君の傍に

22



「ガリスタァ!!」

乱暴にドアを開いてナイレンが叫ぶ。ズカズカと荒々しい歩調で広い室内を進み、また同じ名前を同じ調子で呼ぶ。大量の本が棚に納められたこの部屋では相応しくない行為だったが、アイナも歩幅の大きい父の後を必死に追いかけた。

すると、奥の方から静かに男が現れる。淡い菜の花色の長髪の彼こそ、ナイレンが用のあるガリスタ・ルオドー、その人だ。フレームのない丸型の眼鏡から切れ長の灰色の瞳が覗いて、こちらを見ている。

「おう、ガリスタ!」
「フェドロック隊長、書庫ではお静かにお願いしますよ」
「ちっと、お前の考えを聞きてぇ!」

くい、と眼鏡を指で直してガリスタが注意した。それも特に気に留める事もなく、ナイレンが言えば娘が申し訳なさそうに小さく頭を下げる。灰色の目を細めて「気にするな」と彼は言うが、彼女はすぐに目を逸らしてナイレンの背に隠れ、身を縮めた。

アイナのガリスタに対する反応は、いつもこうだ。この隊の軍師である彼は理知的で博識な上に頭がキレるし、父も頼りにしている人物。アイナの抱える秘密を知っている人物のひとりであり、ナイレンが最初に娘の事を相談した人物である。魔術や治癒術、テルカ・リュミレースで使用されている文字や文法、エアルや魔導器(ブラスティア)の事――アイナはその全てをガリスタに教わった。彼女にとって恩人と言える。

しかし、アイナはガリスタ・ルオドーなる人が苦手だった。どうしてだろう。恩師なのに湧き上がるのは、いつだって恐怖だ。理由なんてアイナ自身にもわからない。ガリスタも、それを悟っているのに何も言わず気にする素振りも見せた事はなかった。

この世界で生きていくのに必要な知識を、身を守る戦術を教えてくれた人に対して「怖い」なんて恩知らずな感情だ。理解しているけれど、その感情は本能的なものなのか、理性では抑えられない。

書庫は好きだ。本を読むのが好きだし、静かで落ち着く。けれど、ナイレン隊の軍師ガリスタの仕事場で、彼はいつもここに居る。だから書庫は好きだが怖い。しかし、そんな感情に負けている場合じゃなかった。シゾンタニア周辺で起こっている異変をどうにかしなければいけない。そのために父と一緒にここへ来たのだ。

ナイレンと並んでソファに座る。向かい側に座ったガリスタがふたつのコップに水を入れて目の前に置いてくれる。アイナの前には当たり前のように紙とペンが一緒に置かれ、手で「どうぞ」と示される。目を合わせないまま小さく会釈して、ペンを手に取った。

「例の森の魔物は大半、退治出来たようですね」
「お前の作戦のお陰だ。でなぁ、あの森エアルが異常な量、発生してたぞ。動物も植物もえらい事になってる」
「急激に魔物が増えたのは、エアルの影響と?時期外れの紅葉もですか?」
「作戦に使った魔導器も発動がズレやがった。こいつが居なかったら、失敗なんて生易しいもんじゃ済まなかっただろうな。考えるだけでぞっとする」

娘の頭に手を置いて、ぐしゃぐしゃとかき混ぜながらナイレンが言う。乱暴だけれど優しさと愛のあるそれは、アイナは大好きなので特に抵抗もせずされるがままになった。そんな親子の光景は日常風景なので、ガリスタはいつものようにスルーを決め込む。

「……魔導器が影響を受ける程、エアルが噴出しているという事ですか?」
「そっちを止めねぇと、いくら魔物を退治しても意味がねぇ」
「どこから来てるんでしょうね……」
「川の上流の湖の中に遺跡があんだろ?紅葉が川沿いに進んでるんだから、あそこになんかあるのかなぁ」
「エアルの噴出を促す何かが、という事ですね?例えば……何かの魔導器とか?」

小さく頷くナイレン。その隣で、アイナは渡された紙に文字を書き始めた。それが終わるのを待つ様子もなく、ふたりの話は続く。

「ですが、あの場所は討ち捨てられて何もないはずです」
「すぐに調査しねぇとな」
「しかし、帝都から命令書が来ています。三日後の、人魔戦争終結の式典に参列せよと」

開かれた状態で差し出された書類入れを受け取って、ナイレンは呆れているのを隠しもせず中身に目を通した。はぁ、とため息の後で吐き捨てるように言葉を放つ。

「オレ達の仕事は、かしこまって整列する事じゃねぇだろ」

早々に閉じて、机に投げ出す。彼らしい言葉と行動にガリスタは苦笑いした。

「本部にそう言えれば苦労はしません。参加するのでしたら、すぐにでも出発しないと」

会話を遮るように、アイナは書き終えた文字の並ぶ紙を父に渡した。真剣に目を通し、やがて険しい表情へと変化していく。最後のひと文字まで読み終えると、ナイレンは娘の書いたそれをガリスタに渡した。彼も目を通す。

そこに書かれていたのは、ほんの数年前まで魔導器もエアルも知らなかったなんて考えられないようなものだった。

『あの紅葉がここまで来る頃には、結界魔導器(シルトブラスティア)が影響されて街の人達を襲うかも知れません。エアルで動く物なら、それが荒れた事で狂ってしまうのは当然の事。魔導器は騎士団だけが使う物じゃなくて、生活に根付いている物ですから、おそらく結界魔導器だけでなく街にある全ての魔導器が牙を剥いたっておかしくないはず。一度、詳しい方にお尋ねするのがいいと思います』

ナイレンは愛用のキセルを取り出して一服する。本当に賢い子だと感心した。突拍子もない話だと笑う輩も居るのであろうその仮説が、ナイレンには真実だと思えてならない。この世に絶対的に安全なものなんて、ありはしないのだから。

もう一度キセルをくわえて吸うと、ナイレンはガリスタが娘の意見を最後まで目を通す前に問うた。

「あのさ、誰かエアルや魔導器に詳しいやつ知らねぇか?」
「確か、リタ・モルディオという魔導器研究家の施設が近くにありますが」
「場所教えてくれ」
「行かれるのですか?式典は?」

ナイレンが席を立ったのを見てアイナも立ち上がる。代理を送る、とだけ残し早い歩調で扉の方へ向かう彼を慌てて追った。ガリスタも慌てて立ち上がり、その大きな背中に言う。

「ですが、アレクセイ閣下は」
「こっちの方が重要だ。そう判断する」

ナイレンは足を止め、キセルをくわえながらそう言い切った。ガリスタは、こうなっては自分が折れるしかないと深いため息と共に肩を落とす。

「わかりました。ですが、問題が」
「ん?」
「モルディオは少々気難しい性格でして……手土産のひとつでもあった方が」
「じゃぁ、そっちの用意も頼む」

簡単に言ってのけて、来た時のような歩調で書庫を出て行くナイレンの背中をアイナが小走りで追っていく。扉の閉まる音の後、ガリスタはまた重い息を吐いた。

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