ブチャラティさん 今度は明るくなった部屋でミスタとたぶんブチャラティさんなのだろう人と向き合った。 真っ直ぐな瞳って、こういうことを言うのだろうな。あまりにも力強くて、負い目が有るわけでもないのについ反らしてしまいたくなる。 「あの、ブチャラティさん、ですよね」 だから堪えきれず、相対してすぐに言った 「パネッテリアのおばさんが言ってたの。ブチャラティさんに相談なさいって。だからきっと信用に足る人なんだろうなって思って」 スラスラと出てくる言葉に自分でも少し驚いた。彼は少しだけ目を動かしたけれど、感情を現さなかった。 頬杖をついたミスタが「あのおばちゃんだよ」、と通りを指差しながらフォローを入れてくれたので、彼は「あぁ」と小さく呟いた。合点がいったようだった。 「先日ひったくりにあったというイチさん」 少し低めのトーンで彼は口を開いた。落ち着いていていい声だわ。同年代なのだろうけれど、人生経験は彼の方が確実に上な気がする。瞬きしないのかしら、と疑うほど強い瞳を見ながら頷いた。 「今日はミスタにお礼に来たの。でも連絡先聞いてなかったから、ここで待たせてもらったの」 「それで皆帰ってしまった、って」 「昼過ぎくらいからここにいたんだけど、ナランチャとアバッキオが来てその内に出てしまって」 「それで一人でも待っててくれたのか」 ハハッとミスタが笑った。それにも頷いて「どうしようか、迷ってる内にこの時間になってしまったのよ 」。 「イチさんには悪かった、オレが頼んだ仕事をしに行ったんだ」。 「タイミング悪かったな」 ヒヒッと笑ったミスタを少し睨んで、そして私も笑ってしまった「待ちくたびれたわ!」。 場が明るく和むようだった。 「でも、会えたからよかった!この前のお礼をさせて」 「つっても此処じゃあなぁ」 ミスタが適当に頼んだ料理が運ばれてきた。馴染みなのか店員さんも慣れているようだ。 「ひったくりに合った日」 ブチャラティさんが、その落ち着いた声で話を始めた「観光に?」。 「知り合いに会いにきたの。その帰り。確かにネアポリスは初めてだから観光したいっていうのもあったわ」 「印象は最悪だろう」 「最初はね。でも親切な人たちで印象悪くないわ!」 「俺たちは親切な人じゃあねぇけどな」 ミスタがハハッと笑った。 親切じゃない、ってなぜかしら。 首を傾げてしまった。 けれど、なんとなく、それ以上言えなくて口をつぐんだ。 それでも「ナポリを見て死ねっていうじゃない?私まだ死ねないわ」。 「そういや、それ、なんつぅ意味なんだ?」 押し込めた言葉とは別のものを引っ張り出して、そしてやがてしたころ「帰りは」、ブチャラティさんが切り出した。 「電車で帰ります。ここから少し先の街なの、ネアポリスみたく大きな町じゃないから特急は停まらないけれど」 「ならそろそろ帰った方がいいだろう」 「そうね、そうしようかしら」 お題を払うため店員さんを呼ぼうとしたとき、ブチャラティさんが顔を横にふった。 ミスタもなぞるように「ここでは要らねぇよ」、そう笑う。 「でも」 「いいんだ。また機会があったら、今度こそピザ奢ってくれ」 立ち上がったミスタにブチャラティさんが「駅まで送るように」、そう言われ先に歩き出してしまった。 「待ってよ!これじゃお礼にならないわ!」 「会いに来てくれた事が嬉しいぜ、シリョリーナ」 話を反らすために口説きだすんじゃないわよ! 苦い顔を向けたのにミスタは笑って歩を止めない。 だから慌ててブチャラティさんに「ありがとう」、軽くお辞儀をした。片手を上げて柔らかく笑っている。 「また遊びに来ていいかしら」 「ご自由に。ただしトラブルがもうないように」 「気を付けるわ!ありがとう、それと」 言おうかずっと迷っていたけれど、でもなんとなく止めた方がいいって頭の片隅では思ってて。 ブチャラティさんが怪訝な顔をしたのを見て「チャオ!」、先に店を出ていたミスタの後ろ姿を追うことにした。 外はすっかりと夜の雰囲気で、確かにここを一人で帰るのは大変だったかもな、なんて思った。 大股で進むミスタを小走りで追いかけて、「次こそはお礼をさせてね」。「そんな気にしなくていいけどよォ」 「私の気が済まないの。あと連絡先教えてもらえる?次のために!」 自分の携帯を出して催促した。ミスタは少し考えてから「そんなにオレの連絡先知りたい?」、意味ありげに笑ってる。 「やましい意味じゃないわよ!」 「やましくてもいいぜ」 「誤解しないで」 「させてくれよ」 番号を交換して、登録して。 お互いヒヒッと笑いあった。 「でも」 何故か息が上がってしまうのを、小走りのせいにしながら「ミスタと会えて良かったと思ってるのは本当よ!」。 言葉にして伝えてみた。 少し恥ずかしいけれど。 ちらりと見上げたミスタは、「やめろ、バカ」なんて呟いてそっぽを向く。 「バカはないでしょ!」 「照れるだろ、あー、あっちいけ!」 頭の回りを、何か虫でも追い払うようにミスタは振っている。 その様子が、以前にも見た空中を見て呟いている姿と同じで、何かを思い出させた。なんとなく、そう、アパルトの皆、のような。 言葉では言えない感覚を、とりあえず押し込めて「それじゃあ帰るね!チャオ!」。 私はミスタに背を向けて、駅構内へと進んだ。 |