君の傍に

33


たっぷりの間を置いて、アイナは小さく首を縦に動かした。なんとなく拗ねているようにも思える顔をしている彼女に苦く笑うと、ユーリはその濡れた髪をまるで壊れ物を扱うみたいに撫でる。すると今度は、心地よさそうに目を閉じたアイナ。

無意識なのだろうか。ユーリとアイナ、ふたりの間に甘い空気が立ち込め始めてフレンは焦った。湧き上がる対抗心を笑顔の裏に隠して言う。

「アイナ、部屋まで送るよ」
「……うん。ありがとう」

けれど、やっぱりアイナは撫でる手が心地いいと書いてある顔で笑ったのだ。



脱衣所兼洗面所に備え付けてある鏡に映った、自分のしかめ面に肩が落ちる。ついでにため息も零れてしまって、余計気持ちが重くなった気がした。

特に順番を決めた訳でもない。が、フレンは大抵ユーリの後というのが暗黙のルールみたいになっていた宿舎での入浴。今夜もそれに則って、つい先程やっとフレンも冷えた体を温める事が出来た。しかし、さっぱりしたのは体だけ。頭の中は余計にこんがらがってしまった。

脳が過去を呼び起こす――幼い頃に剣術を教えてくれた父親の大きくて逞しい腕や背中、優しい笑顔。いつか父のような男になりたいと思っていたというのに。

全部を思い出しそうになって、フレンは意識的に止めた。また無意識に漏れてしまったため息をその場に残して、フレンは寝室と繋がるドアを開ける。一歩踏み出すと素足にピチャリと冷たい感触があって、床に目を落とす。案の定、水滴が複数存在していた。犯人なんて考えなくてもわかるとイライラした思考に任せて口を開く。

開いたはいいが、咎める言葉は喉に引っかかって出てきてはくれなかった。そんな事よりも先に言わなければならない事があると思い直し、一旦開けた口を閉じる。ユーリを視界に映さないように気を付けながら、ある程度気持ちを落ち着けたフレンは聞こえるか聞こえないか、定かでないくらい静かに言った。

「さっきは、ごめん。ランバートが死んだとは知らなくて……」
「いや、オレも……まさか援軍断られたなんてな」

珍しく彼も静かすぎるくらいの声で謝罪してきた。それを笑ったりせず、真摯に受け止めて先程の殴り合いは今ので解決という事にする。

それでも、他に話したい事がある訳でも、今どうしても話さなければいけない訳でもないのに、頭の整理がまだ出来ていないフレンは言葉を紡いでしまう。

「……父の遺体は戻って来なかった。少ない遺品を返されただけだ。死んでしまったら終わりだ、何も残らない……だから明日の出動には納得していない」
「すぐ近くの森まで魔物が来てる。街の中に入って来たらどうすんだ?」
「結界があるんだ。そんな簡単に入れる訳がない」
「オレは、隊長に付いて行く」

フレンだって聞いた事がない強い意志を孕んだユーリの声色に、ほんの少しだけ、本当に少しだけ動揺した。それまで互いに淡々としていた口調を、フレンは思わず荒げる。

「この隊だけでは無理だと判断したから、援軍を頼んだんだろ!?待つべきだ!」
「その間にまた被害者が出る。もう嫌なんだよ、誰かが死ぬのは!」
「僕達だって死んだら終わりだ!」

互いの酷く悲しげで痛々しく、血を吐くような言い方に言葉が出なくなった。沈黙が続く。その沈黙に耐え兼ねたのか、ユーリが「ラピードんとこ行ってくる」と独り言のように呟いて部屋を出てまった。

自分がいつも使っている方のベッドに身を投げる。スプリングが軋んだ。両腕を枕代わりにして天井を見上げる。目を閉じると父親の顔が思い浮かんでしまって、開けている事にした。

白い天井をぼんやり眺め続ける。ふ、と脳裏を過ったのは隊長室でのアイナだった。聞いた事のない単語を口にしていたアイナ……彼女の口から出た「エアルクリーチャー」の正体がわからない。

「(初めて聞いた言葉だった……)」

何かの現象なのだろうか?それとも魔物の名前だろうか?フレンは知らない。知らないが、名前の頭に「エアル」と付いているという事は、エアルに関する「何か」なのだろう。今の脳みそでは、それ以上考えが及ばない。またひとつ、ため息を零した。

なんだか今日は、考えるとイライラする。もう何かを考えるのは止めておこう。そう思い立って思考回路を出来るだけ切断した。そこへ不意に、コンコンと控え目な音が聞こえて返事をする。こんな時間にいったい誰だろうか。

「……私、アイナです。今ちょっといいかな」

扉の向こう側から籠った声が聞こえる。まだ耳慣れないけれど、アイナの声に違いなかった。少し急いでドアに向かう。ゆっくり開くと、案の定彼女の姿があった。

「どうしたんだい?こんな時間に」
「ごめんね。ガリスタ様に呼ばれて……悪いんだけど、一緒に来てくれないかな」
「いいけど……僕も一緒に行って大丈夫なのかい?」
「わかんない」
「は?」

やけに早い回答だ。その上「わからない」と言われて、フレンは不覚にも素っ頓狂な声を出してしまう。それをからかったりもせず、アイナは俯き両腕で自分を抱いた。か細い彼女の腕は、触れて少し力を入れただけで折れてしまいそう。そんな頼りない腕で抱き締めた所で何を守れると言うのだろうか。

「……私ね」

そう小さく呟いたアイナは、フレンの見間違いでなければ震えている。彼女は、そのままフレンに目を向ける気配もなく口を動かす。

「ガリスタ様が苦手っていうか……怖いの」
「怖い?どうして……」

わからない、とアイナは力なく首を横に振る。相変わらず視線を逸らしたまま、彼女はほんのちょっぴり顔を上げて続けた。

「ガリスタ様は魔導器(ブラスティア)の研究もなさっているからだと思うんだ。私の身近には魔導器の研究者はガリスタ様しか居ないし、確実な事は言えないけど……研究者には同じ反応するんだと思う。全然覚えてないけど私、実験されてたらしいから……この世界で生きる知識を与えてくれた人なのに怖いなんて、恩知らずだよね」

アイナが自嘲気味な笑みを零す。自らを守るように腕を交差させ、自らを嘲笑う彼女を見たくないと心底感じた。止めたくて頼りない肩に手を置く。ナイレンと同じ焦げ茶色の瞳が酷く不安げにフレンを見上げていた。少しでも安堵してくれたら、と努めて柔らかい笑みを浮かべる。

「行こうか。ガリスタ様が待っているんだろ?」
「うん……ありがとう、フレン」

夜の薄暗い廊下を並んで歩いて書庫へ向かう。あまり大きくも、小さくもない宿舎の中は夜も遅い事も相俟って酷く静かだ。ふたりの歩く靴音だけが響いて、なんだか不気味にさえ感じる。

ふと途中で気付いた。また、アイナが身を震わせている事に。きっと暗闇も怖いのだろうと察したフレンは、彼女の手を自分のそれで包み込んだ。すると何も言わずに握り返してくる小さな手が、やはり震えていた。

暗闇が怖いにも関わらず、つい先刻ひとりでこんな薄暗い廊下を歩いて尋ねて来たのか、と考える。申し訳ないのと、無理をさせてしまった事への後悔と、こんな時間に彼女を呼び出したガリスタへの憤りと。言い表し難い複雑な感情が迫り上げてきた。

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