君の傍に

26


『街のすぐ目の前に魔物が来てる』

だから手伝って欲しいと、そう書くつもりが最後まで書けなかった。メルゾムが声を張って指示を始めたのだ。一様に席を立ち、店の奥にまとめて置いてある武器を手にしている。どうやら彼らも手伝ってくれるらしいと悟ったアイナは、心からの礼を込めて深々と頭を下げた。

メルゾム達と共に街と外を繋ぐ旧橋を急いで渡ると、女性に肩を貸すユルギスや彼らを魔物から守るように対峙するエルヴィン達の姿が目に入った。耳を突く女性の「エマ」と呼ぶ悲痛な叫びに、それが彼女の娘の名前だと理解する。

それを聞いたのだろう。離れた所で、ユーリが剣を振りかぶって思いっきり投げたのが見えた。同時にランバートが駆け出し、後を追うようにユーリが地を蹴る。彼の投げた剣は、転がった馬車を狙う妙な魔物に刺さった。

悲鳴のような音を上げて後退するそれは、血管のような線を帯びる赤黒く濁った蛇のようなそれは、アイナがユーリとフレンの赴任してきたその日に対峙した魔物だった。

「(あれは、エアルクリーチャー!街のこんな近くまで来るなんて…)」

ユーリとランバートの援護をしようとアイナは魔術の詠唱を始める。馬車を庇うように魔物と向き合った彼は、地面に刺さった剣を抜いて大きく横に振り払った。その腕に少女が抱かれ、ランバートが先行してこちらに向かってくる。それを確認したメルゾムが仲間達に矢を放つ合図をして、アイナもそれに合わせて魔術を放った。

「(蒼き命を讃えし母、清冽なる産声を上げよ!アクアレイザー!)」

ユーリが抱える女の子の居る側の魔物達に噴出した水が襲いかかり、高く吹き上げられる。その間にユーリは隣を走り抜け、それを待っていたかのようなタイミングで水が消えると魔物達は地面に叩き付けられて動かなくなった。

ユーリが無事に女の子を母親の元へ届けるのを視界の端で見届け、アイナは目蓋を下ろす。

目から入る情報を遮断する事でより鮮明に感じるようになったエアルの流れに、彼女は冷や汗を流した。まるで嵐によって荒れた海のように渦巻いて波打って、アイナも少しばかり苦しい。けれど、魔物達はもっと苦しいのだと思った。

現に先程見た彼らの瞳は異常だった。血走ったような赤い瞳は、本来のそれと異なる。荒れ狂ったエアルに当てられて昂っているのは、わかっていた。

錯覚を止めて、ユーリ達に本来の髪色を晒す。そうすると、息苦しかったのが少しは楽になった。

しかし、アイナはすぐ自身の中にある未知の力を別の方へ意識を向ける。途端に胃の中の物が逆流してくる感覚に襲われた。それをぐっと堪えると、今度は激しい頭痛が襲いかかる。それすら我慢すると、熱い訳でもないのに汗が出た。

「(お願い、鎮まって……シゾンタニアのみんなを危険に晒したくないの、お願い……!)」

祈る。願う。祈る。願う。ただ夢中で力を使って、シゾンタニアを救う事だけを考えて、荒れるエアルを懸命に抑えた。浄化するイメージでエアルに訴えかける。

しかし。

「ワン!」

怒ったような声で中断してしまった。目を開けて声の聞こえた方を見ると、ランバートがこちらを睨むように見上げている。彼が吠えたのだと理解したが、酷く意外だった。

ランバートは魔物を威嚇する時以外に吠えたりしない、とても賢い犬だ。いつも視線や態度、行動で自分の意思を伝えてくる。そんなランバートがアイナに対して吠えた事は、当人も彼をよく知ったその場に居る騎士達も目を丸めた。

そして、アイナが力の使用を止めるのを待っていたかのように、シゾンタニアで任務に就くもう二匹の軍用犬アルフォンゾとジョンが、それぞれ森に向かって吠える。そのまま森へ退いた魔物を追うように駆け出した。

「アルフォンゾ!」
「ジョン!」

ユルギスがアルフォンゾを呼び、エルヴィンがジョンを呼び止める。だが、彼らは初めて「命令違反」を冒して森へ跳び込んだ。ランバートもひと足遅れて地を蹴る。

「ランバート!」

呼んだのはユーリだった。ランバートの足が止まる。少しだけ振り返った彼がその美しい翡翠の瞳に写したのは、アイナではなくてユーリだった。目が合ったユーリは困惑する。その隣で彼の瞳を目の当たりにしたアイナは、ユーリよりも困惑していた。

「ランバート……?」

彼らしくない様子に、呟くように呼ぶ。すると、ランバートが僅かに目を細めたのがわかった。そこに宿る強い、強い意志に気付いたのは果たしてこの場に何人居ただろう?おそらく、瞬時に理解したアイナただひとりだ。彼女には痛いくらい伝わった。

ランバートは託しているのだ、ユーリに。彼によく懐いている息子ラピードと、自分がとても大切にしている親友アイナを、ユーリに託している。

託して、死ぬつもりだ。

「(そんなのダメ!)」

泣きたくなった。声が出ない事が酷くもどかしい。叫んで引き止めたい。どうしてこんな、ランバートやアルフォンゾやジョンが死ぬ覚悟でいる時に、声を出して止めろと訴える事が出来ないなんて。

出ろ、出ろ、出ろ!掠れていたっていい、喉が痛くなってもいい。いつまでも臆病になって心の奥に閉じ籠って縮こまっていちゃいけない。ランバートを止めなくては!

「……、……バ、……ト、……ランバート、やめ、て……!」
「アイナ、おま……声が」

ユーリが息を飲んだのがわかった。きっと他のみんなも驚いている。けれど、今そんな事どうだってよくて、アイナはランバートを行かせまいと必死だった。涙を堪えて懸命に目で訴える。今までずっと、目で意思を伝え合って理解し合っていたランバートに、それで伝わらない訳がない。

それでも、ランバートはアイナをほんの少し視界に写しただけで森を見据え、走り出した。

「ダメ!待って、ランバート!!」

去っていくランバートを追う。その背中にユーリとメルゾムが呼び止める声が聞こえても、アイナはランバート達を止めるために走った。しかし、本気で駆ける犬に人間が叶うなんてどう頑張ってもあり得ない。見失って土に残る足跡を手がかりにしようとするけれど、魔物のそれと混ざっていて判別出来なかった。

奥歯を噛んだアイナの肩に誰かの手が乗って、思わずビクンと跳ねる。振り返って犯人を視界に映すとユーリだった。肩から退いた手が差し出される。素直に握ると握り返されて、引っ張って立たせてくれた。

掌から伝わるユーリの体温に、焦っていた心が少し解けていくのを感じて、無意識に入っていた体中の無駄な力が抜けていく。今までのクセで掌にお礼を書こうとして思い出した。もう声は出るのだ。それを伝える前にユーリが姿を消した軍用犬達の名前を叫び呼んで叶わなくなる。

が、もう握る必要なんてないのに彼の大きな手はアイナの手を包んで放さなかった。どうしてだろうと思いかけて、やっと気付く。

「(わ、たし……震えてる?)」

ランバートが居ない事が、こんなに自分を弱くすると言うのか。そう感じてしまうと視線が下へ落ちていく。

今アイナの心を占めるのは「不安」だ。けれど、それすら包み込んで解かすようなユーリの手に、アイナは恐る恐る握り返す。すると一層強くなるユーリの手が、とても心強く感じた。


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