君の傍に

28


「くそぉ!!」

剣を叩き付ける。カラン、カランと金属音が空しく響いた直後、愛らしい鳴き声が聞こえた。

いつの間にか下げていた視線を上げる。暗闇の向こう側に見える小さな影があった。ぴょこぴょこと可愛らしく駆け寄って来た影――ラピードが足元で嬉しそうに一周する。

おかえりなさい、と。そんな風に声をかけられた気がした。ラピードは無造作に転がった剣の刃先に鼻を寄せてすん、すんと臭いを嗅いでからその横をすり抜ける。お尻を地面に着いて姿勢を正して、長い尾を左右に揺らし始めた。

あっちを見たり、こっちを見たり忙しなく顔を動かして、それでもきちんとお座りをしていて。彼がランバートとアイナを待ち侘びている事なんて、一目瞭然だ。

「(オレは、こいつの父親を……)」

殺した。ランバートのあんな姿を見たら、そうするしかないと思った。だから後悔はない。それがあの状況での最良の選択だったはずだ。

けれど離れない。ランバートを斬った感触も、斬った部分から溢れ出したランバートの血も、斬った瞬間のランバートの痛々しい悲鳴も、ぐったりと倒れて動かなくなったランバートの姿も、ランバートを抱き締めたアイナの姿も、その酷く切ない表情も。全部が全部、ユーリの手から、耳から、脳から消えないのだ。

そっと、膝を折ったままラピードの両脇の下に両手を入れて持ち上げる。音を立てて彼のくわえていたスプーンが落ちた。ためらいながら小さな背中に額を押し当てる。

「ラピード、ごめん……オレ、お前の父ちゃんを……」

殺した、と言葉には出来なかった。けれどラピードは全てを悟ったかのように、ゆっくりと、何度もユーリの頬を舐めた。慰めるように、癒すように優しく繰り返した。

また遠くで雷鳴が鳴る。それに掻き消されそうなくらい小さな声が、その場に落ちた。

「ユーリ」

顔を上げられなかった。その姿を視界に捉えるのは苦しすぎた。声だけでも誰なのかわかる。想いを寄せる人の声だから当たり前だ。

「ユーリ」

背中に温もりを感じて、肩がピクリと動く。か細い腕ふたつの感触に、ユーリは抱き締められたのだと知る。

「ユーリ、ありがとう」

ラピードごとユーリを抱き締めたアイナは、ためらいもなくそう言った。なんで、どうして「ありがとう」なのかユーリには理解出来ない。腕が背中から離れて、今度は両頬に感じた手の感触にユーリは更に混乱した。

「ランバート、ほんとは戦うのが嫌いなの。あんな事やってしまって、すごく苦しかったと思う。だからね、ユーリ。ランバートを解放してくれてありがとう」

それはもう、とてもキレイにアイナは笑った。こんな時になんてキレイに笑うのだろう。ランバートの死で誰よりも傷付いたのは、自分でなくアイナなのに。

ユーリは堪らなくなってアイナを抱き締めた。急に解放されたのにラピードはきちんと着地して、ふたりを見上げている。アイナの頼りない腕が、またユーリの背に落ち着いた。するとユーリは彼女に回した腕を強くする。

「ごめん、ごめんアイナ……オレ、ランバートを」
「謝るのは私の方だよ。ランバートの気持ちを一番わかってる私がやるべきだったのに、私のエゴのせいでユーリをいっぱい傷付けた。ほんとにごめん」
「アイナ……ッ!」

涙が溢れる。ユーリはアイナの髪に顔を埋めた。嗚咽も全部押し殺しきれずユーリは泣く。

アイナから血と土の臭いがした。



窓から差し込む月明かりが照らす黒い前髪を、努めて優しく撫でる。身を捩る事もなく、唸る事もなくユーリは穏やかに眠り続けている。

それにも関わらずアイナの腰に回した両腕は一向に緩まる気配はない。枕代わりの太股に頭を預ける姿は、泣き疲れた子どもが母親に縋るそれに似ていた。

ラピードはラピードなりに、いつもと様子の異なるユーリを案じて寄り添う。しかし、彼が丸まっているのがユーリの頭の上という辺りは、自分の特等席であるアイナの膝枕を取られて悔しいと感じる部分も、若干あるのかもしれない。

ユーリの傍に居たい、自分もアイナの膝の上で眠りたい、けれどユーリは今日どこか変だから退かす事が出来ない。きっと、そんな風にラピードはラピードなりに考えて、考えて至った結論なのだろう。

酷く悲しい事があったばかりだけれど、アイナの目下にあるユーリとラピードの姿はなんだかとても和やかで。アイナの口角が穏やかな弧を描く。

ふと、視界の端に淡い光が見えた。誰だろうと思い顔を上げると、間もなく現れたのはナイレンだった。右手に毛布を持って現れた彼は、アイナと目が合うと柔らかく笑む。アイナの膝枕で眠るユーリにそっと毛布をかけた。

ナイレンはアイナの丁度向かい側に並ぶ木箱のひとつに腰を下ろすと、いつものキセルを取り出してくわえる。いつも通り火を点けて吸い、アイナにかからないよう別の方へ向かって煙を吐き出した。

「大体の事はユルギス達に聞いたよ。声、出るようになったんだってな」

小さく頷く。少しばかり視線を逸らし、緊張の混ざった息がアイナの唇から零れた。改めてナイレンの目を真っ直ぐ見詰める。

声が、出るようになったら。ナイレンにかける最初の言葉は、これがいいと娘になる覚悟を決めた時から決めていた。

「……お父さん」

ただ、それだけ。父と呼ぶ、それだけ。ずっと声で呼びたかった。こんなに奇妙で厄介者でしかない自分の父親になってくれたナイレンという男に感謝を述べるよりも何よりも、アイナは彼をきちんと「お父さん」と呼びたかった。けれど、それが今叶った理由は酷く辛い。

アイナは静かに、あのね、と話を切り出した。

「私たぶん、ちゃんと笑えるようになった頃には、もう声は出るはずだったんだよ。出すきっかけがなかっただけ。ランバートは、最後にそのきっかけを残してくれたんだって……そう思うの」
「そうだろうなぁ……ランバートはお前が、あの妙な力を使うの大嫌いだったから。何より大事にしてたお前が血ぃ吐くのも倒れるのも、もう見るのが嫌だったんだろうな」

うん、とアイナは小さく呟いて首を上下に動かす。視線をラピードとユーリに戻して、彼らをそっと撫でた。それを見てナイレンはくわえていたキセルを離し、苦い笑いを浮べる。

父親としては、今の膝枕という状態を言い咎めて止めさせたかった。けれどユーリがランバートを手にかけたと聞いてしまっているから、酷くためらわれる。

ラピードの体の下にあるユーリの頭。そこから僅かに見えるユーリの眠る横顔。艶やかな黒髪から覗くその目元は、赤くなっていた。だから余計に何も言えない。

あれだけアイナの前で無駄に格好付けていたユーリが、泣き疲れて母親に縋って眠る小さな子どもみたいになるなんて思ってもみなくて。それだけ、彼には酷い打撃だったのだとナイレンは思い知った。

格好悪い所を知られたくない、よく見られたい、頼られたい。そんな風に異性として意識し、想いを寄せる人にこんな情けない所を見せるなんて、普段の彼ならば絶対にないだろう。そんな事気にする余裕などユーリの中に存在しなかったのだ。

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