君の傍に

16


少しの沈黙が訪れた。自分の発言にやっと気付いたユーリが、ただでさえ赤い顔を更に真っ赤にする。

「こ、の……っ!」

恥ずかしさに耐えかねたてフレンを殴り飛ばしたのは、間もなくの事だった。それを合図に、ふたりの間だけで試合開始ゴングが鳴る。アイナの目の前で殴り合いが始まった。ユーリとフレンを止めようしたのか、ふたりに向かって飛び出したラピードを慌てて抱き上げる。

「ガウ!ガウ!」

怒っているような吠え方が、アイナには「やめろ!やめろ!」と言っているように思えた。代わりに自分が止めなければ。

しかし襟を掴み合い睨み合っていて、今にも殴り始めそうな所に割って入ったら、間違ってどちらかの拳に当たりそうだ。そうなってしまったら、それはそれで面倒な事になりそうだ。例えば、ふたりがナイレンに怒鳴られるとか。

「(ふたりとも、ごめんね。後でちゃんと謝るから)」

心の中で謝ったアイナが、ラピードを腕に抱いたまま静かに、仕方なく魔術の詠唱を始めた。

「(あどけなき水の戯れ……シャンパーニュ!)」

言葉に出せない詠唱が心中で終わると、無数の水滴がユーリとフレンの頭の上で弾ける。思いっきり水を被ったふたりが動きの一切を静止した。

「ガウゥ、ワフ」

ほら見ろ、馬鹿。なんて言ったみたいな鳴き方をした。ふたりの視線が同時にアイナの方へ向く。ため息のようなものをラピードが漏らして、アイナも思わず息を零した。まさか、こんな風にふたりがケンカするなんて思ってもみなかった。しかも自分の頭に着けてある猫耳のせいで。意外と単純と言うか、なんと言うか。

自分の魔術のせいでびしょ濡れになったユーリと、また目が合う。あからさまに逸らされて、酷く気分が沈んだ。

「(もう、ほんっとに、エリノアの馬鹿……)」

本当に、今日は厄日だ。



慣れない仕事は余計に疲れる。よく知らない人に囲まれる仕事であれば尚の事だ。警戒心を中々解けないアイナには、精神的に辛いものがある。エリノアもそれは理解していたが、いつまでも逃げていてはダメだからと、彼女に配膳を手伝わせた。

そう広くもない街とはいえ、客商売は客商売。愛嬌や笑顔は重要だ。アイナのそれは硬すぎて、近い者にしかわからないようなもの。それでは話にならない。だからエリノアは、自分と同じデザインの服に彼女に合うだろうと白い猫耳のカチューシャを強制してみた。

その効果は絶大である。アイナは身長がそんなに高くないし結構童顔なので、無表情でも子どもみたいで愛らしいのだ。さっきから「猫耳姉ちゃん」と呼ばれ頼まれている。おかげでエリノアは仕事が回って来なくて暇だ。

「(まぁ、無理もないのよね。声かける度にてんぱって可愛いし……けれどあの子、こんな慣れない仕事して大丈夫かしら……)」

無理をしすぎて倒れなければいいけれど、とエリノアは忙しなく動き回るアイナを見ながらため息を零した。

次の瞬間、店内の空気が変わった気がしてエリノアは我に返る。
酔っ払った客のひとりが、アイナの腕を掴んでいた。酒に飲まれた男によく、よくある絡み方をしている。

騎士であるアイナは戦い慣れてはいるが、ああいうのを適当にあしらうのは初心者だ。どう対処したらいいかわからなくて、おどおどしている。しかも相手は帝国のやり方をよしとせず市民権を捨てた、ギルドの者達。アイナがその帝国に属する騎士団員だと知れてしまえば、事態は深刻になるだろう。それは店としても、友人としても回避しなければならない。

「コーレア、そろそろ帰る時間でしょう?もう上がっていいわよ」

声を聞いて振り返ったアイナが、エリノアの顔を見てどこかほっとしたような印象を持たせた。代わりに謝ってやんわり解放させる。アイナが笑った気がして、嬉しくなったエリノアは彼女の頭を撫でた。
今日はもう充分、働いてくれた。アイナには本業の仕事もあるし、そちらに支障が出て困るのは彼女だ。エリノアは、アイナにそうなって欲しくなかった。

これで、今日は彼女を解放してあげられる。そう安堵した次の瞬間、店の奥から野太い声が響いた。

「コーレア……お前、ナイレンの娘か?」

アイナが振り返って大きく頷く。目を細めて彼女を睨むように見ているその巨漢から、アイナは真っ直ぐ見詰めて逸らさなかった。
互いに目を逸らさないまま、男は席を立ってアイナの方へ歩み寄ってくる。

店の空気が嫌に緊張していた。エリノアや彼女の父だけでなく、男の仲間達も息を飲む。
臆す事なく見上げたまま対峙する少女。身長が倍もあるのではないかという巨漢。どうなるかわからない展開が怖かった。

男が手を伸ばし、緊張が走る。

「元気になったじゃねぇか!異名までつきやがって!」

それはもう、乱暴にぐしゃぐしゃと。美しい銀色の髪をかき回した。

予想外の方向に転んだ状況に理解が追いつかず、その場に居る誰もが目を丸くしている。そういえば、とエリノアが思い出す。彼女もギルドに所属している客から聞いた事があった。

騎士団には、銀色の長い髪を持った無表情の少女騎士が居る。

彼女は決して口を利かずに沈黙を守ったまま剣術で敵を翻弄し、高度な魔術を操り、高度な治癒術で仲間の傷も市民の傷も治す。まるで戦をするために生まれてきたような、高い戦闘能力を持ったその少女騎士を、いつしか騎士達は「銀の戦乙女」と呼ぶようになった。その呼び名は、ギルドのまでも広く知れ渡っているらしい。

その銀の戦乙女とはアイナの事であった。その銀の戦乙女が、状況を理解出来ずにきょとんとしている。

「なんだ、わからねぇのか?あん時、気ぃ失ってたからな……ま、帰ったらナイレンに訊いてみるんだな。メルゾム・ケイダに会ったって言えば、わかるだろうよ」

ためらいながらアイナが頷いて、メルゾムと名乗った巨漢が豪快に笑う。また乱暴に頭を撫でられたアイナがくすぐったそうに目を閉じて、エリノアはほっと肩を撫で下ろした。



フレンと部屋でケンカをした。くだらない事が発端だったけれど言い負かされて、相部屋なだけに居心地が最悪になって逃げ出した。

寝る場所なんて宛がない。ただ、ふっと思い出されたラピードの姿に「あいつの所で寝させてもらうか」なんて考えた。本当にそれ以外、思い付かなかったユーリは犬舎へ向かう。扉を開けて一番近い場所がランバート親子のスペースだ。そこに、居るはずのない姿があった。

「……、アイナ?」

寝間着をまとうアイナはランバートを枕に、ラピードはアイナの腕を枕にして眠っている。ランバートだけがユーリに気付いて、けれど視線を少しだけ向けてすぐに目を閉じた。どう解釈していいのか、わからない。

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