フリーキッシュの進捗 メローネさんの予言どおり、あの日から私はメローネさんを焦がれるようになった。どういうわけかわからないけれど、とても気になってしまった。そのハニーブロンドとか緑の瞳よりも、彼が持ってる笑いかたとかしゃべり方が見たくてたまらなかった。けれどこの人はおじいさんがいるうちはあまり姿を現さず、店を閉めるような時間帯にフラリと現れては少しの会話をしていく事が多かった。やっぱり変人だなって思ってた。 そんな時、おじいさんは体を壊しそのままに亡くなってしまった。まだつい先日のように思えるけれど、もう1年は経つ。私はその時に自分で仕立てた葬送服を着て墓地にたった。会心の作だったわ、だからおじいさんに見てもらいたかった。その時にお客のリストに乗る人たちは本当にお祖父さんの服を愛してくれた数人しか現れなかった。そもそも公表することでないから、後から「知らなかった」と言って挨拶に来てくれる人はしばらく絶えなかったわけだけれど。 「けれど、どういうわけか、メローネさんは居たのよね」 「虫の知らせってヤツさ」 当たり前のように言って、そしてニヤリと笑った。 「虫の知らせって本当に?」 「疑うのか?」 「だって私にはわからなかったわ」 「それは愛の大きさ比較にはならない」 段々と東の空が白み始めてきた。鳥が起き始めたのかさえずりが聞こえだす。窓を閉めているから少しくぐもった声だけれど。 「でもメローネさん、お祖父さんのこと、」 小さくきりながらいったら不敵そうに笑んだ。 「変な詮索は止すんだ」 「‥」 「別に敵意があったわけじゃない。本当だ」 手を上げて降参のポーズをした。言うなら信じようかしら。その手は何人もの血を流してきたんでしょうけど、お祖父さんのは入ってないわよね。眺めながら、フウと息を吐いたらハハっと笑われてその手のひらはすぐに握られて見えなくなってしまった。そうやって本心は見せないのよね!だから私は推し量るしかないんだわ。私はすっかり冷めてしまった紅茶を口にいれて、そして重くなった胃を感じながら部屋の片隅をみた。おじいさんの店からただ一つ変えたドアのベル。あまりにも私が世界に没頭するから、その予防策としておいたベル。それを見ながら 「ねぇメローネさん」 「ん?」 「私この店から、出られないと思うの」 「‥」 頷いて、首を回してメローネさんをみた。眼を輝かせたように、不敵に笑っていた。だからちょっと意地悪したくなった。 「でもね、それが嫌じゃないのよ!」 「幸せかい?」 「ええ、女の血をすすりながら暮らす男の話とか考えながらいるの、楽しいもの!」 メローネさんは立ち上がって窓辺にいた私に近寄ってきた。ニヤリと笑う口元に少しドキリとしたけれど、彼はそのまま腕を私にまわして引き寄せて「それなら、キミの幸せを僕が守ろう」と甘ったるくいった「店ごとオレが守ろう」。 われながら顔が赤くなるのがわかったわ。ああ数少ないくどき文句が聞けるなんて!ついフフと笑ったら「真剣だ」と彼は言う、なお更笑ってしまったわ。 私はその腕をゆるく解きながら、それから逃れるように奥のミシン台の椅子に腰掛けた。ストーブから離れて多少寒いけれど、かぶっていたキャスケットを脱ぎ捨ててたら既にメローネさんは目の前にいてその腕を取られた。 「‥メローネさん」 「必要なものはオレがなんでも用意してやる」 「頼もしいわね」 「だから、ミサはここで作品を作ってほしい」 まるで巣から出るなって言われてるみたいだわ。見上げていたら 「まだ、ミサはもっと素晴しい人になる。時間がかかるかもしれないし、明日になるかもしれないけど、オレは知ってる」 「何を知ってるのよ」 「天性さ」 女の血をすするっていうお話の次に夢を見続けるためにベッドを3つ買った男っていうお話にもしようかしら。本気でそう思ってしまった。まるで夢遊病者のようにその緑の瞳の奥には何も映していないのに嬉々として私に迫ってくる。かわすようにまたその腕を払って、そして今度ははじめにいた作業台の上に戻った。やっぱりおいかけてきて、そして今度は逃がさぬように両腕の脇に腕を置き、のしかかるように顔を近づけてきた。 「いいかい?キミはあのジイサンの孫娘だ。そしてなによりジイサンに愛されている」 「‥ええ」 「まだ気がついていないだけなんだ。かならず、きっかけがある。」 「きっかけ?気がつくって、何に?」 「ジイサンが至高の作品を作ったように、ミサもきっと至高の作品が作れるだろう」 「そうかしら」 「作れるさ」 やっぱり夢遊病者のようだわ。危い雰囲気が漂って、そしてしばらくの間は無言になったけれど「たとえば」、根負けしたのは私のほうだった。 「夢遊病者が夢から覚めたら、もう何も求めないのかしら」 その濁ったような瞳をまっすぐ見ながら呟いたら眉を寄せたのがわかった。 「しばらく前に、そうまだ私が学生だったころ、お祖父さんがジャケットをたのまれたのだけれど、私は悪戯心でその生地にホレ薬を焚き染めさせたのよ。そしたら彼はしばらく姿を現さなかったけれど、いきなり現れたの。まるで狂ったみたいな眼をしてね」 「‥悪趣味だな」 「ええ、でも偶々手に入ったのよ。従軍医師を祖父にもつ友人が地下薬品庫から見つけた薬品に、古本屋でみつけたカルト雑誌の調剤をみて作ったんですって」 「‥」 「焚き染めたらすぐ終わっちゃったからもう手元にはないんだけれどね。ねぇ、メローネさん、そのクスリ、何時切れるかしらね」 のしかかっていた体をどかして、どこをみているのか彼は溜息をついた。小さな部屋のなかにまた沈黙がもどった。随分とあかるくなったわね。まあるいかさの電球がさほど目立たなくなった。 「それは、妄想?」 「どうかしら」 舌を出してみせたら、口の端をゆがめてメローネさんはいやらしく笑った。そして飽きたといわんばかりに首を捻って、そして「オレがきいた話じゃあそのホレ薬を嗅いだ日にアマレーナを食べたら一生解けないそうだ」。 「なぜアマレーナ?」 「さぁ?」 楽しそうに小首をかしげてみせた。さっきのケーキを思い出した。こういう瞬間に思うわ、やっぱり私の話を聞いて、話してくれるのはメローネさんくらいしか居ないんじゃないかって!やっぱりメローネさんに仕えるしかないんじゃないかって!楽しくなって私も小首を傾げたら、「ハハ」乾いた風に笑っていた。 「さて、明るくなったから、そろそろ帰るかな」 「これなら道に迷わないわね」 「あぁ無難に夜が去ったようだ」 両脇においた手を離して、背を向けた。何もなかったように片手をあげて「次回作が出来る頃にまた来るよ」と言い残してベルがなるドアを押した。 「メローネさん!」 作業台の上から私は叫ぶように呼んだ。 「‥」 首だけ捻ってメローネさんは私をみる。口はきつく結んだまま。いろんな笑顔の中の一つもないまま。 「今、ね。私、100歳になるおばあさんの誕生日のお祝いの服を頼まれているの」 「へえ?」 「出来上がるのは、‥きっと来週のあたまよ」 「チャオ」 カランカランカランと軽く音がなってドアが閉じられた。フゥと息を吐いて「‥なんてね」小さくいった。最近のもっぱらの口癖とかしてしまったこの言葉。メローネさんが聞いたらどう笑うかしら。 私は働かない頭を揺り動かして、そしてストーブの火をおとした。 きっと私はずっとメローネさんに仕えるのよ。彼が望むものになれそうにないけれど、きっと縋るようにひざまづくんだわ。そして請うのよ、私のお話を聞いてって。ミシン台の椅子に座り突っ伏すように組んだ腕の上に頭をおいた。ぼんやりするままに瞳を閉じた。 私は軟禁されてるの、メローネさんによってこの部屋に。だからメローネさんが来るのをまつしかないのよ。次の約束も不確かなまま、私は彼を喜ばせるためだけに作品を作り続けている。なんて愚かで甘美なの。まわらない頭で考えながら、いっそホレ薬があったらよかったのに、そう思いながら瞳を閉じることにした。 終 |