病気がうつっちゃった」
「意味わかんねー」
けれど私はその理由を話す気はなかった。というより、私の中で言葉にすらなっていなかった。
「あーあ、卒業しちまうんだな。俺ら」
高尾は頭のところで両腕を組んで、空を仰いだ。
つられて見上げると、水色のキャンパスにあいた白い穴のごとく少し欠けた月が浮かんでいる。
「そういえば第二ボタン、あげなかったの?」
「さっすがぁ。目のつけどころが違うね」
「ちゃかさないで。真面目に答えて」
高尾は視線は空に向けたまま小さく笑った。
「うるさい女どもにやりたくなかったんだよ、何となく」
「出たよ。和成の『何となく』」
「そー。俺って案外曖昧な人間なんかね」
高尾がたまに漏らす本音はいつでも辛辣だ。
人気者・高尾和成の本音を聞ける距離感に自惚れて、そこから一歩も踏み出せない私は一体彼の目にどう映っているのだろう。
聞いてみたいけど、聞きたくない。言いたいけど、言いたくない。
そんなんばっかで嫌になるけど。
知らぬが仏と言うように、近付いた瞬間に失うぐらいなら、この片思いのままがいい。
「私、そろそろ帰ろうかな」
「かずなりーー」とだれかの声がしている。
視界の端に現れたその男子はバスケ部員らしく、卒業式なのにボールを二つ持っていた。
高尾は「ちょっと待って」と叫ぶと、私に向き直った。
「もう? 早くねえ?」
「だって用事ないし」
「そりゃまあ、つれないことで」
高尾はへらりと笑う。すっとした目をさらに細めて。伸びた黒髪を揺らして。
私は息をする。
春の匂いを吸い込む。
「じゃあね、タカ」
じゃーな、と張り上げられた声。
手を振れば、春風が吹き抜ける。
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