24.

どれくらいだか、もう泣き疲れて顔を上げた。袖に滲みが出来てたよう。目を凝らしても真っ暗だから、壁に手を這わせて電気のスイッチを探す。指先がぶつかったソレを押すと白く寒々しい部屋が浮かび上がった。

おなか減った。でも、冷蔵庫に何もない。この冷蔵庫、誰の?プロシュートがつけてくれたの?閉めて、あたりを見渡した。生活用品みんなある。どこまで気が利く男なのかしら。

考えてみれば昨日の夜から飲み物しか口にしてない。お腹減った。でも出歩く気にもなれず、とにかく美人さんのキャットフードだけあけて、私はシャワーを浴びてベッドに入った。

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次の日もその次も、連勤が続いた。朝ご飯にベーグルとラッテだけ買ってみたけれど食べてないから顎が疲れて半分も食べずに包み紙に戻してしまった。ホットドリンクでも胃が痛くなるから、ガスなしのミネラルウォーターばかり飲んでた。帰り道にマーケットの前を通っても、人混みが嫌になって寄らなかったから、やっぱり部屋には何もなかった。


いけない。食べなきゃ。
でも一人分なんて作るの面倒だわ。買って来なきゃ。

仕事を終えてから部屋に戻り、もう一度外に出た。なんでもいいから食べなくちゃ。
路地にでると夜なのに人通りが多かった。お財布だけ持って一番近いバールに入ろうとしたとき、肩がぶつかった。振り返って「ごめんなさい」。
相手も「あぁ」と呟いて片手を上げた「…ジェラート」。
「イチ、」
後ろを見れば、やっぱりソルベが居た。


「急ぎ、じゃあねぇな」
お財布一つの身なりの私を見て「飯か?」、頷いたら「奢ってやるよ」ジェラートに捕まった。
すぐ近くのトラットリアにつれていかれて、ジェラートが勝手に注文をしてる。飲み物だけ私に聞いて、水と答えたら、ガス入りを注文つけた。

「なんつーか、やつれたな」
「そう?」
「肌も荒れてる」

よくみてるわね。私は仕方なく笑った。
運ばれてくる料理は3人分を遥かに超えてるけど、それでもジェラートの胃に収まっていく。すごい勢いね、やっぱり見てると楽しいわ。
「食べろよ」
うめぇよ?と言って取り皿に分けてくれるけど、ガス入りのミネラルウォーターのおかげで胃が刺激されて痛い。一口二口食べるとやっぱり胃が受け付けなくって私は口を押さえて中座してしまった。
駆け込んだ化粧室で自分の顔を見るとそりゃあ酷いもので。
「…はぁ」
口を拭って大きく息を吐く。天井を仰ぎ見て、もう一度、息を吐いた。


落ち着いてから席に戻るとソルベがその低い声で「食べてねぇのか」そう言った。
「ダイエットよ」
はぐらかしてしまおう。笑って言ったらいつもケラケラ笑っているジェラートが怖い顔をして、フォークをカチャンと音を立てておいた「胃が食いもんを受け付けなくなるくれぇにか?」。

「…、風邪で、胃が受け付けなくなってて」
「風邪のヤツがバールで飯食おうとすんのかよ?」

嘘は塗り重ねてもどこかはげるって本当ね。

「なぁイチ、」
「ごめん」
「責めてるんじゃねぇんだよ?」
「…、」
「どれくらい食ってねぇんだ?」

どれくらいだろう。リゾットのアパルトを出てから、いつかベーグルをかじったことしか覚えてない。

そう言ったらジェラートが目を丸くして、「もう4日は経つぜ!?」そう言った。

「イチ、食わなきゃだめだ」
「だって、食べたくないし、胃も痛い」
「慣らせよ、倒れちまうぜ?」

ジェラートがホットミルクを注文してくれたけど、あまり飲む気にならない。そんな私を見てナプキンで口を拭ってから言う。

「プロシュートから話は聞いたけどさぁ」
「…」
「こっちの都合で振り回してわりぃとは思うよ?だけどいつか出て行く約束だったんだろぅ?」
頷いたら、仕方無さそうなため息を吐かれてしまった。

やっぱり私、単なる駄々っ子だわ。

「…大丈夫よ」
「何がだよ」
「だってリゾットに会う前だって、私一人で暮らしていたんだし、大丈夫」
「全然大丈夫そうじゃあねぇよ」
「大丈夫」

もう一度、今度はソルベがため息をついた。

「…、イチ」
「何?」
「俺達はあまり顔を出さなかったが、イチが居た間で、アパルトで一人の事はあったか?」
即答できる。
なかったわよ、誰かしら居たわ。頭を振ると今度はジェラートが「やっぱりな」と言った。
どういうこと?
「リゾットが常に誰か居るように配置していたんだ。イチに、何かないように」

何かって。

「イチには言ってないだろうが、リゾットはパーティにだって出したくなかった。交換条件で一人サポートをつけたんだ。名目はプロシュートにだが、そうじゃあない、お前にだ」
「イチはずっと護られていたんだぜぇ?」

あの、天然は。急に胃の奥の方が絞られたような気がした。何も言ってくれないのに、表情にさえだしてくれないのに、なぜ、どうして、いつも。


「その本人が自らを痛めつけるなんて、リゾットへの冒涜だ」

だから、なんでもいい。体に入れろ。ジェラートがミルクを私の前に置いた。
ぬるいそれに口をつけると甘くて、泣きそうになった。


「その、スープも、頂戴」
ジェラートの前にあったのを指差して受け取ると、やっぱり温くなっていたから躊躇わずに嚥下させた。
喉を過ぎるのがわかる。痛い。胸の奥とか、痛く広がっていくよう。


「よく噛め、顎を動かせ」
ソルベが言った。
顔を上げたらジェラートがヒヒヒと笑ったから、つられて、やっと笑えた気がした。


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ソルベとジェラートが部屋まで送ってくれて、まだ慣れない部屋に入る。やっぱり白くて寒々しい。見渡せば美人さんがベッドの上で丸まって寝ていた。
明日は休みだからマーケットに行こう。そしたら何か作って、差し入れを持ってリゾットの所にお礼を言いに行こう。みんなに食べてもらえるように、たくさん作ろう。

まだ痛む胃を抑えると足元にあったサンダルが見えた。ギアッチョにもたくさん迷惑かけたから、改めてお礼を言いたい。
やっぱり寂しい。誰の声もしないし、誰の気配もない。みんなと暮らしていた時は、リゾットの配慮のおかげですごく楽しかった。私はそれに気が付かず、わがままばかり言っていたのね。情けないわ。

今日、2人にあえてよかった。聞けてよかった。ベッドに腰掛けたら、嫌がるように美人さんが顔を背けた。その時バッグから携帯が鳴って取り出したら映写技師さんからだった。

「はい」
くぐもった通話先からの声に耳を寄せる。

「まだ、猫の貰い手、探してる?」

ドキンとした。

「え、と」
「探してるなら、欲しいって人がいるんだけど」

あ、あぁ。

「もしもし?」
「…、はい、あ、ありがとうございます。はい、えと、黒猫だけど」
「大丈夫だよ、オスだろう?」
「…えぇ」

それなら、と、引き取り日時を指定されて、電話をきった。美人さんは耳をピクンと動かしてまだ寝ている。

「明日は、おふろね」
キレイになってお婿入りしよう。アンタ頭がいいから大丈夫よね、うまくやれるわ。大丈夫、映写技師さんは優しいおじさんだから、きっと優しい人に貰われるわよ。

頭を撫でたらやっぱり嫌そうに耳を動かして、寝たままだった。


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次の日マーケットに行くのをやめて、朝からネコを洗うことにした。暴れるのを押さえながら、なんとか洗いタオルで包む。可愛らしい体を全身震わせて水を弾きながらいる美人さんが愛らしい。くるんだタオルからもがくように首を出してにゃあと鳴いた。本当に可愛らしいわ。

「アンタは美人よ」

「たくさん可愛がられるのよ」

「アンタを欲しいって人に貰われるなんて、幸せなことなのよ」

なのに、なんで、喜べないの。悲しいほどだわ。私は本当に自分勝手だしわがままで、どうしようもないわね。

毛並みを整え、美人さんが好きなキャットフードと猫缶を袋に詰めた。首輪もつけることもなかったわね。名前さえ、なかったわね。ごめんね。

でもありがとうね。
アンタがいて、私、楽しかったわよ。リゾットたちに会えたのもアンタがいたからだもの。

「ありがとね」

そのやわらかな体を抱きしめたら小さなくしゃみをして、まだ嫌がっているようだった。

本当にありがとう。私、アンタがいたから、結構救われていたのよ?



ありがと、ついにさよならね。

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