トラットリアにて2 なんだか落ち着かないままに、パネッテリアに着いた。そしたらなんと臨時休業。本当、ネアポリスと相性わるいのかしらね。どうすることも出来なくて、お店の中を覗いてみたり右往左往。それも続けて見たところで何の進展もないから、「途方に暮れるとは正にこのことね」、呟いて近くのバールに入り込んだ。落ち着いてカップの中を飲み干して、どうしようかと外を見た時に、見覚えのある少年がいた。大きな目がトロンと垂れた、あのレストランに居た男の子! バタバタと音が立ちそうなくらい慌てて立ち上がってバールを飛び出た。男の子の後を追い、なんとなく覚えのある街並みを通り抜け、角から角を曲がって裏路地に飛び込んだとき、「ぅえっ!」、首に何かが巻き付いた! 「何ついてきてんだよ」 「っ、」 直ぐに首に巻き付いた物は腕だと知れる。背後からしめあげられる形になっていた。 「離して!」 「‥」 「苦しい!」 もがいて腕を叩いて、なんとかジタバタと暴れて。そしてやっとして「あれ、アンタ」、その声と一緒に解放された。 荒くなった息を肩で落ち着かせる。 「どっかで会ったな、あれ、どこだっけ」 振り返った先には垂れ目の少年がいた。大きめのナイフまで持ってる。ザワッと身の毛がよだった。 手足は伸びてもまだ大人の骨格ではない少年。大きな目からもわかる童顔は愛らしい部類だと思う。 息と気持ちを落ち着けて、相手を見据えた。 「この前、トラットリアで会ったでしょ。今日ミスタに会いに来たの」 「あぁ、‥そういや居たね!」 合点が行ったように急に笑顔になった。コロッと変わる態度に毒気を抜かれた。 「ミスタは何処にいるか知ってる?」 「ミスタは、今日会ってねぇなぁ。まぁ夕方には戻ると思うけど‥、そういやひったくりに会ったんだっけ」 「そう、それで今日はお礼に来たのよ。だからミスタを捜しているの」 了解、とばかりに片手を上げた少年は何かを考えるように顎に手をあて空を見た。そして何度か首を傾げてから「トラットリア、来る?」、そう言った。 「そこでミスタを待てるかしら」 「待ってて構わねぇよ。もしかしたら早く戻るかも知れねぇし」 「それなら待たせてもらいたいわ」 「オッケー、じゃあこっち」 少年が指さすほうへ顔を向けた。 :::::::::: 少し前に見たはずなのに、ここはこんな建物だったのか、と思うような色をしている。日差しのよくあたる暖かい場所。通されたのはテーブルが並ぶ部屋の更に奥、仕切られた一角だった。その右手には小部屋が見える。少年が「そこ、座れば」、指した所は円卓だった。中央には小振りな花が活けられていて、素敵だな、と素直に思った。部屋を出たと思うと数冊の本を抱えてすぐに戻ってきた少年は、テーブルにそれらを広げはじめた。 見れば小学生の算数の問題集で「えーっとォ」、鉛筆で頭を掻きながら悪戦苦闘をはじめた。 25×18、2桁の掛け算だな。自分も暗算で出来るかな、なんてぼんやり見ていた。唸りながらも少年は鉛筆を走らせていく。 「よし、こうだよな」 「(ちがう)」 「ここで掛け算して、この答えはこうして」 「(何故そうなるのかな)」 動かす鉛筆を見ながらつい心の声を上げていた。 「アンタさぁ」 「(はい)」 「ねぇ聞いてる?耳ついてる?アンタさぁ!」 「はい!」 声を出すのを忘れていた!答えてすぐに見上げてくる少年の怪訝な顔を見ながら誤魔化しに「なに?」、更に言った。 「出来る?掛け算割り算」 「‥そんな桁が多くなければ」 「難しいよなぁ、算数って。なぁこれ合ってるかな」 既に飽きているのだろう少年の答えは先ほど心で突っ込んだ間違いで「間違えているよ」、言葉に出して少しスッキリした。 「え、これ、違うのかよ。やべぇフーゴにキレられる。え〜なんでちがうかなぁ」 頭を掻きながら消しゴムで答えを消した。 「フーゴって、この前の金髪の子?」 「そうだよ。スゲー頭いいんだ。キレるとやべぇ怖いけど」 「スパルタなのね」 「まぁ、うん」 また掛け算に向かった少年の手もとはどうにも正解は導き出せていない。 だからつい、口を出してしまった「まずさ、8×5を考えるのよ」 「考えてるよ8×5で26だろ」 「違うよ、なんで26になるの。8両編成の電車が5つ並んでいたら26じゃないでしょ」 「なんで今電車が出てくるんだよ」 「例えよ!じゃあ、8ピースに切ったピザが五枚有ったら全部で何ピースよ!」 「電車の次ピザかよ!意味わかんねぇ、黙ってろよ」 意味わからないのはこっちよ!言いたかったけど口をつぐんだ。多分、まったく意味がわからないのだろう、これはケンカではないのだから、やめよう。 息を吸って吐いて。 一度頭を冷やして。 そしてもう一度彼の手元を見て。 一生懸命指を動かす少年の鉛筆の先には8×5が38に増えていた。おしい!でも違う! 口に出したいのを必死で堪えながら、フーゴって子はどう教えているのかな、なんて気を紛らわすことにした。 |