君の傍に

30


「へぇ、ラピードの言ってる事わかんの?」
「そりゃぁ、ずっと一緒に居ればわかるようにもなるよ。ね、ラピード」
「ワン!」

アイナの膝の上にきちんと「お座り」しているラピードが尾を振っている。吠えた彼は自慢げというか、誇らしげというか、とにかくそんな風に見えてユーリは思わず笑った。

それより、とアイナが小首を傾げて指を指す。彼の手には買いに行くと言っていた物の他に、真っ赤な傘があった。

どう見ても大人用でも男性が持つようなデザインでもない。子ども用で、それも女の子が好んで持つ物だ。どうしてユーリが、そんな物を持っているのだろうか。ミスマッチとも言い難いのは彼の顔が女性的な雰囲気もあるからなのだろうか。

あぁ、と問われる前にユーリが傘に目を落としながら答えてくれた。

「帰りにエマって子に貰ったんだ」
「エマって、昨日ユーリとランバートが助け……あ、ご、ごめん」
「いいって、別に。アイナ気にしすぎ」
「……うん」

ランバートを話題に出すのは、あれからずっと意図的に避けていた。自分が、まだ彼の死を受け入れたくないと思っている部分があるのと、ユーリに辛かった瞬間を思い出させてしまうと考えたから。

けれどユーリは、嫌な顔も昨日のような暗い表情もせず、ただひたすら優しい顔で頭を撫でてくれた。ナイレンによく似た、乱暴で髪の毛が酷い事になるのに、優しさに溢れた撫で方はアイナの心を落ち着かせてくれる。

ふ、と体中の力が抜けてユーリを見上げた。気を取り直して笑顔を作る。

「そろそろラピードに夕飯、あげなきゃ」
「んじゃ、早速買ったやつ開けるか」
「うん」

ラピード用の小さな器に買ったばかりのドッグフードを注ぎ込む。適当に入れてこれくらいかユーリが訊けば、アイナは多すぎると苦く笑ってその量を減らした。

その間ラピードは、座って長い尾をパタパタ揺らしている。目の前に自分のご飯が置かれても大人しい。瞳だけは輝かせ、ひたすらアイナを見つめて何かを待っている。彼女も彼女でラピードをじっと見詰めて離さない。

アイナの人差し指が彼女の唇に触れる。ラピードがそれに熱い視線を送っていると、不意に彼女の指がそのふっくらした唇から離れ胸の辺りまで降りた。するとラピードが突然立ち上がって夢中でドッグフードを頬張り始める。今のが、毎回指示しなくても「待て」する彼への「よし」の合図だ。

美味しそうにドッグフードを食べているラピードを、何を話すでもなく並んで眺める。

不意に、馬の声が聞こえた。ふたりは窓を見上げ、それから顔を見合わせて腰を持ち上げる。すぐ傍にある厩舎側の扉を開けてみると、首筋を白いタオルで拭くフレンの姿があった。

フレン――なんだか何週間も会っていなかったような気さえする。それくらい、短い間に色々ありすぎた。

「フレン……」

ユーリが呟いた。アイナもやっと出せるようになった声で「お帰り」と言って驚かせようかと企んでみる。けれど、こちらを見た瞳は彼らしくなく鋭さの中に哀愁があった。思わず出そうとした声を喉の奥へ押し戻す。

フレンが視線を逸らした。今度は右の頬の辺りをタオルで拭いながら、その唇をゆっくりと開く。

「……犬の世話係は、気楽でいいな」

その独り言のような小さな、小さな音は降り続く雨の音と共に耳へ入ってきた。その発言に怒りを覚えたユーリが目を細める。フレンに詰め寄っていくユーリが何か言っているけれど、アイナには音が聞き取れないくらい遠かった。

フレンがしかめ面でユーリを押し退けて宿舎へと歩き去ろうとする。それも、なんだかテレビをぼんやり見ているような感じがして。

「(フレンは……今、なんて言った?)」

犬の世話係は、気楽。そんな、そんなの。

「(ふざけるな!!!!)」

頭の血管が嫌な音を立てて切れた。ほとんど同時に体が淡い光を放ち、陣が浮かぶ。足元に縋る温もりがあるのも、今は意識出来ない。

「……レン、の……っ」

ありったけの空気を吸い込んで叫ぶ。

「フレンの馬鹿ぁぁぁぁぁ!!!!」

雷で出来た剣が水溜まりだらけ泥だらけの地面に突き刺さり、その周囲に稲妻が落ちる。踵を返したアイナは大きく地を蹴り、自分の放った魔術に背を向けて走り出した。ラピードの悲痛な声が届いても、アイナが止まる事はない。

そのまま見えなくなった大好きな背中に、ラピードは鳴き続けた。



「こんな時に何やってるのよ、あんた達は!」

ヒスカの声が聞こえて、ユーリもフレンも目が覚めた。何が起こったのか理解出来ず、混乱する脳に治癒術の詠唱が響く。詠唱しているのはシャスティルの声に違いはない。そういえば、と思い出す。自分達はケンカをしていた。否、しようとしていた。

犬の世話係は気楽でいいな。そう言ったフレンに、ユーリは父親が騎士団員だと贔屓して貰えていいなと返した。勿論、互いに皮肉のつもりで。互いの発言に対し先に手を上げようとしたのはフレンだった。右手で握り拳を作って大きく振り上げた瞬間、聞き慣れない音が轟いて雷鳴が鳴った。

あれは誰の声だったのだろうとフレンは考える。その思考を遮るように、ユーリの拳が右頬に減り込んだ。不意打ちに倒れこんだ拍子に泥が跳ねる。

「だから、止めなさいって言ってるでしょ!?」
「もう、すぐケンカするんだから!詠唱に集中出来ないんじゃ、その傷治せないじゃない!」

ヒスカがユーリを羽織締めにして言えば、ほぼ同時にシャスティルがフレンを背に庇ってユーリの目の前で両手を横に広げて咎める。しかしユーリは止めるなと声を荒げ、ヒスカの拘束を簡単に振り解いてシャスティルを押し退けた。

またユーリの拳が上がる。対抗しようとフレンも身構えた。

「ユーリ!!」

雨音の中に落ちたユーリを呼ぶ声は、ナイレンのそれだった。四人の視線が彼に刺さる。傘も差さずに荒い歩調でこちらへやって来たナイレンは、シャスティルを見下ろして言った。

「こいつらの治療は必要ない」
「え……でも隊長、ふたりはあの子のサンダーブレード食らったんですよ?」
「それよりも先にやんなくちゃいけない事が、こいつらにはあるんだよ」

ナイレンの視線がフレンに移る。初めてみるその鋭さに、フレンは思わず息を飲み込んだ。

「アイナが仲間にサンダーブレードぶっ放すなんて、よっぽどだ。大方、アイナにとってランバートを馬鹿にしたように聞こえる事でも言ったんだろ。何があったか知らなくても、アイナには許せる発言じゃない」

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