君の傍に

24


その様を嫌な笑みを浮かべて見下ろしていた大男の肩へ、静かにフレンの手が置かれる。振り返る途中に左頬に食い込んだフレンの拳は、彼よりも大きな男すらもたったの一発で伸した。助けられたユーリ本人も、ラピードを抱いたまま参戦しようかと考えていたアイナの目が丸くなる。

きょとん、としたふたりと一匹に見送られている事を気にも留めず、フレンは相変わらず彼らしくない荒々しい歩調でギルドの男達へ立ち向かっていった。

それからは、ほとんどフレンの独壇場のようなものだ。殴るも蹴るも、ひとつひとつがユーリよりも重くて確実に急所を捉えている。ユーリのように背後から襲いかかって来られても、背負い投げで下してしまった。しかし、やられる一方では相手も黙っていない。

すぐ傍にぼんやり突っ立っている子犬を抱えた少女にまで矛先が向けば、フレンの様子にきょとんとしていたユーリが盾になり、矛となった。たったふたりの、青年と言うにはまだ幼いような印象を受けるふたりの男。彼らからすれば、そんなの小僧も同然だ。そんなやつらにやられっ放しでは、荒くれた彼らが得物に手をかけるのも時間の問題である。

アイナの腕の中で忙しなく吠えるラピードは、殴り合い蹴り合う男達を止めようとしているのか、それとも「いいぞ!そこだ!頑張れ!」なんて風にユーリとフレンを応援しているのか。たぶん後者だろうとアイナは思う。

「野郎……!」

目の前の男ひとりが腰にある短剣に手をかけたのを、彼女は見た。ラピードを抱いたまま狙いを定めて下から蹴り上げる。思惑通り真っ直ぐ上へ飛んだ短剣が天井に突き刺さった。しかし更に怒るだろうと思っていた男は、なぜかきょとんとしている。訳がわからず首を傾げると、彼はその疑問を解決する言葉を口にした。

「ま、まさかの黒!」

顔に熱が集中する。男が口にした色は、アイナの今日の下着の色だった。

普段はパステルカラーばかりを好んでいる。けれど今日のは、非番の時エリノアと買い物に行った時に衝動買いした。装飾のレースが花を模していて、それが桜によく似ていて懐かしい気持ちになる。アイナの生まれた地で桜がキレイに咲く頃は、丁度誕生日だから。だから、とても気に入っているのだけれど見られるのは別問題だ。恥ずかしいし、腹立たしい。不可抗力だったのだろうが、わざわざ色を大きな声で言う必要などなかったではないか。

酷い、酷い、酷い。アイナは言い表せぬ悔しさに体を震わせた。彼女のそんな気持ちが触れている部分から伝わったのだろうか。ラピードが突然アイナの腕から抜け出し、その男の顔に向かって跳んだ。

「痛ぇ!!こんのクソ犬!」
「キャンッ」

首根っこを掴まれたラピードが床に叩き付けられて悲鳴を上げる。男の鼻から血が滲んでいて、ラピードは彼の鼻に食らい付いたのだと頭の端で理解した。

プツンと自分の中で何かが切れたような気がした。ラピードは、まだ生まれて半年にも満たないというのに、あんな乱暴な事をするなんて。そう思ってしまえば、アイナは無意識に魔術の詠唱を始めていた。

ふと、頭の上に大きな手が乗る。右腕に巻き付く炎を吐く龍の刺青が視界に入れば、アイナは我に返って詠唱を止めた。

「そこまでだ!」

メルゾムの低くて太くて、濁った声が轟けば途端に静寂が訪れる。乱闘に加わっていたギルドの男達は、一様に肩を竦めて冷や汗を流し出した。

「こんな所で剣抜くやつがあるか。こいつのパンツまで見やがって」
「で、でもよぉ、パンツは不可抗力ってやつで、その……」
「あ?」
「す、すいやせん……」

男はメルゾムの有無を言わせない鋭い睨みに耐えられず完全に畏縮した。
頭の天辺にあったメルゾムの手が退いて、そのままユーリの方へ歩み寄る大きな、大きな背中を見詰めていた。

「いい度胸だ。帝国の犬にしとくにゃもったいねぇ」

アイナには、なんとなくだが楽しそうに聞こえるメルゾムの声。巨漢に値する彼が誰と対峙しているのか、小柄に分類される彼女は全然わからない。

「メルゾム・ケイダだ。この街のギルドを仕切っている」
「……ユーリ。ユーリ・ローウェルだ」

やっぱり、と思ってアイナの口角が緩んだ。足元でお座りしているラピードを抱き上げて、どこか怪我をしていないか確認を始めながら、メルゾムの声に耳を傾ける。

「最近、めっきり仕事が減っちまってな……イラついちまってた。受けた仕事はきっちりやらせるからよ、今回の事はオレに免じて手打ちにしてくれんか?」
「いいぜ、おっさん」

ユーリの口から出たその言葉で、乱闘に終止符が打たれた。次の瞬間から奥に避難していたエリノアとシャスティルやヒスカ、フレンが片付けを開始する。アイナも加わろうと思ったが、叩き付けられて痛いのと驚いたのと恐怖とで、少し震えているラピードを優先する事にした。脇の下に顔を埋めて小さな体を震わせている彼の背中を繰り返し、繰り返し撫でる。しなやかな手の動きで続けていると、目の前にユーリがやって来た。

「ラピード、どうかしたのか?」
『私のために跳びかかってくれたんだけど、相手を噛んだから床に叩き付けられちゃって』
「そっか。頑張ったな、ラピード」

ユーリの手が優しく頭に乗るとラピードが顔を出す。くるりと首を捻ってユーリを視界に映すと、彼は弱く尾を振った。アイナよりも大きくてしっかりした手が乱暴に彼の頭を撫でれば、ラピードの揺れた尾がいつものリズムを取り戻す。

「おいコーレア、ユーリ。ちっと、ここ座れ」

太く濁った声に呼ばれて視線を動かすと、メルゾムが四人がけのテーブルに着いていた。顎で自分の目の前にある椅子を示されて素直に従うアイナ。その膝の上にきちんとお座りしたラピードを見たユーリは、半ば仕方なしに彼女の隣にある椅子に落ち着いた。そこへタイミングを見計らったかのように、エリノアが注文していたマーボーカレーを彼の目の前に置く。軽く礼を言ったユーリは、スプーンを手に取ってマーボーカレーを口に運んだ。

「それにしても、最近の魔物は普通じゃねぇよな」
「まぁな」
「前は結界のある街の近くになんか、寄り付かなかった。ナイレンの野郎は何してやがる」
「ナイレン?……あぁ、隊長か。随分と馴れ馴れしく呼ぶな?」
「まぁ、詰まんねぇ話よ。あんたら昨日、森で大がかりな魔物退治やったな」
「あぁ」
「森も季節はずれの紅葉だ。何か関係ありそうだな?」
「わっかんね。でも隊長はそう思ってるみたいだ。軍師と相談してるよ」

ユーリは言ってはいけない騎士団の内情をマーボーカレーを食べながら肯定し、喋っていく。その隣ではアイがラピードを撫でており、メルゾムやユーリを視界に入れていない。

ふと、背後から気配がした。慣れた気配だ。ユーリの背中からフレンが右腕を掴み上げ、ヒスカが左腕を抱え上げ、シャスティルが右腕を回して首を締め上げる。真っ先にシャスティルが叫ぶように言った。

「何、余計な事喋ってんの!」
「馬鹿!」
「帰るぞ!」

三人の拘束が解かれる様子もなく、ユーリの体が引き摺られていく。彼の持っていたスプーンが音を立てて床に転がった。ラピードの耳がピクリと動いてアイナを見上げる。彼女が小さく頷くと、彼はユーリを追うべくその膝から飛び降りた。ユーリが使っていたスプーンをくわえ、怒られる前に素早く店を出て行く。シャスティルもヒスカもフレンも、ユーリの姿も見えなくなって、声も足音も店内から消えた。無意識にアイナの唇から息が零れる。

それからポケットに入れている筆談用の紙とペンを取り出すと、彼女は文字を並べ始めた。静かになった店内でメルゾムは待つ。差し出されたそれは、長い文章だった。原因があると思われる場所、街に及ぶかもしれないと自分が考えた影響、最後にひと言「嫌な予感がしてならない」と。

メルゾムは、やはりナイレンのように難しい表情をしながらもアイナの仮説を信じた。

椅子の引き摺る音がして、立ち上がったメルゾムが店の中でも陰になる奥で隅の方に視線を動かす。アイナがそれを追うと、彼はその場所に向かって声を張った。

「レイヴン!」

鼻の頭や両頬を赤く染めた男がゆっくり振り返って「ん〜……?」と気の抜けた返事をする。ついでにしゃっくりも出ていた。

「てめぇも仕事だ」

嗚呼、胸騒ぎが途絶える事を知らない。



to be continued...

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