君の傍に

嗚呼、愛しき娘よ 〜ナイレン・フェドロック娘離れ奮闘記2


それは、宿舎の廊下を歩いている時でした。ナイレンの背中にドン!と何か打つかって、それと同時に背中から腹にぐるりと細い腕が巻き付いたのです。勿論ナイレンはそれが見ずとも言わずとも、聞かずとも犯人が愛娘アイナである事が理解出来ました。

なぜかって?そんなの愚問です。ナイレンは約六年という月日を彼女と親子として積み重ねる事で、体温や飛びつき方、回した腕の力加減でわかるようになったのです。

それにしてもアイナがこんな風に突然、廊下で背中から飛び付いてくるなんて珍しい事です。それも今は昼食時間の前で、彼女は今日新米騎士のフレン・シーフォと昼食当番なので、今は厨房に居なければならないはず。

仕事を放っておくなんてするような子ではない事は、ナイレンが誰よりも知っています。それゆえに不思議に思ったナイレンは、それを訪ねてみる事にしました。

「なんだ、急に。何かあったのか?」

小さな手をぽんぽん、と優しく撫でながら訪ねると、背中に押し付けられた感触で縦に頷いたのがわかります。ならば、とりあえず離して訳を聞こうと手を差し出します。すると、いつものようにナイレンの大きな掌にアイナの細くて小さな指が滑り始めました。

『フレンが私に敬語使ったり先輩扱いするのに耐えられなくなって、何も言わないで逃げて来ちゃった』

どうしよう、と書いたのを最後に俯いたアイナ。その顔を覗き見ると、相変わらずわかり辛いけれど拗ねているような、困ったような表情をしています。

そういえば、とナイレンは記憶を呼び起こしました。騎士団員募集の試験、その試験官に抜擢されたアイナが仕事から帰った後、フレンという少年が自分の兄と、とても似ていたと教えてくれた事を。

それで納得したナイレンは、大切な大切な愛娘が安心するように悩む必要なんてどこにもないと豪快に笑いました。

「敬語も先輩扱いも止めてくれって、フレンに頼みゃいい話じゃねぇか」

するとアイナは「でも」と文句を言いたげな顔をします。それも酷く理解し難いものでしたが、そのとっても、とっても微妙な違いはナイレンにはわかるのです。

確かに彼は、ユーリと違ってそういう事には妥協しなさそうな感じはします。けれど、ナイレンには確信にも似たものがあったのです。アイナの事情を、その秘密を知った彼ならば彼女の願いを聞き入れるだろうと。

フレンは酷く真面目な性格ですが、真面目なのと同じくらい優しいとナイレンは思うのです。だからなのでしょう、彼の中にある確信にも似たものは。

「フレンなら大丈夫だ、わかってくれる。お前は、ただフレンに自然体でいて欲しいだけなんだろ?」

そう尋ねれば、アイナは小さく首を上下に動かしました。それを見てナイレンは柔らかく笑むと、彼女の体をくるりと反転させます。アイナはきっと、大きな目を真ん丸にした事でしょう。

様子の可笑しかった娘を追って来てくれた、フレンの姿があったから。アイナは背後だったからわからなかったでしょうが、ナイレンには真正面なので丸見えだったので無理もありません。

「ほら、さっさ仲直りして頼んで、さっさと厨房に戻れ。飯の時間、遅らせるんじゃねぇぞ」

とん、と背中を優しく押しました。まだ少し戸惑ったまま、それでも「ごめん」の意味を込めて頭を下げたアイナは、おずおずとフレンの手を握ります。その掌に文字を残していのを、彼は真摯に見詰めて読み解いていました。

しばらくして、フレンが戸惑いがちに笑いました。その唇から「わかったよ」という言葉が出て、アイナの髪を優しく撫でます。その手つきはまだぎこちないものの、ナイレンは安堵しました。

愛娘アイナの心を、彼女がこの世に生を受けてからずっと守り支えていた、兄という存在。その事実も失ってから気づいたと己の愚かさに涙した愛しい、愛しい娘。

彼女がまた笑うようになるには、声を発するようになるには、やはり「兄」が必要なのだとナイレンはずっと、ずっと考えていたのです。

兄の代わりに、なんて愚かしい事は言いません。けれどナイレンは、ずっと寂しさも懐かしさも我慢していたアイナが涙してしまうくらい、雰囲気や仕草が似ているフレンならば、真面目で優しいフレンならば、彼女の兄の分も彼女を大切にしてくれると感じていたのです。

それは直観的なものであり、何の保証も確証もないのでしょう。

それでもナイレンは、大切な大切な愛娘が笑顔と声を取り戻す事が出来るのならば、自分の不確かな直観にすら縋りたいのです。

すぐでなくていいのです。ナイレンは「いつか」再び笑ってさえくれれば、あわよくば声で「お父さん」と呼んでくれたのなら、それだけでいいのです。

「(そのままのお前でいい……頼んだぞ、フレン)」

すっかり仲直りをしたアイナとフレンが厨房へ戻っていきます。がっしりしているけれど、なんだかまだ頼りない背中へ一方的に想いを託すと、ナイレンは仕事をするため隊長室へ向かって伸びる廊下をまた歩き始めました。



to be continued...

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