23. ギアッチョはずっと手を握ってくれている。暖かくて安心する。私はそんな感情をずっともらっていたのに、気が付いてなかったのかも知れない。 取り留めのない独り言をギアッチョは根気よく聞いてくれた。私の手を時には自分の膝の上に乗せたりしながら、ずっと握ってくれていた。 会話が途切れてからも、眠りにつく気にならず2人でずっと黙っていた。 それでもこの優しい時間にだって終わりは来る。 外が白みはじめて、ブラインドの隙間から明るさが届くころ、ギアッチョが口を開いた。 「…イチが、リーダーの家に住むっつった時、オレは反対だった」 「どんなに非力そうな女だって何を隠しているかわからねぇし、そもそもが女はめんどくせぇから嫌だった」 「ただの給仕だってオレたちは必要としてなかった、それまで暮らしてきたんだからな」 それから、少し言い淀むような、間を置いた。 「なのにイチはズカズカ上がり込んで来やがった」 「昔馴染みだかなんだかしらねぇが入り込んできて、オレたちを振り回した」 「メローネは新しいおもちゃみてぇにはしゃいでたが」 「それでも、その内、リーダーのアパルトに行けばイチが居るのが当然になって、あったけぇ飯が食えると思うようになった」 「イチがいるってだけで、ずいぶんと、」 「ただいまなさいっつって帰ってくるたび、」 「安心した」 今度は嬉しくて目頭が熱くなった。嬉しい。そう思ってくれていたのなら、私は少しでも報われる。 ギアッチョが握ってくれて手を更に強めてくれる。指が痛いくらいの力でぎゅっと握ってくれてる。 差し込んできた朝焼けで部屋の中が見えた。物は少ないのに乱雑に散らかった部屋の中、ソファの上には銃が鈍く光ってた。それはモデルガンとかじゃあなく本物なんだろうな、なんとなく思った。 「ありがと」 「ギアッチョ、ありがと」 何回も繰り返しつぶやいた。ギアッチョはやっぱり何も言わないで聞いてくれた。 その時外で大きなエンジン音がして、同時に携帯も鳴った。表示された名前を見て、ギアッチョは一度舌打ちしたけれど、すぐに通話を始めた。 そして間髪おかず玄関のドアが激しく音を立てた。叩かれてるのか蹴られているのか、とにかく激しい。 ギアッチョは私の手を離さないで携帯を投げて、玄関まで引っ張っていった。そして鍵をあけるとメローネが飛び込んできて、視界に入ったのも一瞬で私を抱きしめてくれた。 「イチ!」 ぎゅうっと音が出るような、背骨が軋むくらい力いっぱい抱きしめてくれる。 「あぁ辛かったろう、そばにいてやれなくてごめんよ、酷い顔だね、一晩中泣いたのかい?」 頭をなでたり背をなでたり、忙しなく動くメローネの手に、不思議と安心した。また壊れていた涙腺が弛む。 「話はリーダーから聞いたよ」 頷いたらまた私の頭をなでてくれた。 「メローネ、」 ギアッチョと話した事、一緒にいたことで大分落ち着いていたから、メローネの顔を見ることができた。 「ありがとう」 大丈夫よ、言おうと思ったけど声が出なかった。そしたらもう一度、また強く抱きしめてくれた。 「会えなくなるわけ、じゃあ、ない、」 自分に向けて言った。けれど 「そんな事わからないじゃないか」 イチがそこに帰ってくるっていう事実は消えてしまうんだ、と小さく言われる。あぁ止めて。やっと落ち着いてきたのよ。冷たい水に晒されたみたいな体の中が2人のおかげでやっと暖まってきたのよ。 「1ヶ月も居なかったけど、たのしかった」 短い間だったけど、本当にたのしかった。今まで1人で暮らしてきたんだから、大丈夫。映画館だって辞めるわけじゃあないんだし。偶に遊びに行くわよ。差し入れもっていくわ、そうしないとリゾットはまともなご飯食べそうにもないでしょ。 だから、大丈夫。 私混乱してただけよ。 リゾットのアパルトに居る事が楽しくて、みんなが大好きで、出たくないって駄々をこねていただけ。 「迷惑かけて、ごめんね」 「イチが謝ることじゃあねぇだろ」 ギアッチョが手をまた強く握ってくれた。痛いわよ。痛くてちぎれちゃいそうよ。 「プロシュートが、今日中に部屋を用意してくれるって」 「んな部屋にいかねぇで此処にいりゃあいい」 「オレの部屋だってある。書庫にしてるが、一部屋あるからイチにやれる」 「ありがと、だけど、出来ないよ」 また甘えてしまうよ。 「仕事、行かないと」 「まだ6時前だ」 「目が腫れてる」 まず冷やそう、メローネが悲しそうに笑った。 :::::::::: 映画館までギアッチョに送ってもらった。靴はサンダルを借りて、後でリゾットのアパルトからメローネがバックと一緒に持ってきてくれると言った。 職場のロッカーに入れっぱなしにしておいた化粧直しの道具でなんとかメイクして、カウンターに座る。大きなサンダルが歩きにくい。今日もきっとお客さんは来ない。そういうば夕べから何も食べていない。お腹空いた。ドリンクコーナーからラッテを注いで飲むと、暖かかった。 チケットは平日の売れ行きは芳しくない。これが私の日常なんだ。満席になることのない劇場で、今日も平和に過ぎること。これからは食料だって、手に食い込むくらい買い込まなくていい。賞味期限だってあまり気にしない。掃除だってすぐ終わるし、洗濯機の中に回しっぱなしのものが入ったままで、呼びに行くこともない。 ぼんやり見ていた道路の先に茶トラの猫が歩いていた。 「美人さん…」 ごめんね、忘れていたわけじゃないのよ。私飼い主失格だわ。リゾットごはんあげてくれたかな。 すぐ、頼りにするのは、悪い癖ね。 プロシュートが用意してくれるって言った部屋は動物大丈夫なのかしら。ダメならなるべく早く、そうでなくても、無理をしたってすぐに出よう。 「仕事中も物思いに耽ってんのか」 コツコツとカウンターを叩かれた。目の前にプロシュートがいた。驚いた。声が出なかった。 「ひでぇ面だ」 「プロシュート」 カウンターに鍵と紙切れを置いた「部屋だ、ここから歩いていける」。 早いわね、とか、さすがね、とか、言おうと思ったけど、全部イヤミになってしまうから黙っていた。そしたらプロシュートがその真っ直ぐな瞳を向けて 「憎むなら、オレを憎め」 そう言った。 「憎めなんて」 お門違いでしょう、そんなことしないわよ。 「そもそも間借りしていたのは私なんだから、そっちの都合は仕方ないわ」 「ずいぶんイイコなんだな」 「邪魔なら出ていけって言う約束だもの」 リゾットとね、言おうと思ったけど止めた。 「美人さんは?」 「もう荷物と一緒に部屋に入れといた」 「そう」 もう私はリゾットのアパルトに戻ることもないのね。本当に仕事が早いのね。感服だわ。 「プロシュート」 「あん?」 「ありがとうね、」 「恨まれる覚えはあっても感謝される覚えはねぇな」 「プロシュートの事だから考えもなくこんな事しないでしょう」 「ハンッ買い被りだ」 お客さんが来たから、プロシュートが一歩下がった。そのまま私は対応してチケットを渡したら、いつの間にかプロシュートは消えていた。 :::::::::: 仕事を終えてプロシュートの地図を片手に進む。メローネは来てくれなかった。サンダルは大きいまま。 映画館から歩いて5分くらい、小さな古いアパルトだった。住人もあまり居ないらしく、管理人のおばあさんに挨拶をすると少し訝しんだ目で私を見てから、やがて笑ってくれた。 「よろしくお願いします」 「えぇ、よろしく、階段を上がった左よ」 よかった。優しそうな人。階段を上がると部屋の前にギアッチョとメローネが居た。 「どうしたの…」 「やっと聞き出したんだ」 メローネが私にバッグとパンプスを差し出した。 「荷物、全部運んだって」 「ホルマジオが手伝ってな」 あぁ、そうなのね。 私は部屋のキーを出してドアノブを開けた。 「ごめんね、今日はもう疲れちゃったから」 あぁ声が震える。 「もう、寝たいの」 ギアッチョが何か言いかけたけど、メローネが制するように「そっか」と言った。 「ゆっくりお休み」 「ありがとう」 ドアを閉めると部屋の中はまっくらで。私はそのドアに背を預けてうずくまって、膝を抱えてまた泣いた。美人さんが足元にすり寄ってきて、抱き上げたらにゃあと鳴いた。美人さんがいてよかった。あったかい。美人さんを抱いて、また泣いた。 |