08方向音痴だったお話
ある暑い日に、急な招集がかかる。集まれる隊士は全員集合らしい。
最近長州勢が京に集まっていると噂になっているから、その関係だろうか。池田屋での一件で長州藩は激昂しているはずだ。
「会津藩から正式に、要請が下った」
近藤さんが意気揚々と話し始めると、ざわざわしていた広間がしんと静まり返った。みんな、次に続く言葉に期待しているようだった。
「只今より、我ら新選組は、総員出陣の準備を開始する!」
近藤さんの言葉を聞いた途端、おお!という掛け声がどこからともなく上がる。みんな嬉しそうだ。早速その場は解散し、出陣の準備を始める隊士たち。私も準備するか、と立ち上がると、「あんまり嬉しそうじゃねーな」と左之さん。
『そんなことないよ』
と返したものの、確かにあまり“嬉しい”という感情はないことに気づく。やはり左之さんは聡い人だなあ。私よりも私のことに気が付くみたいだ。
『うそ。やっぱりあんまり嬉しくないみたい』
素直にそう返せば、ぽんぽん、と左之さんが私の頭をたたいた。
「もともとお前、侍になりたいわけでも、誰かに仕えたいわけでもなかったしな」
『うん。……でも、仕えたくないわけでもないし、仕事はちゃんとこなすよ』
お給金はいいからね〜と付け加えると、左之さんに笑われた。「なつめらしい」とのことだ。どういうことだ。
そろそろ準備を、と顔を上げると、今度は新八さんの声。
「そういや、前に千鶴ちゃんと話した時、参加してみたいって言ってたな」
これは私に向けた言葉ではなかったけど、千鶴ちゃんのことだったからつい足を止めた。ほかの幹部たちも同じくその場に残る。みんななんだかんだと千鶴ちゃんをかわいがっていることが窺える。
「そうだな! こんな機会は二度とないかもしれん」
「えっと、」
あまりにあっさり近藤さんが許可したことに、逆に千鶴ちゃんが戸惑っているようだ。ちょっと面白い。『よかったね、千鶴ちゃん』と伝えると、すぐに土方さんの怖い顔が現れる。
しばらく山南さんとともに反対意見を述べていたが、近藤さんはじめ他幹部が賛成していることから、しぶしぶ同行が許可された。
「お役に立てるように、頑張ります!」
少し不安そうな、でもやる気に満ちた様子の千鶴ちゃんに、その場にいた全員が顔をほころばせたに違いない。
千鶴ちゃんが準備のために慌てて出ていった後で、土方さんが幹部陣に千鶴ちゃんから目を逸らさないようにと念を押していた。局長がそう決めたんだから仕方ねーだろと言い訳してはいたが、その様子がちょっとだけかわいかったと言うのは、失礼だろうか。
でも左之さんもそう感じたらしく、土方さんのいないところでその話で盛り上がった。
それこそ「意気揚々」と屯所を出たのだが、すぐにその意気は消沈した。
命令された通り、伏見奉行所へ向かったところ、京都所司代からは「そのような沙汰は届いておらん」と門前払いをされる。
所司代では話にならないと、会津藩邸へ出向きその旨を伝えたところ、今度は伏見奉行所ではなく九条河原へ向かうように言い渡され、そして九条河原でも「そのような沙汰は受けていない。会津藩邸に問い合わせてくれ」とのことである。
会津藩からの要請にもかかわらず、あちこちたらいまわしにされ、ついに堪忍袋の緒が切れたようだ。新八さんの。
「あ? お前らのとこの藩邸が、新選組は九条河原へ行けって言ったんだよ! その俺らを適当に扱うってことは、新選組を呼びつけたお前らの上司を、蔑ろにする行為だってわかってんのか!?」
他の隊士もみんな同じ気持ちだったせいか、誰も新八さんを止めない。一君ですら、その様子を見守っている。
しばしの沈黙の後、場を収めたのは近藤さんだった。
「陣営の責任者と話がしたい。取り次いでもらえますか?」
そうしてようやく、陣を張る場所が決まったころには、もう日暮れとなってしまっていた。ほぼ1日歩き通しで、雲一つない天気も相まって、みんな疲れた様子だ。
「大丈夫か?」
左之さんは10番組の隊士一人ひとりに声をかけているらしく、最後に私のところにやってきた。相変わらず頼れる組長である。
『うん。1日中歩くのは慣れてるから大丈夫』
「ま、大坂まで休まず行っちまうんだもんな、なつめは」
『調子が良くて急ぎの用があるときだけね』
試衛館にいた頃、ひょんなことから1日中歩き通すことがあり、それからというもの、長距離の移動が得意な人として位置づけられてしまった。それこそ、調子が良くて急ぎの案件があるときには、主に土方さんに重宝されている。
そんな話をしながら野営の準備をし、みんなが座ったころには、日も暮れて薄暗くなり始めていた。
「休まなくて平気か?」
『大丈夫』
夜更け、隊士たちがざわざわしていた声が、少しずつ聞こえなくなり、時折ポツポツと誰かが話をする。寝ている隊士もいるだろうから、と小声で話しかけると、なつめも小声で返してきた。
千鶴も初めこそ気を張っていたが、そのうちうつらうつらし始め、座ったまま器用に眠っている。
「そういやなつめ、方向音痴は直ったのか」
そんな折、唐突に土方さんが口を開いた。珍しく、意地の悪い笑みをたたえて。
『なんの話です?』
なつめが怪訝な顔で答える。これからどんな話が始まるのか、でも土方さんの顔を見るにおそらくからかわれるのだろう、といった顔だ。
「前に、使いに出たままどっか行っちまっただろ、」
「あ〜、あったあった。店とは真逆の方向に行ったっきり、1日帰ってこなかった日だろ?」
土方さんに便乗すると、『今さら蒸し返さなくてもいいでしょ』となつめが拗ねる。
『この話は終わり』
まだ始まってもいないのだが、よほど恥ずかしいのか会話をさせないなつめだったが、近藤さんが会話に入ってきて、そうもいかなくなる。
「懐かしいなあ。あの日は1日中探しまわったな」
肝が冷えたぞ、と続く。
確かにあの日は、肝が冷えた。確か、冬の寒い日だった。
何かの使いで買い物に行くと一人試衛館を出ていった。なつめがまだ試衛館に来てそう長くはなかったが、あんまりにも自信満々に出ていくもんだから、だれも止めることなく送り出した。
しかし、しばらくしても帰って来ず、稽古の休憩中にその辺を見て回ったがどこにも見当たらず。その日は稽古そっちのけで、試衛館の面々総動員でなつめの捜索に当たった。
店の方に姿はなく、町の人に聞き込みをしてみると、そもそも店にもたどり着いておらず、まったく逆の方へ歩いていったことが分かった。
途中までは1本道だったため、土方さんと新八と3人で迎えに出たのだが―――都合よく道が3本に分かれていた。それぞれ違う道を進むことになる。
そうして先へ進み、日が暮れて薄暗くなった頃。
「なつめか?」
木の陰に誰かの姿が見えて声をかけると、びくっと驚いた後に、『左之さん、』と返ってきた。
「こんなところで何してんだ。探しただろ」と頭をなでると、それまで我慢していたであろう涙が、ぽろぽろとこぼれる。しばらく頭をなで続けていたが、寒かったのか、だいぶ冷えていることに気づく。着ていた羽織をかけると、少し落ち着いたようだった。
『使いの店、全然なくて』
「ないっつったって、結構歩いたぞ? 3里くらいはあるんじゃねーか? 4里はあるか?」
『……前に住んでた家は、店まで結構離れてた』
俯きながら話すなつめに、内心舌を鳴らす。こいつの家のことは今は話題にしない方がいいってみんなで話をしたのに。
家のことや家族のことは話したがらないし、その話題になるとどことなく辛そうだったから、なつめが話したいと思うまでは俺たちからは彼女の過去に関する話をしないと決めている。
しかし店まで3里離れてるって、どれだけ山深いところに住んでたんだ? そもそも江戸までどうやって来たのか。
浮かんだ疑問は、今度こそ話題にはしない。
「そうだったのか。まあ、お前が無事で良かったよ。……暗くなっちまったし、今日はここで野宿するしかないかな」
ゆっくりできそうな場所を探していると、なつめが『まだ歩けるよ』と。
「元気だな。……でも、夜道は暗いし、明るくなってからの方が、」
『私、夜道も歩ける』
冗談かと思っていたのだが、本当に夜目が利くらしく、迎えに来たはずの俺の手を引っ張って、来た道を戻り始める。
しばらく歩くと―――といっても半刻ほどは歩いた―――、土方さんと新八と別れた分かれ道で、その2人が待っていた。
「いたのか?」
もうすっかり暗くなってしまい、人の判別がつかないせいか、土方さんが確かめるように問う。
「ああ。しかも、夜目が利くらしい。ここまでつまずくことなく歩いてきたんだぜ」
しかしさすがに男3人を引き連れて歩くわけにも行かないか、と今度こそ野宿の心づもりをしたときに、提灯を持った人影が近づく。近藤さんと総司だった。
「いたいた、」
とは総司で、近藤さんも「いやあ良かった!」と安堵した様子だ。
どうにかこうにか、提灯の明かりをもとに試衛館まで帰りついたが、帰り着いてもなつめは特に歩き疲れた様子もなくけろっとしており、それが今のなつめの処遇にもつながっている―――大坂やら江戸やら長距離の移動の仕事はよくなつめが振り分けられる。
『あ〜そんな昔の話。そもそもあれは、総司が悪かったじゃない!』
「確か、総司に言われた適当な道順に沿って行ったんだったか?」
「総司のヤツ、冗談しか言わねーからな」
「あいつなりに、悪く思ったから迎えに来たんだろう」
昔の話を持ち出され、不貞腐れたなつめに、みんながクスクスと笑う。
そんな和やかな夜が終わり、空が白み始めた時分に。
ドオン
大砲の音が響く。
戦が始まったようだ。
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