君の傍に

23



陽が落ちると、いつものようにエリノアの父が経営している酒場を手伝うアイナは、もうすっかり配膳係が板に付いていた。

いつの間にかよく表情が動くようになった彼女の頭には、相変わらずふわふわの白い猫耳カチューシャが乗っかっている。当初の問題点もアイナが自然と笑えるようになった事で既に改善されているのだが、客には「白猫」と呼ばれて親しまれているし、三割り増しくらいで可愛く見えるし、何よりもエリノアが未だ恥ずかしそうにしている彼女を見るのが楽しいのだ。

「おーい、白猫!こっち酒追加だ!」

呼ばれて振り返ったアイナは、大きな声の注文に振り返って大袈裟に頷く。カウンターに近付くと、店長がすぐボトルを手渡してくれた。テーブルに持って行き、空になったそれと取り替える。

そこへ、扉の上につけた小さな鐘の音が小さく鳴った。来客だ。エリノアが「いらっしゃいませ」と声を出して、アイナも声を出せない代わりに笑って入り口を見る。見て、目が合って、彼女はピシリと固まった。

「……あ」

耳慣れたテノール。並ぶ同じ顔の双子。小さな子犬。そして、艶やかな黒髪を持つ彼と目が合った。黒髪の彼が途端に頬を染める。アイナも思わず顔を赤くした。この格好をユーリとフレンに見られるのは、これで二回目だ。今初めて目撃したシャスティルとヒスカは、同じ顔を並べてきょとんとしている。

「(ま、また見られた……!)」

こんな姿、あの日以来ずっと見られないように細心の注意を払っていたのに、まさか、まさか来店するなんて。

あの日ユーリとフレンが突然ケンカを始めたのを思い出して、アイナは咄嗟に猫耳のカチューシャを頭から引っぺがしたくなる。けれど、そうすれば後でエリノアに文句を言われる事は容易にわかるし、避けたい。恥を忍んで人数分の水をトレイに乗せてから、彼らをギルド在中の客とは離れた席へ案内する。早く注文を貰って、この場を離れてしまいたかった。ユーリが真っ先に座ってアイナを見ている。

後から腰を下ろしたフレン達もじっと目を向けている。その視線の先にふわふわの白い猫耳カチューシャが存在している事は、確認しなくとも理解出来た。俯きながらシャスティル、ヒスカ、フレン、ユーリの順で水の入ったコップを置いていく。どうせ猫耳カチューシャばかり見ているのだから俯く必要もないのだが、万が一にも目が合うのはアイナにとってもう恥ずかしすぎた。

「オレ、マーボーカレー。あとミルクね、こいつの」
「ワン!」

なんだかニヤニヤしているような気がしてならないユーリの足元で、相変わらずくわえたまま器用に自己主張したラピードが尾を振ってアイナを見上げている。昼間は小枝だったのに、今くわえているのは小さな骨……彼のコレクションのひとつで、一番のお気に入りだ。めかし込んだつもりなのかな、なんて考えながらしゃがんで頭を撫でると、ラピードは気持ちよさそうに目を閉じた。

フレン達も揃って同じので、と言ってくれたので早々にその場から離れようとした瞬間、不意に声が耳を突く。呂律が回らなくなる程、でもないが酔っているのだろう。声が必要以上に大きいように感じる。

「でな、森を抜けて向こうの街まで行きてぇって言うからよぉ、とりあえず前金で全部寄こしなって言ったんだよ!」

笑いが起こって、アイナは音の方へ視線を移した。円卓を囲む三人の男……アイナは彼らを視界に映すと睨むように目を細める。

「んで、面倒臭くなってよぉ。森を抜けた所でそのじいさん置いて来ちまったよ!」
「いけねぇなぁ、ちゃんと街まで護衛しねぇとなぁ」

そうわざとらしく注意すれば、また下品な笑い声を出す男達にアイナの怒りは沸点に達した。ここで魔術を使う訳にもいかないし、左手に持っている銀色のトレイを投げつけてしまおうか、それともいきなり殴ってしまおうか。しかし、そんな事をしてしまえば店長にもエリノアにも酷く迷惑がかかってしまうと理性にストップをかけられてしまい、アイナは目蓋を押し下げた。その時。

「いい加減な仕事で金巻き上げて飲んだ暮れるたぁ、いい身分だなぁ」

止まる様子のない声を強制終了させたのは、耳慣れたユーリの声だった。男達が彼を睨み見て席を立ち、ユーリ達の方へやってくる。シャスティルとヒスカが頭を抱えたが、フレンが目の前のコップをひとつ手に持って静かに退席したのを見てそれに倣った。けれどユーリは気にするでもなく水を飲んでいる。音を立ててユーリの目の前に座ったスキンヘッドの彼は、仕事を途中放棄した話をしていた男だった。

「よぉ、元気いいな?騎士さんよぉ。目ぇ見てもういっぺん言ってみな!」

持っていたコップをテーブルに落ち着けて、ユーリは呆れたように目を細める。

「チンピラのノリは、どこも一緒だな」
「あぁ!?」
「近ぇよ。そっちの気はねぇぜ?」
「てんめぇぇぇ!」

男がそう叫ぶように声を上げると、アイナは咄嗟にラピードを抱き上げる。ほぼ同時に、ユーリは飛んできた拳をひらりと避けて、素早く握ったコップの水を頭にかけてやった。突き出した拳が空しく、髪のない頭から滴る雫がまた男の怒りを駆り立てる。男が訳のわからない声を上げながら目の前にある机をひっくり返すと、ユーリは素早く立ち上がった。

今まで座っていた椅子を軸に何度か飛んでくる拳を避けて、足で払って持ち上げたそれを男に押し付ける。椅子と一緒に仲よくレンガ造りの壁にキスをした彼は、そのまま身を下へ、下へ摺りながら崩れた。

他の男ふたりも軽やかな身のこなしで翻弄して倒す。店の奥で飲んでいた他の男達も挙って席を立った。睨みながらにじり寄って来る彼らを目の当たりにしたユーリが「へっ!」と声を出して自らも向かって行く。

まるでゴングでも鳴ったかのように、本格的に店内で乱闘が始まった。飲みかけのワインの瓶や食べかけの料理の皿なども店内を舞い、アイナが肩を落とせばラピードが心配そうに彼女を見上げる。

一方、カウンター席に避難して並んで座っていたヒスカは、縋るようにコップを握り締めたまま我関せずのフレンに視線を向けた。

「フレン、止めてよぉ」
「ユーリが勝手に始めた事じゃないですか。僕には関係な」

突然、横から飛んできた拳がフレンの右頬にヒットする。ついでに言葉も遮られてしまった。右手で患部を押さえて眉を寄せる彼に「すかした顔してんじゃねぇ」だとか言って挑発している、先程ユーリによって壁と熱愛しなくてはいけなくなった頭の寂しい男。しかし彼の言葉なんてまるで聞こえていない様子のフレンから滲み出ているのは、怒りのオーラ。まさか、なんてシャスティルにもヒスカにも嫌な予感が過ぎった。

「関係ないって言ってるだろ!」

ユーリのそれより重たい拳が男に飛んで、見事に決まる。彼が若干吹っ飛んで、また床に崩れ落ちるのをフレンが確認する事もない。彼は歩調を荒げて乱闘の中心部へ近付いた。その間に大男によって背後から不意を突かれたユーリが、羽交い絞めにされてしまう。そのまま抵抗もままならず、殴られ放題殴られていた。

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