君の傍に

25


人の気配がして、アイナは目蓋を押し上げた。ゆっくり上半身を起こして呆けた頭を動かす。やはり窓の外に気配があった。朝靄がまだ晴れないというのに、微かに見えた高い背中と金色の短髪からフレンだと理解する。何をしているのだろうか、とぼんやり考えていると蹄の音が聞こえた。かと思えばその音はすぐに遠くなって、聞こえなくなってしまう。

フレンはなぜ馬に乗っていってしまったのだろう、どこに行ってしまったのだろう。考えてみるが、未だ寝惚けた頭では特に何も出て来なくて諦めた。けれど、なんだか目も冴えてきてしまったし、とりあえず着替えてしまおうと思って隣に視線を動かす。

昨夜は酒場で乱闘騒ぎを起こしてしまったし、もしかしたらその事でフレンとケンカになってまたここで眠るのかも知れない、と思っていた。案の定、間を空けてこちらに背を向けて眠るユーリの姿があって、なんだか笑みが零れる。

まだ眠っているけれど、念のためユーリに背中を向けて着替えを始める。なるべく肌を晒さないように気を付けながら制服に着替え、肩や腕などに甲冑を着ける。シゾンタニア周辺の魔物の増殖と凶暴化により、駐屯地内は緊張が続いているのだ。非番だとしても、何かあった時すぐにでも出ていけるよう、軽装ではなくきちんと甲冑まで見にまとい、武器を傍に置いておく騎士ばかり。

アイナの仕事はいつも通り厩舎の掃除と馬の世話、武器や甲冑の手入れだ。今までは軽装で行っていたそれらを、彼女も「もしもの時」のためにそうしている。こんなにも穏やかで温かな街にそんな状況などに合わない。早く解決したい。

そうは思うものの、焦っても何も変わらないし、いつも通りの仕事をこなすだけだ。まずは、ランバートとラピードにご飯と水をあげて、それからユーリを起こす。という流れなのだけれど、今日はどうしようか。自分がいつもより早く起きてしまったせいでランバートもラピードも起きてしまったが、ユーリまで巻き込んでいいのだろうか。まだ寝かせておいた方がいい気がするが、このまま置いて行くのも気が引ける。

「(……どうしよう)」

考えながら、ユーリの寝顔を覗き込んでみる。こうやってまじまじと眺めてみると、ユーリのまつ毛は意外と長い事に気が付いた。それに、やはりキレイだ。肌もそうだが、整った顔立ちがカッコイイというよりも美しい。

ただし、今イビキをかいているこの大きな口さえ閉じていれば、だ。せっかくのキレイな顔がイビキの奏でられる大口のお陰で台なし。幼く見えて可愛いな、と思ってしまう。

「(ほっぺた柔らかそう……)」

起こさないように恐る恐る手を伸ばしていると、不意にユーリが唸った。驚いて伸ばしかけの手を引っ込めると、彼は大きく寝返りを打つ。ポスンと。彼の頭がアイナの膝に乗って、落ち着いた。途端に頬が熱を帯び始める。

「(器用、だなぁ)」

まるで狙ったみたいに膝に落ちたユーリの頭。少し肌の出た太股に彼の長い黒髪が触れてくすぐったい。これは、この状況はまさに「膝枕」というやつである。ランバートとラピード以外にこれをしたのは初めてで心臓がドクン、ドクンと高鳴ってうるさい。

けれど嫌な気持ちには、ならかった。嬉しいというのも違う。恥ずかしいのと、たぶん何か穏やかな感情だ。けれど、その感情に気付いてはいけない気がして静かに目を閉じた。まだ高鳴る胸の鼓動を落ち着かせようと深呼吸を繰り返す。しかし膝にあるユーリの体温が、それを許さなかった。こういう時にどうしたらいいのかわからなくて困惑する。

アイナのそれを感じ取ったのか定かではないが、あろう事かランバートとラピードが揃ってユーリの右足に噛み付いたのが彼女の視界の端に映った。途端にユーリが飛び起きて噛まれた部分を両手で庇うようにする。そのまま痛みに悶絶していた。

そんなユーリを見てランバートとラピードは、またもや揃って「ざまぁ見ろ」と言いたげな目でフンと鼻を鳴らす。この親子はユーリの事をとても好いているし、不用意に人を噛んだりしないのにどうしたと言うのだろう。

アイナにはわからなかったが、やはり血が出る程噛んだ訳ではないようだ。とりあえず、いつものように「おはよう」の意味を込めてユーリの手を握る。いつものように返ってきた返事に微笑むと、ユーリは大きく口を開けて欠伸をした。

「今日早いんじゃねぇか?」
『うん。なんか厩舎の方から人の気配がして、それで目が覚めちゃったんだけど、ユーリまで起こしちゃってごめんね』
「いいぜ、別に。つーか、アイナに起こされたんじゃないしな。オレを起こしたのはランバートとラピードだろ?」
『でも』
「お前が気にする事ねぇって。な?」

頭を撫でられたのが心地よくて、アイナは目を閉じる。終わる頃には髪が少しばかり乱れてしまうのだが、ユーリに撫でられるのが好きだった。ナイレンのそれに似ているからなのだが、ユーリの時は彼よりも髪の乱れが少ない。

『たぶん食堂に行っても、まだ朝食作ってる最中だと思うけど、どうする?』
「んー……のんびり顔洗って、のんびり食堂行って、終わってなかったら手伝えばいいんじゃねぇの?」

クスリと笑って、アイナは『そうだね』と掌に残した。



やるべき仕事を終えて時間を持て余したアイナは、中庭の木陰でヒスカと剣の稽古に励むユーリを眺めていた。隣に落ち着くランバートは、専用の甲冑を見に着けたまま自分に寄り添って眠るラピードの毛繕いをしている。

木刀同士の打ち合う音が何度も聞こえた。カン、と大きいひとつの音と共にヒスカの持っていた木刀が宙を舞う。剣術があまり得意ではないヒスカに、身体能力の高いユーリの相手はやはり十二分に務まらないらしい。

くるりと器用に木刀をひと回りさせて、ユーリはぼやいた。

「なぁ、訓練より森の魔物を一匹でも倒す方がよっぽどいいんじゃねぇか?」
「だーから、それは帝都の援軍が来てからでしょ」

確かに、こうして持て余した時間で訓練するよりも一匹でも魔物を減らした方がこの街のためのように感じる。だが、それでは根本的な解決にはならないのをアイナは知っていた。帝都からの援軍が来るか来ないかではない。今はただ、ナイレンがシャスティルを連れて赴いた魔導器(ブラスティア)の専門家から有力な話を得て戻るのを待つしかないのだ。

不意に、ランバートの耳がピクリと動いた。息子の毛繕いを止めて上げた頭が駐屯地の入り口がある方向を見て離さない。あまり間もなく、廊下と中庭とを繋ぐ扉が荒々しく開かれた。現れた褐色の肌を持った騎士デヴィットに、嫌な予感がしてアイが立ち上がる。

息も絶え絶えに紡がれた言葉に目を見開いた三人は、ランバートと共に昼寝中のラピードをその場に残して駆け出した。

途中アイナはユーリ達と別れ、酒場へ向かった。転がるように中へ入ると、思った通りメルゾムや彼が率いるギルドの仲間と思われる者が既に来店している。肩で息をするアイのいつもとは違う様子に、メルゾムが眉を寄せた。アイナは真っ直ぐ彼に駆け寄ると、その掌に字を残す。

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