君の傍に

09




最初に違和感を覚えたのは、休憩を終えて再び跡を辿り始めて間もなくだった。遭遇する魔物の数も頻度も増え、もう何度邪魔をされたかわからない。

「(なんか最近、この辺りの魔物増えた……よね)」

間違いない。結界の外とはいえ、以前はここまで魔物に出くわすなんて事はなかった。息が荒くなってしまう。額から滲み出た汗を拭いながら、アイナの視線は気遣うようにランバートへと落ちる。

「(流石に疲れてるみたいだな……)」

無理もない。正式な任務でだって、ここまで頻繁に魔物と戦うなんて今までなかった。それに、ひとりと一匹では必然的に相手にしなければならない数も増える。

けれどアイナは、いつもナイレンかランバートと組んで戦うし、他の誰かとそうするよりもずっと慣れているから動き易かった。目や言葉で合図を送ったりしなくても、ナイレンやランバートとなら互いの動きを簡単に予測して動けるから。とはいえ、数が多いとやはり疲れるものだ。途中で休憩を入れたものの、探しても探しても目当ての荷馬車は見付からないし、魔物には散々出くわす。

「(そろそろ戻った方がいいのかな)」

葉と葉の間から見える空を見上げた。ランバートが一緒だから帰り道に迷う事は絶対にない。だが、慎重に進んできたとはいえここまで来た時間を考えれば、そろそろ戻らないとシゾンタニアに戻る前に夜になってしまうだろう。

「(あんまり遅いとお父さん心配するし……それに怒るよなぁ)」

そう考えたら自然と足が止まった。ランバートもアイナの隣に立ったまま動かなくなる。心配そうにこちらを見上げている彼に、気付かないふりをした。

ナイレンは本気で愛してくれる。娘として溢れんばかりの愛情を注いでくれる。だから絶対に帰りが遅くなれば、なぜ暗くなる前に引き返して来なかったのかと怒るだろう。わかっている。ちゃんと理解しているけど、今ここで戻るなんてナイレン・フェドロックの娘としてのプライドが許さない。

「(お父さん、ごめん。帰ったらちゃんと怒られるから)」

改めて前を見据える。利き手に持つ剣を握り直して、再び足を進め始めた。

少し奥へ入ると突然、開けた場所に出る。その中央付近には焚き火の跡があった。

それだけではない。所々に飛び散った複数の血の跡、無造作に散らばった空ビンやバラバラになった木箱、倒れた荷馬車。それなのに人ひとり姿はなく、この場所で何かがあったと物語っている。最近この辺りに現れるという盗賊らに荷馬車が襲われ、ここまで連れて来られたのだろう。ここで積んであった酒を飲み、そして何かが起きた。

魔物に襲われたのだろうか?否……そうだとしたら遺体がないとおかしいのに、それが存在しないから考え難い。

「(ここで何があったっていうの……)」

これは急いで帰って報告しなければ。そう考えて踵を返そうとした瞬間、アイナに悪寒が走った。慌てて背後を振り返える。隣で同じように体勢を整え直したランバートが地を這うような唸り声で威嚇と警戒を続けていた。



太陽が休み、月が街を照らす時刻。未だ帰って来ない娘に心配が先走って、焦りと苛立ちがナイレンの歩調を荒くする。

何かあったのか、目当ての荷馬車が見付からなくて帰って来ないのか。ナイレンに知る術はない。けれど、荷馬車が見付からないからという理由でまだ戻らないのは充分に考えられた。

彼女は探して欲しいと頼まれれば見付かるまで諦めずに探す。途中放棄は絶対にしないし、平気で無茶も無理もする。アイナはそういう子だ。

「(それでいて自分が愛されてるって、ちゃんと理解してるからなぁ……あの子は)」

だから、今こうしてナイレンが心配している事もわかっているだろう。わかっていても止めないから余計にタチが悪い。

「(こりゃぁ、帰ったらまた説教だな)」

ひとりで無茶ばかりするなと怒って、後は無事でよかったと思いっきり抱き締めてやろう。

そう決めてから目の前にある扉を開けた。けれどいつも駆け寄ってくる小さな影が現れない。代わりのようにカリカリという音が耳に入った。

「うまいか?オレはお預け食らっちまったよ」

暗がりに響いたのは、今日来たばかりの新人の声。確かこの声の主はユーリ・ローウェルの方だったはずだ。いつもならアイナがやっているラピードのご飯の時間になったからと来てみたが、どうやら彼に先を越されたらしい。

「……オレはお前と同じ、か」

女性と見間違えてしまう程の黒く長い艶やかな髪が少し動いた。その直後に落ちた、情けないくらい小さな、小さなひとり言。ナイレンが声をかけるタイミングを逃したと立ち尽くしていると、ラピードが鳴いた。

「クーン、クーン……」

ユーリのまとう空気が変わったのを敏感に感じ取ったのだろう。食べるのを中断したラピードがユーリを心配そうに見上げたまま動かなかった。

「(……ここは、見なかった事にしておくか)」

どんな気持ちで漏らした言葉だったのか、なんてほとんど無意味な予想しか出来ない。それに必要以上に言葉を贈るのは、きっと余計なお世話でしかない。

「なんだ、お前がエサやってくれてたのか」

だからこそナイレンは、たった今現れた風に装った。するとユーリは何事もなかったように平然と、短く「あぁ」とだけ返す。そんな彼の足にラピードがすりすりと頬を寄せた。今まで見た事のない光景にナイレンの目が丸くなる。

「珍しいな。ラピードが人に懐くなんて」
「へ?」

素っ頓狂な声を出したユーリの隣に同じようにしゃがみ込んだナイレンが、ラピードの首の後ろを撫でる。ゆっくりとした手付きで慈しむように繰り返しラピードを撫でながら、ナイレンは静かに語り始めた。

「母犬は、こいつを産んだ後しばらくして死んでな。こいつ死んだ母親からなかなか離れなくて。無理に引き離したらオレの娘以外、誰見ても吠えるようになっちまったんだが……」
「へぇー……おっさん、娘いんの」
「おう。お前もフレンも、もう会ってるんだがな」

ひと呼吸置いたナイレンが、わかっていないユーリを見て苦い笑いを浮べる。

「コーレア・フェドロック。試験の時に会ったろ?」
「は!?あのコーレアがおっさんの娘!?似てねっ」

そう言ってじろじろと顔を見るユーリに、見られているナイレンは優しさと誇らしさを孕めて笑った。

「オレが拾って育てた子だからな。血は繋がってないが、オレの自慢の娘だ」
「え……おっさんの本当の娘じゃねぇの?」
「あぁ。オレが初めて会った時には、もう喋れなくなってた」

よっぽど辛い目に遭ったのだろう。あの子が失ったのは声だけではなかった。

そうか、とだけ零したユーリが視線を逸らす。ラピードに向けられた彼の目は、自身の長い髪で隠れてナイレンには見えなかった。考えているのはアイナの事だろうか、とナイレンはどこかぼんやりと思う。

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