君の傍に

10


「(そういや……アイナはこいつやフレンの話、今まで見た事ない顔でしてたな)」

楽しそうというか、嬉しそうというか。それはもう、いい意味でナイレンすら見た事のない表情で書いていたっけ。

「(……なら)」

思い浮かんだひとつの案に、ナイレンは賭けてみようと考えた。

「コーレアひとりじゃ大変そうだし、お前も面倒見てくれると助かるんだがな」
「へ?」

突拍子もないナイレンの呟きにまたも間の抜けた声を上げたユーリは、黒水晶のような瞳を何度か瞬きする。その様子にナイレンが少しだけ意地の悪い笑みを浮かべた。

「ラピードの世話係、頼んだぞ」
「オ、オレが?」
「ワン!」

肯定するように元気よく鳴いたラピードが身を屈めているユーリに飛びつく。そのままぎこちなく後ろ足だけで立ったラピードは、彼の頬を嬉しそうに舐め始めた。慣れないせいで扱いに困っているのか、根が優しいから無理に引き剥がせないのか。定かではないがユーリも「やめろ」とは言うものの強引に振り払えないでいる。

そんなひとりと一匹のやり取りを微笑ましく思って眺めていると、不意にラピードの耳がピクリと動いた。喜びをいっぱいに表現していた尾が静止し、尾も耳もピンと立てている。これは意識を集中している時や警戒している時にする仕草だとアイナが教えてくれたのを、ナイレンの脳が思い出した。

咄嗟に耳をすませる。すると出入口の扉の方から、ガリガリと何か引っ掻いているような音が聞こえた。何事かと思いノブを捻る。向こう側に息を荒くしたランバートが立っていた。

「どうした?ランバート」

くいっと顎を持ち上げるランバートが、何か言いたげにナイレンを見詰める。彼の口の中でキラリと覚えのある物が光った気がして、ナイレンは慌てて手を差し出した。するとランバートがその掌にくわえていた物を置く。

「なんかあったのか?」

背中から覗き込んできたユーリの目が、ナイレンの手に乗せられた物に向けられる。それは、彼にも見覚えのある物だった。

「それ、コーレアの髪飾りじゃん」

特徴的な花も形も彼女の銀色の髪によく似合っていたから、ユーリもよく覚えていた。

「(しかし、これは)」

これはナイレンとアイナがふたりで決めた、離れている時に伝える「助けて」のサイン。

「――っ」

息を飲んだ。助けを求めている、あの子が、アイナが。全身の血が嫌に騒いだ気がした。

ランバートが身を翻して走り出す。ナイレンもそれに続いた。

一方、ナイレンが突然走り出した理由もランバートが彼女の髪飾りを持ってきた意味も知らないユーリは、ただ呆然と立ち尽くす。彼の腕に抱き上げられたラピードが、懸命にそこから抜け出そうともがいていた。

大きく口を開けたラピードが拘束しているユーリの腕に噛り付く。不意の痛みに声を漏らしたユーリは、咄嗟に腕を緩めてしまった。結構な高さから地面に落ちたラピードは上手く着地出来ず、悲鳴にも似た声を上げる。すぐに身を起こすと父親とナイレンの後を追おうと走り出した。けれど、まだ生まれてそう経っていないラピードが走ると言っても速度は非常に遅い。ぴょこぴょことぎこちない走り姿がむしろ愛らしくて、場にそぐわない感じがした。

「お、おいこら!」

咄嗟の判断で引き止めて再び抱き上げると、鋭く睨まれバタバタと暴れられる。そんなラピードの様子に、ユーリは思わず問いかけていた。

「お前、もしかして追いかけたいのか?」
「ワン、ワン!」

肯定された気がしたユーリがラピードの小さな頭をくしゃくしゃと撫でる。

「オレが代わりに行ってやるから、おとなしく待ってろ。な?」

見定めるかのように、ラピードがユーリを見詰める。彼の言葉を理解したのか、間もなくおとなしくなったラピードをそっと地面に立たせた。宣言通り、ナイレンの消えた方に向かって走り出す。距離は出来ていたが、まだユーリの視界に彼らは居た。

距離を詰めようと懸命に足を動かす。前方で魔物を切り伏せながら進んでいるナイレン達と少しずつ間が詰まって、追い付いた頃には夜の深く暗い森の中を走っていた。

突然開けた場所に出ると、そこは悲惨としか言い表せない状態だった。飛び散った無数の血が所々に跡を残し、無造作に散らばった空ビンや倒れた荷馬車、原型を止めていない木箱であっただろうもの。そして重なるように倒れている男達。彼らが死んでいるであろう事は流れ溜まっている血の量から容易に想像できた。

そのすぐ近くに横たわっている、小さな体。視界に捕らえたナイレンの顔色がさっと青ざめた。

「アイナッ!!」

切羽詰ったような声で慌てて駆け寄ったナイレンに抱き上げられたのは、少女だった。

赤みがかった長い黒髪がさらりと流れ、呆然と立ち尽くしているユーリにその顔が晒される。眠っている少女の顔はユーリの記憶にあるコーレアのそれと重なった。

「アイナ、アイナ!しっかりしろ!」

ナイレンの呼び声に応えるように目蓋を押し上げた少女の顔色は、酷く優れない。彼女の胸元は血で汚れていた。

「……、……ッ」

それはもう苦しそうに、何か伝えようと少女が口を動かす。しかし唇から漏れるのは荒い吐息と少量の血だけだった。

「もう大丈夫だからな、安心しろ」

ナイレンがそう言えば少女が安堵したように再び目蓋を閉じる。

小さな体を大事そうに両腕で抱えるナイレンに呼ばれて、ユーリはやっと我に返った。慌てて駆け寄れば、眠っている少女を託され訳のわからないままその小さな体を抱き締める。すると、におもむろに着ていた団服の上着を脱いだナイレンが、それで少女の頭部が隠れるように背中から包み込んだ。

「ユーリ、お前はこいつを頼む。いいか、衝撃を与えないようにするんだぞ」
「あ、あぁ。けどこいつ、いったい…」

誰なんだ?そう問おうとしたユーリの言葉を遮るように、ナイレンのまとう空気が変わる。思わず息を飲み込んだユーリを冷たく見下ろして、彼は言った。

「人を敵に回す覚悟がないんなら、それは二度と訊くな」

背を向けたナイレンが這うような低い声で「行くぞ」と言い剣を構える。魔物の唸り声が耳に届いて、おとなしくしていたランバートが地を蹴った。ランバートが向かったのと別方向から魔物が襲いかかる。それを一撃で切り伏せたナイレンが走り出した。
 ユーリには、ただ黙って誰ともわからない少女を抱えナイレンの後に続くしか術がなかった。



to be continued...

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