君の傍に

31


ひと呼吸置いて、ナイレンはフレンに鋭い視線を向けたままユーリを呼ぶ。彼が反射的に返事をすると、ナイレンはその声に悲しみを孕ませた。

「ランバートが死んだ場所だ……案内してやれ」

急げよ、と言い残してナイレンが宿舎へ戻っていく。その背中を見る事も出来ず、フレンの脳内は酷い混乱に襲われた。それを静める暇もなくユーリが駆け出せば、フレンも慌ててその後に続く。

ランバートが、死んだ……――信じたくない言葉が何度もフレンの耳の奥で繰り返される。それでも必死に走った。走って、走ってシゾンタニアを駆け抜けて街の外へ出る。

旧橋を渡りきってすぐ傍にある森に入ると、ユーリの姿は雨と草木に遮られて見え辛くなった。それでもフレンは何も言わず、何も訊かずにユーリの後に続く。突然ユーリが立ち止まって、フレンもそれまで続けていた全力疾走に急ブレーキをかけた。息を切らしながら同じように肩で息をするユーリの隣に移動し、その目が捉える方へ顔を向ける。

アイナが居た。雨に打たれている小さな背中に声をかければいいのだが、それが出来る雰囲気ではない。

「……ランバートはね、私がこの世界に来てずっと隣に居てくれた、大切な親友なの」

見ずとも気配でユーリとフレンの存在を察したのだろう。決してこちらを向く事はなく、彼女は静かに語り始めた。

「軍用犬の中でも特に優秀だった両親の間に生まれたランバートは、生まれたばっかりの頃からすごく期待されて育ったんだって。軍用犬の子犬は生後半年から訓練を始めるんだけど……でも、ランバートは軍用犬に必要な訓練を嫌がってやらなかった。その時は誰もわからなかったけど、ランバートは誰かを傷付ける事が嫌いだったんだよ。訓練に参加すればいつか戦わなきゃいけなくなるって、ちゃんと理解してたんだと思う。だからランバートは自分の意思で避けた。でも、周りの人間はランバートを臆病で頭の悪い犬だって落ち零れ扱いした。その落ち零れ犬を、お父さんは家族として引き取ったの。この世界に来てからずっと塞ぎ込んでた私のために」

その場にしゃがんで、彼女は少しの息を落とす。ユーリとフレンの視線も彼女を追って下がった。

そして初めて気付く。目の前に並ぶ三つの岩の存在に。

「お父さんが今日からこいつも家族だって言って、ランバートを抱っこさせてくれた。その日からずっと一緒なの。ご飯食べるのも、眠るのも、勉強するのも、訓練するのも。ランバートは子犬の時から吠えない子だったし、悪さもしなかった。初めて会った時からランバートは何も話せない、字も書けない私の気持ちを理解してくれる一番の相手だった。ランバートと居る時は、自分でも意味のわかんない不安も和らいだの。だからだったのかな、ほんとはダメなのに宿舎の中で一緒に居ても全然怒られなかったんだよ。ランバートが傍に居てくれたから、ほんとは嫌いな勉強も頑張れたの」

違う世界に落とされた事実は変わらなくても、毎日は嘘みたいに平穏で幸せだった。ナイレンとランバート。ふたりが居てくれればアイナはそれだけで、この世界でも生きていける気がした。

けれどそれすら変わり始めたのは、いつだっただろう。そうだ、あれは確か――

「狂い出したのは、たぶん魔術の練習をするのにお父さんと非番だったユルギスと一緒に森へ行った時。戦えないランバートを連れて行けないから三人で行って……その時、力を上手く使えなくてお父さんにもユルギスにも怪我させちゃってね。ふたりとも大した怪我じゃなかったんだけど、私……力を使うと具合が悪くなるみたいで、立てなくなっちゃって。お父さんとユルギスが急いで連れて来てくれたんだけど、その時に初めて血を吐いたの。それも心配して駆け寄ってくれたランバートの目の前で」

そうだ、あの後からランバートは。

「それから、ランバートは変わったよ。私の訓練に付き合ってくれるようになったし。拳法の訓練も剣術の訓練も、ランバートが相手してくれた。あ、剣術の訓練してる時は短い木刀をくわえるんだよ?すごいでしょ。それからね、軍用犬の訓練も自分から進んで受けるようになったんだ。それを見て、一緒に訓練してるんだから一緒に騎士団に入ったらどうだってお父さんが言うから、そうしたの」

長い話は、まだ続くらしい。だが、ユーリもフレンも黙って耳を傾けた。

「ランバートは正式に軍用犬になってから宿舎の中には絶対入らなくなっちゃったんだ。それでもランバートは、許される所では必ず隣に居てくれた。ずっとずっとずっとずっと、ずうっと。ずっとだよ。ランバートが一緒に頑張ってくれた。悔しい時も、急に不安になった時も、泣きたい時も、最初に気付いてくれるのはいつだってランバートで、ランバートが隣に居てくれたから……ここまでやって来れたんだ」

突然、沈黙が訪れる。どうしたのかと憂うふたりは、思わず息を飲んだ。ゆっくりと立ち上がったアイナが振り返り、その表情に頭が真っ白になる。

なんて儚いのだろう。今にも消えてしまいそうな彼女は泣いているのだろうか?それとも、空から絶え間なく落ちる雨粒がそう見せているのだろうか。目元も赤く脹れているように思う。

「ランバートも、アルフォンゾも、ジョンも、厩舎に居る馬達も、心があるんだよ。人間の都合で勝手に決められた生き方でも、ちゃんと生きてるんだよ。こんなに勝手な人間を守ろうと必死になってくれるんだよ。自分の命を投げ打って、守って、死んじゃったんだよ」

ふっくらとした唇が震えているのは、本当に雨のせいだろうか。

「世話係は気楽なんて、私達を守ろうとしてくれたランバート達を侮辱しないで」

ここままでは消えてしまう。そう感じてしまったユーリの体は無意識に動いた。細い手首を掴んで引き寄せてアイナを抱き絞める。

ユーリは全部理解した。昨夜彼女から香った血と土の独特の臭いの理由も、なぜ一番辛いはずの彼女が泣かなかったのかも。

アイナは、ひとりこの場所に留まってランバートとアルフォンゾとジョンの墓を作った。だから縋り付いた時、血の臭いの他に土の臭いも鼻に入ってきた。泣かなかったのは、ずっと泣き場所だったランバートが居なくなってしまって泣きたくても泣き方がわからなくなってしまったのだろう。

なんて強い女性だろうと思ってしまった自分を心底恥じる。強いのではない、強がりなのだ。弱くなれる場所がなくなったのだ。本当は誰よりも悲しくて辛くて苦しくて、誰よりも泣き叫びたかっただろうに。

「オレが傍に居る。ランバートの分も、アイナの傍に居るからさ」

自分はなんて馬鹿な男なのだろう。悔しく思う分だけ、ユーリは強くアイナを包み込んで言葉を紡ぐ。

「だから、泣くの我慢したりすんな。ランバートだって、アイナが我慢してたりひとりで泣いてたら苦しいよ。誰よりもアイナを大事にしてたんだ」
「ユーリ……」
「泣けよ」

ためらいがちに回った頼りない腕の感触に、ユーリはまた彼女を抱く腕に力を込める。縋るように掴まれた服が背中でくしゃりと歪んだ。

「う……ああぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

悲鳴にも似たアイナの泣く声がフレンの耳を突く。

何もしてあげられず立ち尽くす自分に、何より数刻前あんな軽率な発言をした自分に、フレンは腹が立った。腹が立つのに、アイナを抱き締めるユーリが、ユーリに縋って泣き叫ぶアイナが、彼を動かそうとはしてくれなかった。

空もアイナも、当分は泣き止む兆候は見られない。



to be continued...

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