君の傍に

37


苔の付着や型崩れした石壁が、過ぎ去った歳月を語っていた。その中を死角のないよう慎重に進む。赤く染まったエアルが所々で見て取れた。アイナは青白い顔で額から汗を流しながら、懸命にエアルの濃い場所を探っている。

エアルの最も濃い場所にエアルが荒れている原因があると考えているのだ。ナイレンも同様の考えである。アイナが「こっち」と言う方には、赤く染まったエアルが僅かだが多く存在していた。

濃い方へ……濃い方へ。そうやって遺跡の奥に、奥に向かっていく。アイナの顔色は比例して悪くなっていった。しかし彼女は気丈に先陣を切る。髪の黒とリボンの花色と白が、その歩調に合わせて揺れていた。それらがピタリと止まる。

「……お父さん、あの奥」

額からひと筋の汗を流してアイナが呟く。階段下の壁に、扉のない入口があった。その真っ暗な長方形の穴からは、赤い蛍のような光が無数に溢れ出ている。

「気ぃ抜くなよ」

ナイレンが言い、一同は陣形を崩さず緊張感を保ったままそこへ向かった。隊全体の背後を守るユーリとヒスカがゆっくりと、最後に入口の前へ辿り着く。ナイレンとアイナが先行して薄暗い向こう側へ足を踏み入れようとした時、ヒスカはそんなふたりの背後の、ある一点を見詰めていた。

「どうした?」

隣に居るユーリが気付いて声をかける。が、ヒスカは黙ったまま道中で配られた札を魔導器(ブラスティア)にかざしていた。札に描かれた術式が魔核(コア)に刻まれ、剣を構え直す。彼女が息を呑んだ次の瞬間、石の跳ねる音がした。次に右から一度、その次は左から一度聞こえたその音は、間もなく四方八方から絶え間なく響き始める。

石達が、ヒスカの見詰めていた先に集結していた。それらが形を成していく。人の形を模したそれは大柄な男と同じくらいの大きさの、ゴーレムと呼ばれる魔物となった。すると途端に襲いかかってくる。咄嗟に行こうとしていた暗い入口の向こうに飛び込んだ突撃班の一同は、光の射す方を見詰め警戒した。

「(まだだ……来る!)」

こちら側へ石達が転がってきた。アイナは焦って声を張る。

「みんな急いで奥へ!走って!」

すぐに反応して走ってくれた彼らの真ん中を、アイナは父に手を引かれながら走った。少し遠くから轟音が響いている。それを耳にしながらアイナはナイレンに合わせて懸命に足を動かした。角を曲がって少し走ると強い光が差し込んでいるのが見えてくる。太陽の下に出て、ナイレンが足を止めた。アイナも走るのを止める。すぐにたった今出て来た穴の隣にある壁に背中をくっ付けた。

隣でフレンが剣を構えて同じように壁に背を預けている。アイナは拳を握り直した。轟音が迫って来る。無意識に息を呑みこんだ次の瞬間、すごい勢いでユーリが出てきた。その時、初めて彼が逃げ遅れていた事に気付いてアイナは申し訳なくなる……よりも先に、ユーリが落ちそうになった。

逃げ出て来たこの場所は、剥き出しになった外廊下だ。しかも三階くらいの高さがあるため、落ちたらただでは済まされない。

「うわ、あ、く……!」
「ユーリ!」

アイナが助けようと手を伸ばす。それよりも素早く、隣で動く気配がした。

辛うじてバランスを保っていた左足が、ズルリと落ちてしまった。ユーリの体が投げ出されて落下してしまう。が、彼の右手を素早く取った人物が居た。ユーリが少しだけ目を見開いて驚く。両手でしっかりと掴んだ右手を握り直したその人物は、息を止めて全力でユーリを引き上げた。

四つん這いになったユーリが肩で荒い息を繰り返す。そうしながら、ユーリは自分を引き上げてくれた男を見詰めた。短い金色の髪がユーリと同じ速度で揺れる――助けてくれたのは、目の前で同じようにへばっているフレンだった。

礼を言おうとした口が、荒い息しか出してくれない。ただ、想いを寄せる少女が、自分の手を握って安堵している事が酷く嬉しかった。



この場所は「中庭」と称していいのだろうか。大きな柱、だったと思われる物の残骸がいくつか横たわる枯れ野原に、それは建っていた。

天辺の周囲を無数の深紅の雷が走り、その根元から数多の赤いエアルを滲ませる塔。この地下に、全ての原因があるのだと理解出来た。

それにしても、やはり進む程アイナの具合は悪くなっていく。彼女の蒼白な顔色を案じている者がほとんどだったが、一様に「これ以上進むのは止めろ」とは言わなかった。その焦げ茶色の瞳に宿る強い、強い意志に気付いてしまっては「止めろ」の「や」の字も音にならない。

アイナは、予想以上に濃く乱れたエアルに眉を寄せた。瞬間、カランと剣の転がる音と何か鈍い音が聞こえて振り向く。彼女は目を見開いた。小石を数個付着させた細長く真っ赤な、蛇に似たエアルの筋が、ナイレンの左腕を貫いていたのだ。

「お父さん!!」

フレンが尻餅を着いている事から、彼を庇っての負傷だというのは頭の端で理解出来る。それよりも父だった。眉間にシワを寄せて唸りながら、一歩ずつゆっくり後退していく。が、中々引き抜けない。アイナは苦しむ父を助けようと地を蹴った。その足が半端な場所でピタリと止まる。空を仰ぎ見た彼女を追うように顔を上げると、大きな人影が降って来た。

大きな人影は着地と同時に、ナイレンの左腕を貫いていた赤いエアルの筋を断ち切る。兜でよく顔は見えないが、アイナにはわかった。あの体格は、間違いない。

ほんのちょっと上体を起こして骨が鳴った腰をとん、とんと拳で叩きながらその人物はナイレンを見上げた。

「よぉ」
「メルゾム?」

目を丸くするナイレンを余所に、メルゾムのギルド仲間達が次々と現れる。どこか安心したようにその場に座り込んだ。空かさずシャスティルが負傷したナイレンの腕に治癒術を施し始める。

「はぁ……年だなぁ、ナイレンよぉ」
「お互い様じゃねぇか」

ニヤリと嫌みったらしくメルゾムが口角を上げれば、ナイレンも同じように鼻を鳴らした。皮肉たっぷりのふたりの表情だけれど、アイナは安堵する。そうしたら背骨を抜かれたみたいに、ペタリと座り込んでしまった。唇から洩れた安堵の息に、フレンは彼女の顔を覗き込む。

「大丈夫かい?やっぱり体、辛いとか……」
「ううん、違うの。力抜けただけだから心配しないで」
「ならいいけど……あまり無理はしないようにね」

静かに、アイナは首を左右に振った。くしゃりと眉を寄せたフレンを見上げ、彼女は苦く笑う。

「私は弱いから、吐こうが倒れようが、這ってでも原因を解決させないとね……ランバートの死と、ちゃんと向き合えそうにないにないの」
「アイナ……」

だから頑張らなくちゃ、と拳を握った小さな手。その小柄な体躯に秘められた強い意志に、フレンは目眩が起きそうだった。アイナは強い。自分は父が死んでからずっと、目を背け意地を張ってきたのに。それなのに彼女は、現実をしっかり受け止めようとしている。

「(僕は……なんて)」

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