鏡花水月 | ナノ
01サービス残業、往復送迎付き
「急いで戻ってこれる?」

電話の相手はおどけた口調だったから、事態はまずい方向に動いているのだろう、と予想をつけた。
昔からそういう人だった。

『こっちはいいの? ほったらかしにしても。あと半月は猶予がある案件なんだけど』
「もちろん片付けてから」
『お給料は弾んでくれるのかしら。残業手当でるなら頑張ってあげるわ』
「うちの事情わかってるだろ。戻り足くらいなら用意できるよ」
『用意できるって、蜈蚣を送るだけじゃない』

まったく人使い荒いんだから。
ボソボソ文句を言ってみたが、私が本気でないことは向こうもわかっている。
2、3年の浅い付き合いではない。夜行の中では私と彼が一番長い付き合いになっていた。

「じゃ、よろしく。無理しすぎるなよ」

はいはい。
決まり文句のように付け加えられた最後の言葉に、返事をしながら苦笑した。
すぐに片付けろって言ってたそばから無理をするなと言うのは矛盾ではないのか。

『はあ〜』

どうしたものか。
明日からは配置を変えて、一気に畳み掛けるか。
消耗は激しいが、蜈蚣が迎えに来てくれるなら、帰り足で休むこともできるだろう。

夜、口から吐く息は白い。
夜行で何があったのか、正守は詳しくは語らなかった。
悪いことが起きたのか、これから起きるのか。
帰ってからも忙しくなりそうだ。





電話を切ると、副長の刃鳥がお茶を用意してくれていた。一口口に含んだところで、刃鳥が笑みをこぼした。

「わかりやすいですね」
「なにが?」

わかりやすいと言われることに心当たりがなかったので聞き返すと、刃鳥が微笑のまま答えた。

「電話の相手はリンだろうなと思って」
「ああ、残業手当ねだられたよ」
「帰ってこられそうなんですか?」

会話の方向性が変わった気もするが、まあいいか。

「あと3日もあれば終わらせられると思うから、それにあわせて蜈蚣を向かわせといて」
「わかりました」

少し心配な節もある。
今まで急がせなかったのは、リンの体も関係している。
戦闘能力は非常に高いが、昔から病弱で、能力に体がついていかない典型だった。
無理をしすぎても良くないため、俺ももちろんリン本人も「6割型」というのを覚えた。
リンにはそれくらいがちょうどよかった。

「それにしても、会うのは久しぶりですね。3ヶ月ぶりですよ」

刃鳥とリンとは、若いのが多いこの夜行の中で、互いを支え会う仲だった。
昔は二人で飲みに行くこともあったようだ。
刃鳥が副長という立場ではあるが、どちらも既に夜行には欠かせない存在になっていた。

「また痩せて帰ってきそうだ」

久々に飲み会でも開きますか。
刃鳥は少し嬉しそうだ。
飯は食べられなくても酒なら飲めるらしい。リンに栄養をつけさせる一番の近道は飲み会だった。

「これから忙しくなるだろうから、ちょうどいい機会かもしれないな。準備頼む」

そろそろ雪が降るだろうか、という頃。
雪を思うとリンが連想されるのは、もう当たり前のことになっていた。




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