君の傍に

36


ユーリとフレンがアイナの名を叫んで、自らも沼へ身を投じようとする。しかし、それよりも早く右の足首を捕らえられたアイナが沼から姿を現した。共に姿を現したのは、沼と同じ色をした大蛇のようなものだった。血管のような線を帯びる、淀んだ水面と同じ色の蛇……色は違うが、間違いないとユーリの脳が訴える。ランバート達を飲み込んだ、あいつだ。

「きゃぁぁぁぁぁ!!」

淀んだ大蛇の体が下から波打って、アイナを水面に叩きつける。また沼の中に消えた小さな体を救おうとユルギスが魔導器(ブラスティア)を構えた。その腕を掴んで止めると、ナイレンは声を張る。

「フローズンアロー、構え!」

流石に隊長という階級を得ているだけあって冷静で素早い指示に、弓を扱う隊員が同じくらい速く動いた。その間に胸の辺りまで水面から出たアイナが、下からゆっくりと淀んだ大蛇に巻きつかれていく。苦しそうに歪んだ彼女の顔に、ユーリとフレンは思わず一歩前へ出た。

「アイナに当てるな、打てぇ!!」

放たれた三本の矢が刺さるはずのない水面に刺さり、周りがジワジワと凍っていく。唇から零れた辛そうな声に耐えられなくなって、ユーリもフレンも沼へ飛び込んだ。まとわりつく水の感触を気にする余裕もなく、懸命に掻き分けてアイナの元へ急ぐ。剣の柄で氷を割って、割って、割って、やっと救い出した体へ負担がかからないよう慎重に、ふたりで岸まで運ぶとアイナは少しだけ水を吐いた。

それから必死に、何か伝えようと口を開く。耳を澄ましてみて入ってきた言葉は、予想外のものだった。

「はやく……沼から、離れ……まだ、たくさ……」

訴えを裏付けるように沼の奥の方で、また淀んだ大蛇がその姿を見せつける。ナイレンが沼から離れるよう指示を出すと、ユーリは何も言わずアイナを横抱きにして立ち上がった。そのユーリを中央で守るような隊形を取って歩き出す。

ユーリの歩くペースに体を少し揺られながら、アイナは酷く近い距離にある彼の顔を見上げた。

「ユーリ、自分で歩けるから」
「いいから、黙って運ばれとけって」
「……大丈夫なのに」

頬を膨らませて拗ねてしまったアイナに苦笑いするユーリ。そこへ先程、彼女に助けられたデヴィットがさり気なくユーリの隣を陣取った。濡れてしまった赤みのある長い黒髪を撫で、どこか申し訳なさそうに言う。

「ありがとうな、アイナ。本当に助かった」
「ん……いいよ、気にしないで。私がいつもみたいにエアルを感じられなくて……気付くの遅くなっちゃったせいなんだから」

眉を寄せて困ったような顔をしたアイナは、どこか申し訳なさそうで。気にする事なんて何もないのに、とフレンは思う。けれど彼女は、いつも当たり前に出来ている事が上手くいかず、酷くもどかしいのだろうと考えて、気にする事はないなんて言えなくなってしまった。

ユーリの歩調に合わせてアイナの髪が揺れる。次第に霧が濃くなってくると、彼女は地面に足を下した。水の匂いが鼻をくすぐる中、アイナは込み上げてくる吐き気を無理矢理に押し込む。

視界のほとんどが霧で遮られてしまうのでは、と思えるくらいになってくると、白濁とした中に大きな影が見えた。ぼやけるが橋も確認出来る。あの橋を渡った先に遺跡があるのだ。

そこで十四人で編成されているナイレン隊は遺跡への突入班と、外で突入時の援護および退路の確保をする班に分けて作戦実行する事が決まった。ナイレン率いる突入班は自ら志願したユーリとナイレンに指名されたフレン、それとアイナを始めとした計七人。当然ながら副隊長であるユルギスは、援護班を率いる事になった。

各々が突入準備に動き回る。そんな中、アイナは父とほんの少しだけでも他愛のない話をしたくなって、ナイレンを視界に捉えた。隣に行こうとして、思わずためらう。アイナの方に背を向けているナイレンは、ユルギスと離れた場所で何やら話をしているようだ。なんとなく声をかけ難い雰囲気に立ち尽くしていると「なぁ」と声がかかる。

耳慣れたユーリの声に振り返ると、彼は少し眉を寄せてアイナを見ていた。

「震えてっけど、大丈夫か?」
「あ、うん。平気だよ」

先程、湖での一件でアイナは頭から爪先まで全部がずぶ濡れだ。風も季節外れの冷たさを孕んでいて正直とても寒い。歯がカチカチ鳴って唇が震えているから、説得力なんて欠片もないけれど心配かけまいと懸命に笑って見せた。すると腕を引かれ、突然の事に崩れたバランスを戻す事が出来ない。

防衛本能が反応して目閉じるよりも先に、何かにぶつかった。自分が着ているのと同じ制服が視界いっぱいに広がる。背中に感じた、大きな手の温もりに思わず肩が跳ねた。その熱はアイナの背を上へ下へと何度も移動して摩擦する。

目の前の制服だって自分のせいで濡れていた。それでも彼女の冷え切った体を暖めようと繰り返される背中の摩擦。上の方から聞こえてくる「かなり冷えてるな」と独り言のようなユーリの低い声に目を閉じた。心臓がドクドク鳴って少し苦しい。けれど心は安堵した。ユーリの匂いが余計にそれを誘う。僅かに感じた彼の鼓動に、アイナは目を閉じて耳を傾けた。

唐突に、それら全てが遠ざかる。左の肩に乗る大きな手に気付いて見上げると、酷いしかめ面をしたナイレンの姿があった。どうして父がそんな顔をしているのか、わからない娘は首を傾げるばかり。

一方ユーリはナイレンに睨み下ろされ、まるで蛇に睨まれた蛙のようにピシリと固まって動けなくなっていた。娘を恋慕う男への、父親による無言の圧力である。ユーリを見下ろす焦げ茶色の瞳にどんな意味が込められているのか、わざわざ言わずともわかるだろう。

ナイレンはアイナの腕を掴んで引き、その場を離れた。どうしてか終始不機嫌そうな父に引き摺られながら、アイナが唯一自由な右手を上げた。

「ユーリ、温かかったよ!ありがとね!」

引き摺られていてもニコニコ笑っていて可愛いな、なんて思いながらユーリは手を上げ返す。するとまたナイレンに睨まれ、ユーリは再び動けなくなってしまった。緊張感の中、そんな彼らの様子にナイレン隊で笑いが起こる。娘を目の前で取られて機嫌の悪いナイレンは、いつもは笑われたって気にしないのに声を張った。

「コラお前ら、真面目にやれ!」

隊長のせいで笑っているんです、なんて誰も言わなかった。隊員は一様に笑いを押し殺して気を引き締める。ユルギスがひとつ息を吐いてから援護班に指示を始めると、一気に緊張感が戻った。

ボウガンを扱う隊員達が先行し、橋の中程で足を止める。生物の気配に反応したエアルクリーチャーが湖から姿を現した。二体……否、三体だろうか。からかっているように水面から出たり、姿を消したりを繰り返している。

狙いを定め、ユルギスがタイミングを見計らい合図を出した。複数の術式を施された矢が放たれたのを確認し、ナイレンを先頭に突入班が駆け出す。彼らが目の前を通過すると、援護班も後に続いて橋を渡った。視界の端でエアルクリーチャーが凍っていくのが見える。

援護班を率いるユルギスが最後に橋を渡りきったのを確認し、アイナは安堵のため息を零した。よかった、エアルクリーチャーが異常に発生する中でもここまでは全員無事に辿り着いた。けれど本当に安堵するのは、まだ早すぎる。ここで終わりではない。任務は、ここからが本番なのだ。

「これからが本番だ。気ぃ抜くなよ!!」

ナイレンの声が響いて、アイナは愛用しているナックル「タイラントフィスト」をポケットから取り出し両手に嵌める。他の隊員達も各々武器を改めて構えた。隊長のナイレンと娘のアイナを先頭に隊列を組んで遺跡の入り口を潜ると、少しばかり薄暗い廊下が続く。

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