10ひそかな尊敬
《禁門の変》での一件からしばらくして、平助が江戸へと赴き、同門であった伊東甲子太郎という人物に新選組への加入を打診した。
伊東甲子太郎は新選組と同じく攘夷の思想は持ち合わせているようだが、新選組は佐幕派で伊東さんは倒幕を謳っていたはずだ。近藤さんや土方さんたちが何を思って伊東さんを招き入れたのかはわからないが、幹部の間ではぎくしゃくとした空気が漂っていた。
「久我なつめさんと言うの?」
渦中の人から話しかけられたのは、初顔合わせから2、3日ほどたった頃だった。
何やら面倒くさそうなことに巻き込まれるのではないか、とかかわりは持ちたくなかったのだが、新選組の「参謀」の言葉を無視するわけにも行かず。
『はい。久我なつめです、よろしくお願いします』
「あなた、監察方も兼任しているようね」
何やらを探るような目つきだ。
『はい。……それがなにか?』
「あなた以外の試衛館の人たちは、みんな幹部のようだけど、あなたはそれで不満はないのかしら?」
伊東さんが一体何を画策しているのかが把握できていないため、無難な回答を選ぶ。
『いただいた仕事を全うするだけですから、』
最後ににこりと笑顔までつけておく。
「そう。謙虚なお方なのね。ところで、公家御門では長州藩の敵の襲撃を防いだとか? 拳銃の弾を刀で防ぐなんて、よほどの腕前のようですわね」
これは、当日に一緒に公家御門に向かった隊士たちが、ほかの隊士に噂話をしていて、少しずつ屯所内に知られている話だ。
男の姿に身をやつしている手前、こうした注目は避けたいのだけれど。
『偶然、刀に当たっただけですよ』
「今度手合わせをしてもらいたいものだわ」
『私では力不足ですよ。それこそ、幹部ではないですし』
これは本当のことで、私の剣術は稽古にはあまり適さない。どちらかと言うと実戦向きである。試衛館の面々でこそ、受け入れてもらえているが、ほかの道場では相手にしてもらえないと思う。
「あら。俄然興味が湧いてしまったわ。近藤局長に、新しく入った私の門下生と新選組の隊士の皆さんと親善試合でもお願いしようかしら」
口調はやわらかいが、目は全く笑っていない。ただ、何を考えているのかは少しわかった気がした。
以前土方さんと話した時に、伊東さんはもしかしたら、新選組を利用して入手した情報を持って、薩長に取り入る腹積もりなのではないかと話をしたことがある。
その時のために、新選組の隊士の中で気に入った人を勧誘して引き抜きをするつもりなのかもしれない。この親善試合をすることで、効率よく隊士の情報を集めることができるはずだ。
『互いの実力を知れる、良い機会かもしれないですね。その際は、どうぞお手柔らかにお願いします』
礼儀を尽くすのはこれくらいでいいだろう、とぺこりとお辞儀をしてその場を後にした。
親善試合の話はすぐに現実的な話となった。あの後すぐに近藤さんへ話をつけに行ったらしく、近藤さんは二つ返事で承諾したようだ。まあでもそりゃあそうか。試合をして実力が上がるのだからやらない手はないし、今後一緒に戦うと考えると―――どれくらい長く在籍するつもりなのかはわからないが―――互いの手の内を知っているのは重要だ。
試合をするのは別に良い。そこに特に文句はないのだが。
初めて話をして以降、ことあるごとに伊東さんに話しかけられる。さすがに話す内容がないのか、ここ最近は親善試合の件で、どういう対戦にしようかとか剣術だけにするか他の武術も取り入れるかとか、私ではなくてもいいはずなのに、なぜか私に意見を求める。
付きまとわれているというのは、言いすぎかもしれないが、毎日朝から如何に顔を合わせないかを考えて行動するのが、最近の私の日課になりつつあった。
親善試合を直前に控えたある日。巡察の帰り道、左之さんから問われる。
「そういや、付きまとわれてるって話はどうなったんだ?」
巡察中は伊東さんとも出くわすことがないので、最近は巡察の方が気が楽だ。なんて言ったら土方さんに「気ぃ抜くなよ」と叱られそうだけど。
『まだ続いてますよ。なんで私なんかに付きまとうのか、』
はあ、とため息を漏らすと、「そりゃあ、なつめのことを気に入ってるんだろ」と返ってきた。
『どこに気に入る要素があったの? 私ただ会話しただけだよ?』
「まあ、ほかの試衛館組は、伊東さんのこと相手にしてないからなあ。お前だけがちゃんと受け答えしてくれるからじゃねーか?」
そんなはずはないでしょ、と返そうと思ったが、確かに今思うと、丁寧な受け答えができるのは、伊東さん相手だということを考慮すると一君だけかもしれない。
でも、一君は土方さんの陰の右腕のような感じだから―――。
『ああ、わかったかも』
伊東さんが私に近づく理由。
『私、監察方の仕事で、土方さんと話すことも少なくないから―――私から新選組の情報を入手しようって魂胆なのかも』
確かにな、と左之さんも頷く。しかしそれがわかったからと言って、伊東さんのちょっかいがなくなるわけでも、躱せるわけでもなく。
『はあああ、屯所の中でもこんなに考えないといけないなんて、心休まらない』
そうこぼせば、左之さんは優しく背中をたたいて、「何かあったら俺に言えよ」と。
やはりうちの組長は頼れる人だな、と改めて実感する。
『またお酒飲ませてもらお〜っと』
大切に扱ってもらっている気がして―――もちろん部下として―――、少しだけ照れ隠しでそういうと、
「話ならいつでも聞いてやるし、辛いなら進言するから、一人で解決しようとするな」
真剣なまなざしで、私の目を直視して付け加えられた。
うん、とだけ答えて、丁度良く帰り着いた屯所の門をくぐる。
こういう、誰に対しても優しくて丁寧なところ、私も見習いたいなと、ひそかに左之さんへの尊敬の念をいだくのだった。もちろん、照れるからそんなことは本人に伝えることはしないけど。
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