26.

やがてして、なんだと思うんだけど、頭部の痛みで目が覚めた。どこが痛いかわからないけど全部痛い。ズキズキするし、多分、血の匂いで生臭い。

どこだろう。
わからない。
暗いし、かびのようなすえた臭いがする。
床に投げられていたらしくうつ伏せていた。埃っぽい絨毯に、暗闇のなか角材なんかが転がってる。廃墟かしら、外なんか見えないけれど。体を動かして立ち上がろうとしたら、さっきの、多分車内にいた男が古びたテーブルに向かい合ってタバコを吸っていた。


「あんまり手向かうなよ?」

「俺たちだって生きて戻りてぇんだから大人しくしてろって」


相変わらずの猿ぐつわでしゃべれないから相手が勝手喋るのを待った。

「アンタも災難だったねぇ。あんな奴らとつきあいもなきゃあこんな目に遭わねえだろうに」

あんな奴らって誰よ!
私、こんな仕打ちする人知らないわよ!

「まぁオレたちゃあアンタを引き渡しておさらばだ」

引き渡す?誰に?なんのために?
なんとか上半身を捻り起こそうとしたけど、「だから大人しくしてろって」男の一人が立ち上がってきて、背中を踏まれて息が詰まった。


もしかしてこれが、殺されるってヤツなのかしら。


そしたら生命保険ておりるのかしら。


美人さんがもらわれて行って、よかったわ。心配ごとはないもの。





背中を圧迫され続けている。息ができない。痛い。体の中から変な音が聞こえた。脇腹にも痛みが走った。


「恨むんならあの世であいつを恨みなよ」

革靴の踵が食い込むようで神経がそっちにいってたけど、うっすらと聞こえてきたのはあの政治家の名前。

私、知らないわよ。

そんな人に直接かかわり合いがないのに、なんで!


痛みがだんだんとわからなくなってきた。頭の中が白くなってく。ごめんねプロシュート、部屋代は生命保険が降りたらそこから差し引いて持っていってちょうだい。ギアッチョにメローネ、まともにお礼も言えなかったわありがとうごめんね。みんなお別れが言えないわね。リゾットには何も返せなかったわ。


…遺言て、こんな感じしか思いつかないわね。勿体無いわ。


なんで、とか。
どうして、とか。それしか思いつかない。
けど。
急にフッと背中の圧迫がなくなって足が退いたのがわかった。新鮮な空気に肺が膨らむ、同時に脇腹が急激に痛んだ。脂汗が浮いてきた。

そして私の視界に別の革靴が入った。

顎をあげて視線を上にすると、あまりはっきりしない視界に見覚えのある腕時計が見えた。そう、これ、ザ・金持ちって時計。パーティで話しかけられた、あの人の時計。趣味の悪い、ジュエリーウォッチ。


「ボナセーラ」

あぁ同じ声がする。
さっき言ってた引き渡すってこの人になのかしら。相変わらず趣味わるそうなだわ。
「あのパーティではどうも。今晩はぜひお付き合いを」
何にお付き合いしろっていうのよ。床に伏した私の顔を前髪を引っ張って引きずりあげた。痛い。けど、もう、どこもかしこも痛い。
「まずはヤツらの居所を」
目を見張るって、言うのよきっと。その言葉が言い切るかどうなのか、その前に、目の前でその金持ち時計の人の左目がキューブ型に、まるで手品みたいに抉りぬかれた。
スパンっと音が立ちそうなほど、見事にキューブ型をしてくりぬかれたそれは勢いをそのままに空中で石になってしまった。
つかまれていた髪が放されて、絶叫が響いた。床に落ちた私は落ちてくる血が跳ねたのを目の前でみた。

よろめいて後退るようなその男の後ろに1メートルほどの、異形の、まるで人形のような子供が居た。暗がりでよく見えないけど、その子供が石を蹴飛ばして窓ガラスを割った。もう片方の足が同じようにキューブ型に分裂してる。…ちがう分裂しているんじゃあないわ、キューブで構成されつつあるんだわ。だんだんとはっきりしていくその体がまた一気にはじけて、今度は男の右目をえぐり出した。



…私、…ついに違うものが見え始めてしまったのかしら。

血があふれだして、私のすぐそばに流れた。やっぱりこの臭気は気持ち悪い。両目がないからなのか、フラフラと足元が覚束なくなっていた。その足がまた顔や背にぶつかって数度その高そうな革靴で力任せに蹴られた。脇腹を庇おうとしたら腕からも嫌な音がした。
痛い!って思う神経がついていかない。
されるがままに蹴られていたらその足がキューブに分裂して、いきなり石になってゴロンと落ちた。男はバランスを失って、その場に倒れ込んで、呻いている。


何がなんだか、…意味がわからない。
気が付けば私の背中を踏んでいた男もそのキューブ型に分解されていたらしかった。
もうひとりは足と喉がなくなってる。


そしていきなり私の右腕に激痛が走って、まるで体が引っ張られるように、宙に投げ出された。



飛んだわ!
痛いけど、もうそこら中が痛くて何が痛いかわからないけど、飛んだわ!
死ぬのかしら私!


だけど妙に光景がはっきり見えた。

急に下降して、自分がまるで放物線を描くように引っ張られたんだってわかった。わかった時には誰かにぶつかった!やっぱり痛い!衝撃に、引っ張られた右腕が裂けそうよ!

拍子、目を瞑っていた。でも思ったほど大きな衝撃もなくて、誰か、人に受け止められたんだとわかる。
怖い、もう、開きたくない。そう思ったときに

「遅くなってわりぃな」

声がした。
知ってる声。
この声は、プロシュート。
漸く目を開いた。


「(プロシュート…)」

なんでいるの。
横にペッシもいる。

「話はあとだ」

だって、もう、「アンタずりぃよ、そういう役目だけ持っていくんじゃねぇよ」

メローネの声も聞こえた。


…。

これは、。

「あぁイチ!そんなに怪我をして痛かったろうに!オレ以外に痛めつけられるなんて!」

ディモールト最悪!、メローネが言った。


…。

頭の処理が、追いつかない。


え、と。


…。




「もう、見るな」

両手両足をそのままに、プロシュートの肩に担ぎあげられた。脇腹にまた激痛が走って猿ぐつわを噛み締めたけど、痛みは引いてくれない。堪えていたら
「もう少しの辛抱だ」
プロシュートが動き出そうとしたから、またそっと目を開いた。
私の視線の先、プロシュートの背後に、やっぱり暗闇に溶けるような黒のロングコートを着たリゾットが居た。

目があった。
なんだかいつもと違う気がした。

「(リゾット…)」

リゾットは無言で脂汗の浮かぶ私の顔に手を伸ばして、撫でてくれた。今触るとベタつくわよ。でもそんなのお構いなしに、そして無理やりに瞼を降ろさせる。真っ暗になった視界に、それでもなぜか安心した私は脇腹の痛みもあってそれに従うことにした。

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