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そんな弱りに弱ったユーリを、自分だってすごく辛いはずなのに慰めるように優しく寄り添っている愛娘。その表情はナイレンが思っていたよりもずっと穏やかで安堵したのは確かだ。
しかし、すぐ心配になった。悲しいのを押し殺して、無理をしているのではないかと。そういう傾向の強い子だから尚更に心配で、心配で。
「アイナ、お前」
無理はするな。言葉が喉から出る前に飲み込んでしまった。なんとタイミングの悪い。アイナの膝の上でユーリは少し身を捩ってから起き上がった。
頭の上に乗っかっていたラピードが、彼の背をゴロゴロ転がって敷かれた藁の上に落ちる。仰向けのまま寝息を立てるラピードは深い眠りに入っているらしく、起きる気配は全くなかった。
そして、毛布をかけた記憶などないのに自分の体に乗っている事に驚いてアイナを見る。言葉なく、まるで目で会話しているかのような雰囲気がかもし出されていた。
お前がかけてくれたのか?
違うよ。ほら、そこ。
そんな風に「喋った」みたいに、ゆっくりとユーリの首がこちらへ向いた。彼の美しい黒水晶がナイレンを捉えて見開かれ、くしゃりと歪んで逸らされる。
静かに、ナイレンはキセルをくわえて吸い、離して白濁とした息を吹き出した。それから静かに、声を出す。
「聞いたよ。ラピードの世話、頼むな。当分、寂しがるだろうからな」
「……すみません」
「謝らなくていいんだよ」
やっとの思いで搾り出した音はユーリらしくない、情けないものだった。小さくて頼りなくて、聞き取り辛い擦れた声。たったそれだけの音で、ナイレンはユーリがどれ程辛い思いをしているのかわかった気がした。ナイレンもつい声が小さくなる。
アイナはひたすら俯くユーリに身を寄せて彼の大きな手を握った。そっと……否、恐る恐る握り返したのがナイレンの視界の端で見える。これ以上、自分がここに居るのは野暮ったい気がした。
「さ、お前らもう部屋に戻れ」
静かな口調を落としたナイレンがキセルをくわえて立ち上がる。寄り添ったまま、ふたりは俯き黙って動かない。気付かれないように肩を落とすと一緒に小さなため息が零れた。
「風邪、引くなよ」
立ち去る。大切な娘を男とふたりきりにするのは、父親としてはかなり不安だ。けれど今は、今だけは、目を瞑らなければ。ふたりの心が潰れて壊れてしまわないように。
残ったアイナは、父の気配がなくなったのをきっかけにユーリの名前を呼んだ。顔を覗き込もうとすると俯いていたそれがアイナを真っ直ぐ捉える。そして苦く笑うと、ユーリはゆっくり口を開いた。
「膝、ありがとな。重かっただろ」
「平気だよ、このくらい。ラピードで慣れてるし」
「オレの頭はラピード並みに軽いってか」
「そうかも」
「いや、頼むからそこは否定しろよ……」
「ふふ、ごめんごめん。でもほんと、気にしないで。ラピードのお陰で膝枕しすぎて足痺れるのとか日常茶飯事だし」
「あー、暇さえあればアイナの膝に乗っかって丸まってたもんな、ラピードのやつ」
「でしょ?私の膝は、ラピードお気に入りの特等席だから」
「じゃぁオレ、特等席借りちまったのか。悪い事したな」
「それは、お互い様だと思うよ。ラピードさっきまでユーリの頭の上に丸まって寝てたし」
「は?マジで?」
「うん、マジで。ユーリが起きたら転がって落ちゃったけどね。それでも起きずに眠ってるよ」
ほら。と指差した先に居たのは、仰向けのまま気持ちよさそうに眠っている、愛らしくてちょっとおかしいラピードの姿だった。
思わず笑みを零せばアイが「あ」と声を上げる。どうしたのか問おうと彼女に視線を戻すと、なんだか安心したように微笑んだ。
「やっと笑った」
「……え」
目を丸めたユーリを余所に、なるべく音を殺してアイナが動く。眠るラピードをそっと、大切そうに抱き上げると、また音を立てずに戻ってくる。
ユーリの隣に戻った彼女は、すやすやと穏やかに眠るラピードを抱いたままキレイに笑った。
「ユーリ、ずっと眉間にシワ寄せて暗い顔してたから。笑ってくれてよかった」
「アイナ……」
心臓が高鳴ったような、締め付けられたような感覚に襲われる。それがユーリに衝動的な行動かをさせた。
細い肩に腕を回して、自分の方にアイナを引き寄せる。彼女の腕の中に居るラピードを潰してしまわないように包み込んだ。
「……ありがとう、アイナ」
心からの感謝を込めて囁く。アイナが肩に額を埋めたのが、感触で伝わった。そのまま彼女は「うん」とだけ小さく呟く。
その夜、ふたりはラピードを挟んで寄り添って眠った。
翌日、ナイレンは目の前で軍用犬達を失ったアイナとユーリを筆頭にユルギス、エルヴィン、ヒスカに一日だけの休暇を与えた。いくら今が非常時でもせめて一日、心を整理する時間が彼らには必要だと判断した結果だ。
休暇を与えられた誰も宿舎から出る様子もなく、休めと言われたのに甲冑をまとって剣を佩いて訓練する者が居れば、軽装のまま自室で本を読む者も居る。アイナはユーリと一緒に、軽装という気楽な格好でラピードの傍に居る事を選んだ。
外は昨夜から続く生憎の小雨模様。
ラピードの好きな中庭にある木陰での日向ぼっこも、今日は出来ない。宿舎の中に連れて行く訳にもいかず、彼の寝床で小さなボールを使って遊ばせたり、撫でたり、昼寝させたり。そんな風にラピードをふたりであやしながら、穏やかな時間を過ごす。
けれどユーリは先刻、なくなった子犬用のドッグフードを買いに行ってしまった。昨日あんな事があってラピードをひとり残すのは酷く気が引けるし、雨が降っているから自分が行ってくるといつもの微笑を浮べて。
「……ユーリ遅いねぇ、ラピード」
「ワフ〜」
「傘、ちゃんと持ってったかな」
「……ク〜ン」
今の間はなんだと苦く笑って問おうとした次の瞬間、人の気配がして思い留まる。間もなく目の前に現れた姿に笑んだ。
「おかえり、ユーリ」
「ん、ただいま。何してんだ?」
「ラピードとお喋り」
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