37炎縄印
「七郎」
裏会十二人会幹部の処分を七郎に頼んだ後で、もう一度その名前を呼んだ。
「なんです?」
「……雪女の妖混じりの子が戦場のどこかにいるから、その子保護してやってくんない?」
「いいですけど、」
「完全変化とか始めると面倒なことになるから、早々に捕まえたほうがいいわよ」
不思議な顔で、しかし詳しくは聞かずに彼はその場を後にした。
「墨村君が、あんな顔をするんだもの。……助けてあげたい気にもなるわよ」
もちろん、個人的な興味はあった。
けどこの戦場の中わざわざ探しだすほどではない。
七郎にそれをさせたのは―――墨村君にあんな顔で頼まれたから。
―――リンを、頼みます
総帥を討つという使命を受けた彼は、嬉しそうな半面、ひどく困ったような顔をした。
しかし総帥討伐の方へ天秤が傾いたのだろう、彼は頭を下げてそう口にした。
「いいわ。私も興味あるし、回収は任せて。あんたは総帥に集中して」
送り出した背中は、どこか寂しそうだった。
戦は順調に進んでいたのだが、ぬらちゃんの統率力が一瞬揺らいだ。
その瞬間に、押していたはずの戦況が、裏返りそうになる。
ぬらちゃんの意識が飛び、鬼たちが行動を停止した―――と認識したときには、ピキピキとあちこちから音が発生していた。
それはだんだんと大きくなり、何が起きているのかを理解したときには、戦場の1/3ほどが飲まれていた。
「これがその子ね、」
墨村君は「リン」と口にした。
雪女の妖混じりだが―――雪女にしては、とても強い妖気を持っていた。
「こりゃあ、ほんとにできたかもね、雪のシャワー」
雷を落せば雪を砕くことができるだろうか、と身構えたのだが。
雷は落とさずにすんだ。
総帥の海蛇が、一斉に同じ方向へと逃げ始めたのだ。
うじゃうじゃ、と物凄い数の海蛇だ。気持ちが悪いというのが素直な感想だった。
しばらく茫然と海蛇の流れを見ていたのだが、不意に名前を呼ばれた。
近くに七郎がいる。
何やら抱えている様子だ。
「この人だと思いますけど」
抱えていたのはどうやら人間だったようで、しかも回収を頼んでいたリンだった。
「ケガしてるの?」
「いや、それは大丈夫だと思います。ただ、……これ、」
「ん?」
七郎の指差す先にあったのは、ひどい炎縄痕だった。
色白の肌のせいか、余計に熱を帯びた部分が赤く染まってみえる。
「ひどいわね、これ。もっと違う炎縄印もあったでしょうに」
妖混じりの力を抑制するために施される炎縄印には、いくつか種類があり、相性に合わせて変えてあげる必要がある。
一昔前までは、相性云々の考慮はされなかったのだが、この子くらいの歳なら彼女にあった炎縄印もあったはずだ。
「つけなおします? うちの医療班に―――」
『結構、よ、』
不意に、声がした。
見ると先ほどまで青い顔をして気を失っていた女の子が―――リンが、うっすらと目を開けている。
「あんた、」
『相性が悪いことくらい知ってたわ。けど、このままでいい』
「あんたこのままだと、」
『どこの誰だかしらないけど、勝手に人の体のこととやかく言わないで』
七郎の腕から逃れるようにもがくリンに、「墨村君から頼まれてるの」と伝えると、不服そうに静かになった。
『正守はどこ』
「総帥を討ちに行ったわ。……あんたや他のみんなから総帥の海蛇が抜けてるから、何かしらの進展はあったんだと思うけど」
敵意むき出しの彼女と対等に話をさせてもらうにはどうすればいいのだろうか、と頭をひねったところで、仲介者がようやく登場した。
「リン!」
近づいてきたのは墨村君で、その声を聞いた途端に、彼女の表情が安堵したときのそれになった。
『正守来たので、離してもらってもいいですか』
「七郎、離してやんな」
七郎から墨村君へと無事にリンの受け渡しが済んだところでようやく、リンの敵意が無くなったような気がした。
『っ、』
「リン?」
『……大丈夫、』
今度は墨村君の不安そうな目がこちらを見た。
「……総帥の力で妖気使ってたから、たぶん炎縄痕の痛みだと思うよ、それ」
説明を続けようとしたところで、彼女からきつく睨まれたので、それ以上は何も言わなかった。
「竜姫さん、リンが落ち着いたら話しておかないといけないことがあります。今日のうちに、時間とれますか?」
去り際にそんな申し出があった。
こちらとしても丁度いい話だったので、OKサインを出して一時解散となった。
prev/
next
back