鏡花水月 | ナノ
17文弥ファイル

珍しく疲れが取れたような朝だったので、朝日が昇るや否や、行きつけの雑木林へと出かけた。こんな日は剣の修行にはもってこいだ。

日の光を斜めから受け、鳥の声を聞きつつ、一振りするごとに風を切るような感覚がとても心地よい。いい朝だ。

「リン、朝ご飯食べてからにしてよ、せめて」

早起きをしたというのに、当たり前のように後ろから声が聞こえてくる。これはまじない班兼救護班兼私専用の体調管理係の文弥の声である。
いつでもどこでもついてくる優秀な人物。

『まだ寝ててよかったのに』
「それならリンも朝寝坊してよね」

右手には少し分厚い本を持っているから、何だかんだ言いつつ、朝食前の稽古につきあってくれるのだろう。

剣を振りながら、ふとした疑問が頭をよぎった。
そういえば、文弥はいつからこうして私の面倒を見るようになったのだろうか、と。
面倒を見られるのは比較的最近だったかしら、その昔は私が文弥の教育係を担っていた。
……もう何年前の話だろうか。





『文弥、一人で行ける?』

本部はだいぶ近づいたが、まだ見える位置にはない。おまけに夜ということもあり、本当なら文弥一人を行かせたくはなかった。

「リンを置いていくのはできない!」

涙を浮かべながら、しかし強い眼差しで文弥は訴えた。

「僕が背負って帰るから、リンも一緒に、」
『だめよ。あなた怪我してるでしょ』

立っていることも難しくなり、その場にしゃがみこんだ。
そうでなくとも、今日は新月の夜だ。月明りもないため、辺りは真っ暗で何も見えない。文弥の申し出を受ける訳にはいかなかった。

「リン、僕のせいで、」
『文弥。こっちむいて』

泣いているのを隠すためか、うつむいていた文弥と無理矢理に目をあわせた。

『あなたを一人で行かせるのは、あなたを助けるためじゃない。二人とも助かるためよ』
「リン、も?」
『そう。だからお願い、文弥一人で頭領呼んできて』
「……わかった」

ほっとしたせいか、目眩に襲われ倒れこみそうになる。

「リン!」

文弥が怪我をしていない方の腕で食い止めてくれたようだった。

「リン、リンも約束して。僕が頭領呼んでくるまで死なないって」

もう涙を我慢するのは諦めたのか、強い口調の割に彼の顔は涙でいっぱだった。

『うん、約束する……気をつけて、文弥』

口を固く結び、文弥は山を下っていった。
その背中を見えなくなるまで見ていたはずだが、いつの間にか意識を手放していた。





リンが死んじゃう。
リンが死んじゃう。
リンが死んじゃう。

頭のなかはただそれだけだった。

僕のせいでリンが死んじゃう。
早く頭領のところに行かなきゃ、

ズルッーーー

「っ、」

木のツルに足をひっかけ、斜面を軽く転がった。
もう何度目かもわからない。
服は泥だらけになっているが、そんなことはどうでもいい。

リンを助けたい。
早く本部へーーー

見えたっ!!!
本部の瓦屋根が見える。灯りがともっているためか、暗闇でもはっきりわかった。

「頭領ーーっ!」

精一杯叫びながら走った。途中でやはり転んだけど、もう痛みさえ感じなかった。

「どうした、文弥、」
「頭領は!?」

息を切らしながら、門番にそれだけ聞いたところで、少し怖い顔をした頭領が走ってきた。

「文弥か、」
「頭領! リンが死んじゃう、山の中で、」

言いながらやっぱり涙が出て来て、必死にこらえていると背中に大きなあたたかい手が触れた。

「大丈夫だ、文弥。ゆっくり深呼吸して」

言われた通り、大きく息を吸って吐いてみると、僕の目線にあわせるように、頭領の顔がすぐ近くにあった。

「どうした」

「任務中に、リンが僕をかばって負傷しました。敵は倒したけど、傷から毒が入ってリンが山の中で動けなくなって、ーーー」

ドクン、と妙な音がして、体の中から何かが込み上げてきた。

「っ、」

反射で口元をおさえたが、おさえた手をみると血がついていた。
不思議と怖くはなかった。

「文弥、お前も毒を触ったのか?」
「僕は大丈夫、だからリンを助けにっ」

今度はグラリと大地が揺れた。
平衡感覚を失って、立っていられなくなったところを、頭領に支えられた。

「リンは大丈夫だ、俺が探してくるよ。お前は治療を受けろ」
「でも、場所、」
「ダメだ。今は無理をするべきじゃない。わかったな?」

全然わからなかったが、頭領に睨まれれば納得せざるを得ない。
おまけに、目眩がひどく一人では歩けない。モタモタしているうちに救護班の元へ連行され、そのあとは覚えていない。

ただただ、リンへの罪悪感が残った。





「リン!?」

黒姫を呼び出し、どうにかリンを見つけた。山の中で倒れていたリンは、すでに意識を手放していた。
生きているのか。
そんな嫌な考えをぬぐい去るように、倒れているリンの体を抱えた。

体が冷たいが、これはいつものことだ。
左下腹部に出血、変色しているーーー毒も盛られているようだ。
脈はーーー。

焦る気持ちを押さえて、振るえてしまう手を彼女の細い首筋にそっとあてた。

ふぅ〜。

脈もある。息もしている。
安堵のため息をつくと、リンがうっすらと目を開けた。

『まさ、もり』
「もう大丈夫だ。ゆっくり寝とけ」
『文弥、は』
「大丈夫。文弥は本部で手当てを受けてるよ。お前ももう喋るな、毒がまわる」

肯定の意なのか、リンはゆっくりと目を閉じた。
色白の顔が、今は真っ青だ。

死ぬなよ、リン

言葉にするかわりに、きつく彼女を抱えた。
急いで手当てをしなければ、という思いの現れだった。





「救護班っ!」

ドアを蹴破るような勢いと怒鳴り声だったためか、リンの容態を気にしてか、すぐに玄関が人で溢れ帰った。

「すぐ治療してくれ、こいつ死にそうだ」

リンは戻る途中で吐血し、みるみるうちに生気をなくしていった。
帰りついた頃には、かろうじて息をしている程度だった。

菊水と白菊は、彼女の容態を見て顔をしかめた。

「急げ」
「一刻を争う」

治療するために布団に寝かせると、男は出ていけと言わんばかりの勢いで部屋の外に出された。
あとから助っ人要因で刃鳥が呼ばれたが、それ以降は部屋の出入りはなかった。

時間ばかりが過ぎ、しかし待てども待てども部屋から誰も出てこない。
戻って仕事をしようとも思ったのだが、何も手につかなかった。

「頭領、先に風呂入ったらどうですか」

一緒に隣の部屋で待機していた巻緒が沈黙を破った。

「……そうさせてもらうか」

こういうとき、自分の無能さを痛感する。
俺は何もできない。

強くならなければーーー。

頭領として。
みんなの命を預かっている者として。
俺は強くなければならない。




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