君の傍に

ありがとうさえ言えなかった


親子になったばかりの少しぎこちない娘から、感謝の気持ち

ナイレン・フェドロックという人は、本当にいい人だ。アイナは心底そう思う。おとぎ話みたいな信じ難い事情を、すんなり受け入れて笑って頭を撫でてくれた。
しかしナイレンは、アイナを娘に迎えてから酷く忙しそうにあちこちバタバタ動き回っている。それは彼女を守るためにそうしているのだと、怖がって寂しがっていたアイナに副隊長のユルギスがそっと教えてくれた。

ユルギスは、ナイレンが一緒に居られない時には必ず代わりに傍に居てくれる、優しく笑う人だった。文字や常識、魔術を教えているガリスタ・ルオドーなる軍師と居る時間の方が長くても、彼女はユルギスの方に懐いていて。賢い子犬ランバートと自分を見上げる無表情なアイナを、ユルギスはとても可愛がっていた。

彼女は声が出ない上に表情が動かないので、その感情を読み取るのは困難を極める。けれどユルギスには、時々それがどうしようもなく「何か言いたそう」に見える日があった。

「どうした?アイナ」

訪ねても、彼女は家族になったばかりのランバートを抱く小さな腕に力を入れる。俯いて首を横に振ると、突然身を翻して走り出した。ててて……と遠ざかっていく小さな背中を見送っていて、途中ではっとする。

「(そうだ、そういえばあの子やたらと隠れるのが上手だった)」

その特技は、ランバートが家族に加わる前に何度か発揮されたものだった。隙を見付けてはどこかに行ってしまう。一度見失っては見付けられない、ある意味かくれんぼの天才児なのだ。

けれども、アイナは決してかくれんぼをして遊びたい訳ではないのだと誰もが知っている。隙を見て逃げて隠れて、どこかの隅っこでただでさえ小さい体を縮めて音もなく泣いているんだ。
そうだとわかっているから見付けて抱き締めて、大丈夫だと小さい背中をトントン叩いてあげたいのに、ユルギスを始め隊員総出で探し回っても見付け出せない。しかし、なぜだろう。ナイレンはまるで、ずっとそうしてきたようにあっさり見付けてあやして、すぐ泣き止ませてしまう。

またひとりで泣きに行ったのではないか――と。ユルギスは不安になった。この日は陽が暮れてからでないとナイレンが帰って来ない。だから今見失ってしまったら、ナイレンが帰って来るまでの間ずっとひとりで泣く事になってしまうかも知れない。

ユルギスは必死に小さな少女を追ったが、やはり見失ってしまった。



一方、ユルギスが今自分を懸命に探しているとは夢にも思わないアイナは、ユルギスの部屋に侵入していた。そろり、そろりと静かに歩く。その隣をランバートが付いていった。ひとりと一匹が彼の机に向かい合う。そっと目的の物を置くと、またそろり、そろりと静かに歩いて、静かに扉を開けて閉めた。

次はナイレンの部屋……隊長室だ。夕方まで帰って来ないのを聞いているので、先程のようにコソコソする必要もない。

アイナにはありがとうさえ言えなかった。書く事も、まだ出来ない。日頃から思う感謝の気持ちを伝える術がなくて無力だった。
かと言って大人の男性に花を贈るのは、どうかとも思った。しかもその辺に生えている、雑草に分類されるそれを贈るなんて、もっての他だ。

だけどこの世界に落ちて間もない、何も持っていない、喉から音を出せないアイナが気持ちを伝えるには、ありきたりだがこれしか考え付かなかった。

嗚呼なんて無力。
それでもナイレンは、喜んでくれる。ユルギスがどう思うかわからないけれど、ナイレンは必ず笑ってくしゃくしゃ頭を撫でてくれると、そう思えた。

ナイレンの机に小さな花束を置いて、ランバートとふたりで机の影になって見えない場所に座り込む。パタパタ尾を振ってくれる彼を撫でた。

「(ナイレンさん……まだ、かな)」

自分のために忙しくしているのは理解しているけれど、やっぱり寂しくて、あの笑顔と温かさが恋しい。

「(お父さん……か)」

いつか音にして呼べるだろうか?心の底から、なんの違和感もなく彼を父と慕えるだろうか?
不安は他にもたくさんある。それでもナイレンとなら、ちゃんと自然な家族になれる気がした。

窓からの陽射しが温かく気持ちがいい。ランバートも口をむにゃむにゃ動かして眠っている。ナイレンを待っているアイナも釣られて眠気が押し寄せてきた。
夕方まで、まだ時間がある。それに起きて待っていたい。ありがとうを言えない代わりに、せめて不器用でもいいから娘として甘えたい。

うとうと、うとうと。

起きて待って、おかえりなさいを言えない代わりに抱き付いてみようか。

うとうと、うとうと。

これからたくさん感じるであろう、ありがとうを言えない代わりにどう伝えていこう?

うとうと、うとうと。うとうと、うとうと。

まず文字を覚えて、文字でたくさんありがとうを書いて、それから、それから。

「……なんだ、ここに居たのか……よかった。ひとりで泣いてるんじゃなくて」

微睡みの中でユルギスの声が聞こえる。

「風邪を引くじゃないか……まったく」

ため息が聞こえた。

「おやすみ、アイナ。可愛い花束ありがとう」



END

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