知っていますか



山姥切が大学へ早く行かなければならない理由は、とある教授との面談の予定があるからだった。この大学では三年から研究室に所属しなければいけなくて、希望は聞かれるが、最終的には成績順に希望が通っていく決まりになっている。実際に研究室で活動を始めるのは四年生になってからだが、所属する研究室によって推奨される講義があるのだ。成績に関して、山姥切は成績優秀者として掲示板に名を連ねているので問題はない。ちなみに大倶利伽羅も運動部と天文部を掛け持ちしているのに、成績優秀者だ。所属する研究室を選ぶにあたって、研究室の見学や、実際どういった研究をしているのかを先輩から聞く機会も設けられている。そうして最終的に自分がどういった理由で、どういった研究がしたくてその研究室に所属したいのかを教授と面談というかたちで擦り合わせをすることになっていた。山姥切はマテリアル工学について学んでいたが、特に結晶化についての研究を進めていきたいと考えていたので、天文部の副部長も所属している研究室の教授と、講義が始まる前の時間、つまり八時前の三十分間の時間で予定を組んでいた。講義後になるとバイトが入る可能性があるし、バイトがなくとも、天文部に顔を出しておきたかったからだ。部員が増えすぎたせいで連絡が追いつかないのもそうなのだけれど、次のコンパをどこで開くかだとか、合宿の日程の調整だとか、大倶利伽羅が蒔いた種なのだから、と、少々アレな理由から、運営には手を貸すようにしている。

なんだかんだ、大学までパタパタ、痛い痛いとぼやきながらも急いで来たので予定より早く着いてしまったが、誰もいないならどこかで待てばいいだろう、と、その研究室の扉を三回ノックした。そうしたら中から「あー教授いないけど中入っていいぞー」と、天文部の副部長、つまるところ工学部の芸術作品とも呼ばれる鶴丸の声がした。

「失礼します……」
「あ、やっぱり山姥切……て、まてまてまてまてまて!!」
「えっ」

鶴丸は血相を変えて山姥切をすぐ研究室へ入れ、ドアを閉めた。そうして、第一声で「誰に襲われた!?」と真剣な、というより、青ざめるほど心配した顔で山姥切の肩を掴んだ。

「え?……え?」
「え、違う……のか……?その……強姦に遭っただとか、暴行されただとか……」
「い、いえ……そういったことは何も……」
「え、じゃあその……ええと、まぁ、踏み込んだ質問をしていいか?」
「お、俺どこか変……ですか?」
「変だとかそういう問題じゃあない!なんだその手首の青あざに!首まわりの……まぁ、鬱血……その……きみがそういったことにとんでもなく疎いというのは把握していたのだけれど!まぁ色々と把握をしているわけだけれども!強姦や暴行の被害でないなら、まさかでもなく大倶利伽羅だな!?」
「っ……え、あ、いや……え……?」
「ああもうあいつは本当にアフターケアってやつができない男だな!君もなんであんな不愛想な不機嫌王子のどこがよくて付き合っているんだ!?まあ、あいつは最高に面倒くさいが最高にいい奴だからな!で、問題は服装だ服装!いや、根本的問題は全て大倶利伽羅なんだけどな!?」
「え……?……あっ!あ!!!!」

山姥切はまだ日が昇ると暑いから、と、ブイネックで七分丈のセーターに、八十デニールの黒タイツをはいたショートジーンズだった。寒くなったら天文部の部室に置いてある備品の上着を借りようと思っていたのだ。しかしその恰好ではもう首についた、というより大倶利伽羅がべたべたと着けたキスマークも、強硬手段をとられた時の手首の痣も、全部見えてしまっている。そういうのが不味いのだとはさすがにわかって、色々混乱して自分の頭の悪さと羞恥心で死にそうになった。が、鶴丸がすぐに自分のフード付きパーカーを脱いで渡して、人目を気にしながら山姥切を近くの女子トイレに入れてくれた。山姥切はそこで着替えて、フードをかぶれば全部見えなくなるが、まさかフードをかぶったまんま教授と面談するわけにはいかないし、とトイレから出て頭を抱えていたら、インナー姿の鶴丸が近くの研究室からかっぱらってきた包帯で首を苦しくない程度にぐるぐる巻きにして、「いいか!?脇見運転の車と軽く事故って軽い鞭打ちになったって言えば大丈夫だ!」と言ってくれた。山姥切は羞恥とありがたさで泣きそうになりながら頷いたけれど、「教授の前では首動かすなよ!」と言われて、「あ、ありがとうございます」と言った。

「で、教授から伝言を預かっている。急な用事ができたらしくてな、どうにも時間に間に合わないらしい。で、一限が入っているのであればそれに出てしまって、あとからまた日程を合わせてくれないか、だとさ。まあ、帰ってくるのはあと一時間後くらいだろうなあ」
「そうですか……ええと、今日は一限入っていないので……どこかで時間を潰した方がいいですかね……ずっと研究室で待たせてもらうのも……その……他の人は……ちょっと……」
「ああ、ここの研究室はホワイトだからな。他の奴が来るのなんて、大体十時過ぎだ。そこは気にしなくていい。俺はちょっと実験している機械の様子を早めに確認しておきたくて、たまたま早く来ていた。……そして、君にはたとえセクハラになろうとも、聞かなければならないことがある。声の具合と、手首のあれこれから察してしまうと、多分大体一年半も付き合ってなにもしていないことに業を煮やした大倶利伽羅に無理矢理、と、考えるのが妥当なのだが、まあ奴に限ってそういうことはしないだろう。あいつはきみにべた惚れだ。見ていて笑えるくらいにべた惚れだな!高校の先輩でもあるから結構あいつの生態については詳しいぞ!で、まあ、なにがあってもきみに無理矢理なにかするということはないと信じたいが、しかし一応聞いておこう、和姦なんだよな?」
「……わ、わかん……?」
「うん、君の脳みそが天使だということがわかった。工学部の天使の異名は伊達じゃないな。まあ、和姦というのは、合意の上での性行為のことだ。俺が君に聞いているのは、大倶利伽羅と合意の上でそういうことをしたのか、ないとは信じたいが、大倶利伽羅に無理矢理そういうことを迫られたのか、ということだ」
「いや……あの……え……?なん……で……知って……?」
「ああ、君たちの関係については上手く隠しているよな!だがまあ俺の目は誤魔化せなかったってだけの話だ。普通におかしいだろう、一年の一カ月目にして農学部の不機嫌王子の異名をとった大倶利伽羅が、フード被った謎の、男か女かもわからない奴といつも工学部食堂でメシ食ってたら。まあ俺が工学部だからたまたま見かけただけだが。で、工学部に天使が舞い降りた瞬間に不機嫌王子が工学部食堂から姿を消すとか。そして二年になってからの天文部への入部。明らかに純粋無垢なきみを守るのが目的だろうと察しがついた。そして俺は仮にも副部長だ。部員の住所は入部届で把握している。大倶利伽羅は中央通りに住んでいるくせに、いつもコンパの後も星観で遅くなった時も上田通りに消えていくからな。まあ大丈夫だ。安心してくれ。俺くらいしか気づいていない」
「……し、知ってたなら……いや……ええと……」
「で、どうなんだ?実際」
「……え……ええと……その……」
「きみがこたえてくれないと、状態から見て、どうしても強姦の可能性がだな」
「……え……あ……ちゃ、ちゃんと……その……ちゃ、ちゃんと、俺のこと、か、考えて……くれて……それで……そ、……っ……」
「あ、す、すまない!すまない!わかったから!わかった!合意だったんだな!?わかった!泣かないでくれ!バレたら大倶利伽羅に殺される!大倶利伽羅だけでなく、工学部の男子全員に殺される!他の学部の奴らにだって石か岩は投げられるから!」

山姥切は羞恥と混乱で泣きだしそうになるのをぐっとおさえて、小さく「すみません」と言って、フードをかぶった。そうしたら、あ、大倶利伽羅のものではない、というのがやけに気になって、唇の噛み痕が痛んだ。そうしたらどうしようもなく寂しくなって、寂しく思う自分が嫌だったけれど、大倶利伽羅に言われたことが頭の中でぐるぐるして、一晩も一緒にいるという贅沢をしたのに、自分がとんでもなく強欲で、いやしくて、すぐにありがたいことや優しさを忘れてしまう悲しい人間に思えてしまって、そうしたら結局大倶利伽羅の言葉を思い出して、そんな自分も否定できなくて、頭がぐるぐるして、もうどうしようもなくなって、結局、鶴丸を事実的に殺すことになった。

鶴丸はすんすんと泣き始めた山姥切に「すまなかった」と何度も謝り、山姥切は「ち、ちが……」と返して堂々巡りで、とりあえず鶴丸は研究室の鍵を閉めて、山姥切を空いている椅子に座らせ、それから工学部御用達のキムワイプを近くに置いた。山姥切は自分が昨日までと全然違っていることが怖かったし、大倶利伽羅が自分の中心にあって、いろんなことがそれに左右されることが情けなかったしでも嬉しいと思う自分もどこかに存在するのが不思議だったし、どうして大倶利伽羅は性行為後のことを教えてくれなかったのかと思ったけれど、大倶利伽羅も相当疲れていて、それは結局自分が原因でそうなってしまったという自己嫌悪に陥って、でもそうしたらやっぱり、という無限ループになっていて、慰めながらその事情聴取を慎重に行っていた鶴丸は、これはもう大倶利伽羅にしか解決ができないし、あいつはアフターケアのできないクソ男だと判断をし、バスケ部の顧問にすぐ、適当に話をでっちあげて電話をかけた。

そうしたらものの五分でジャージ姿、汗まみれ、息が上がっている状態の大倶利伽羅がダイナミックに扉をぶち破る勢いでノック、というより殴ってきて、鶴丸が鍵を開けると、山姥切が明らかに男物の服を着て、ぼろぼろと涙を流しているのを見て、とりあえず先輩であるはずの鶴丸の胸倉を掴んだ。そうしたら山姥切がすぐに飛びついてやめてやめてといったていでその腕を掴んだので、大倶利伽羅は「……っ」と、鶴丸から手を離し、山姥切の肩をできるかぎり、しかし少し痛むくらいの力で掴み、「なにを、された」と真剣な顔で聞いてきた。山姥切はそんなことを聞かれても、鶴丸は何もしていないし、自分が勝手にマイナス思考ループに陥って泣いてしまっただけなので、「な、なんにも……」と答えるのだけれど、「あんたは、なんにも無くて泣くはずがないだろう」と、温度が高いのか低いのかわからない声で聴いてきた。そうしている間に鶴丸は「中にいるうちは鍵だけかけてくれよー」と言って、姿をくらましてしまう。

二人っきりになって、大倶利伽羅が入念に鍵をかけてから、山姥切の恰好が本当に気に入らないという顔になったり、けれど自分が何も言わなかったから、という自責の念も垣間見えたり、とにかく微妙な顔になって、結局、「支離滅裂になっても構わない。あんたが泣いているのが、俺は嫌だ。鶴丸のせいでないなら、どうして泣くんだ」と、苦しいような声音で、聞いてきた。

「……っ……つ、鶴丸先輩……の、服……感謝、しなきゃ、いけない……包帯とかも……な、慰めて、くれて、いっぱい……なぐさめて、くれて……。で、でも……感謝しなきゃ、いけないのに……この服、感謝、しなきゃいけないのに……大倶利伽羅の服じゃ、ないんだって……そ、それで、なんか……さ、寂しく……なって……。で、でも……結局、自分の落ち度で……鶴丸先輩、優しいのに……で、でも、でも自分でもわからない……。あ、あと……こ、怖い……昨日までの、自分と……な、なんか違う……そ、それが……こ、怖くて……こんなことで、寂しいとか……強欲すぎる……き、昨日までと、なにもかも、ちがう……こ、こわい……こわい……!」
「……俺は今、かなり汗臭いし、結構汗やらなにやらで汚れている。だからあんたを、抱き締められない。不快な思いをさせたくはない……」

大倶利伽羅がそう言ったから、山姥切はそんなことどうでもいいから、と、大倶利伽羅に抱きついて、そうして、しがみついて、大倶利伽羅のいつもより高い体温に、安心をした。大倶利伽羅も申し訳なさそうに、おずおずと山姥切の背中と頭の後ろに腕を回して、身体がぴったり重なるように、抱き締めた。山姥切は、何度も「悪い」と謝ったけれど、大倶利伽羅も何度も「悪い」と謝った。そうしてゆっくり、どちらも悪くなんかないし、どちらも昨日よりずっと変わってしまって、それは普通のことだけれど、少し怖いことでもあるし、寄りかかって安心しているうちはいいけれど、それが依存に変貌するであろう場所に、きちんとラインを引いて、やっと落ち着いた。二人は適当な椅子に座って、一息ついてから、山姥切がはっとしたような顔になる。

「ええと、バスケ部の練習、俺のためだけに抜け出してきたんだろ?」
「バスケ部の顧問に鶴丸の馬鹿が『そちらの部に所属しているはずの大倶利伽羅に用件がある』と電話をかけてきやがった。その用件の内容はクソをクソで煮詰めたダークマターだったから、口にしたくないし、あんたの耳に入れたくない。……それから、あんた、今からちょっとバスケ部の部室に来れるか?」
「え……ああ、ええと……鶴丸先輩に電話してから……。今日、俺はここの研究室に希望を出しているから、教授と面談があったんだ。でも教授に用事ができてしまって……。一限がないなら待って、それで面談をするのだが……い、一限が入っていたから、と、嘘をつけば……嘘をつくのは嫌いだが……」
「どっちにせよ、そんな明らかに泣き腫らしました、という顔では面談なんてできやしないだろう。いいか、鶴丸には俺から電話をかけて、後で殺す。あんたはかけなくていい。今からあんたは一限が入っていることになった。日程は大丈夫なのか?」
「ああ、まだずっと先の話だし、教授の方も後日日程のすり合わせをしてくれると……」
「よし、わかった。あんたは少しここにいろ。俺は鶴丸に電話をかけてくる」

大倶利伽羅はそう言ってから廊下に出て、五分ほどしてから研究室に戻ってきた。山姥切が「な、長かったな」と言うと、大倶利伽羅が苦虫を噛み潰したような顔になって、「いいから、体育館行くぞ」と、山姥切の肩をそっと抱いて、身体が痛まないように、椅子から立ち上がらせてくれた。

この大学には体育館が二つあって、ひとつは工学部の敷地内にあり、工学部体育館と呼ばれている。そしてもうひとつはその工学部を他の学部と分断している国道を渡ったすぐのところにあった。そちらの中央体育館の方が随分広く、二階建てで、地下にも卓球や柔道部や格闘技系の部活用の練習場がある。大倶利伽羅は横についている狭い方の入り口から山姥切と入り、山姥切を女子トイレの前で待たせて、バスケ部のロッカールームに入った。

「あんたに借りたパーカー、本当は洗って返すつもりだったが、俺は他の男の服をあんたが着ていることが我慢ならん。汗臭いとは思うが、すまない、これに着替えてくれ。で、鶴丸のバーカーは俺が着る」
「え、あ、わ、わかったけれど……その……あんまり鶴丸先輩を困らせるようなことは……」
「あいつは何をしても困らない奴だから大丈夫だ。むしろこっちが困ることばかりしてくるからいつか絶対に意趣返しをしてやる」
「……えーと……着替えてくる……」

山姥切はそういって、どうしてもぎくしゃくしてしまう動きで、女子トイレに入り、個室で鶴丸のパーカーを脱ぎ、自分のパーカーを着なおしたのだけれど、あれ、と思った。自分のパーカーのはずなのに、大倶利伽羅の匂いがするのだ。それで一晩寝たのだから当たり前なのだろうけれど、その匂いだけで安心する自分がいて、ちゃんと話したから、そのことはちゃんと受け止めることができた。自分が大倶利伽羅が好きだから、そう思うのだと、すとんと納得することができた。

山姥切がトイレから出てきて、大倶利伽羅に鶴丸のパーカーを渡すと、大倶利伽羅は「あんた、今日は二限からだったな」と確認してきた。

「ああ、マテリアル工学概論の講義が……あ、でもさっき掲示板見たら教授の都合で土曜に振り替えになってたな……」
「つまり今日は午後の実験だけだな?」
「まあ……そうなる」
「俺も今日は午後の実験しか入れていない。バスケ部と、まぁそんなに顔を出さないとはいえ天文部かけもちだからな。成績優秀者といっても、あんたみたいに二十八単位フルに入れていない。一般教養は二年のうちにとっておきたいから二十単位は入れているが。で、今から俺はバスケ部の部活に戻る。それで……その……まあ、あんたが暇なんだったら……いや、まあ、二十八単位も入れていて、なんなら週三でバイトを入れている人間が暇だとは思わないが……都合がつくようなら……体育館にギャラリーがあるから……そこでちょっと……その、練習を見ていてくれたら……まぁ……」
「いいのか?俺、邪魔じゃないか?」
「……今日はどうにも調子が悪い。……パスミスが二回……レッグで足に当てる……他にも細かいところが多々……で、監督に呼び出されて注意散漫だと痛いところを突かれ……いや、まあ、心当たりがな……あんたのせいではないことだけは言っておくが、まあ、あんたがギャラリーにいたら、改善されるという自信がある」
「ギャラリーであんたのバスケしてるところ観られるなら……うれしいが……今まではそんなこと言わなかったのに……。しかし、どうしてそうなるんだ?」
「……恰好悪いこと言っていいか」
「あんたが恰好よくないことを言ったとしても、俺は別段あんたを幻滅はしないし、恰好よくないこと言ったとしてもそれも恰好いいと思ってしまうからな……」
「あんたが何を言っているのかわからないが、まぁ……その……あんたのことがどうにも頭をよぎってな……それで集中ができない。ただしこれはあんたのせいじゃない。あんたが可愛いから悪いとかそういうわけではなく、俺があんたをすきだからそうなるわけで、あんたのせいじゃない。で、しかし実際にあんたが観ているなら、俺は集中できる自信がある。あんたが観ているところで情けない姿は見せられないからな」
「あんたが何を言っているかわからないが、観てていいんだな?」
「すまないが観ていてくれ」
「わ、わかった……」
「暇な女どもが山ほどいるが、大丈夫か」
「別に誰も俺のことなんて気にしないだろうから大丈夫だが……」
「……あと、身体がきつくなったら、座れる場所に移動してくれ。無理はするな」
「わ、わかった……」

大倶利伽羅はそう言うと、「じゃあ、行ってくる」と、体育館の中へ入る扉の方へ向かった。山姥切はギャラリーへ上がる階段を探して、そこから上へ行った。ギャラリーにのぼると、予想していた三倍の人数の女子生徒が黄色い声を出していて、すぐにそれが隅でウォームアップをはじめた大倶利伽羅に向けたものだとわかった。それで心の中に汚いものが凝るのがわかったけれど、その時にフードをかぶったら、大倶利伽羅の匂いがして、少しそれが軽くなった気がした。だから、隙間を探して、少し遠くなってしまったけれど、バスケ部の練習が視えるところへ移動をする。そうして、フードをかぶっていたら山姥切が大倶利伽羅のことをちゃんと観ているかわからないかもしれない、と、フードを外して、冷たい柵をぎゅっと握って、大倶利伽羅の方を見た。大倶利伽羅はウォームアップが一通り終わってから、すこしきょろきょろとあたりを見回して、山姥切の姿を見つけると、バチリと目を合わせた。それだけして、監督らしき人に頭を下げ、ちょうど休憩が終わったコートの中へ入っていった。

そこからは練習をしているだけだろうに、大倶利伽羅がボールを持つたびにたくさんの黄色い声援が飛び交って、大倶利伽羅が本当に大学で人気の不機嫌と枕詞はつくけれど王子様なんだなあとわかった。それでまた心が凝るのだけれど、でも、身体の痛みとか、巻かれている包帯だとか、服からかすかにする大倶利伽羅の匂いに、ああ、大倶利伽羅はちゃんと俺のなんだな、と思えて、黄色い声援の中に混ぜて、小さな声で「が、がんばって……」と呟いた。そうしたらすぐ隣にいた女子から何か波紋が広がるように、黄色かった声援がざわざわと変なざわめきに変わって、山姥切は誰か怪我をしたのか、もしかして大倶利伽羅が、とコートを見たけれど、そんな様子はなくて、何が起こったのかわからなかったけれど、次の瞬間に大倶利伽羅が派手なダンクを無理矢理に決めて、監督に怒鳴られたので、周囲はそちらに夢中になった。そうして結局、山姥切は昼食休みになるまで、ずっとバスケ部の練習を視ていて、大倶利伽羅はやはりどうしようもなく恰好いいなあだとか、人気者だなあだとか、でも、ちゃんと、自分の恋人なんだ、と、思った。

練習が終わってから、どうしたらいいだろうとギャラリーから降りて、挙動不審にしていたら、汗を拭いて、鶴丸のパーカーに着替えた大倶利伽羅が「一緒に中央食堂でメシ食うぞ」と、すたすた歩きはじめた。

「え、え、か、隠さないのか……?」
「隠さない方が気分がいい」
「お、俺みたいな……」
「俺みたいなやつがあんたみたいな工学部の天使とか呼ばれている可愛い女と付き合っているとバレるのは、まあ、顰蹙を買うだろうがな」
「お、俺だって同じだ!農学部の不機嫌王子と呼ばれている馬鹿みたいに恰好いい男と付き合っているとわかったら、あんたのファンに刺されるだろ!」
「俺が守るから大丈夫だ」
「……お、俺はまもれない……」
「守らなくていい。傍にいてくれればそれでいい。……すきだから、もう、隠さない。すきなことを、隠したくない。それによってあんたが傷つくことがあったら、ちゃんと俺に言ってくれ。そうしたら、いくらでも慰めるし、抱きしめるし、なんでもする」
「……俺……」
「なんだ」
「……あんたのこと、すごく……すごくすきだと……思った」
「俺もだ」
「……」
「あいしてる」

中央食堂への道すがら、そんなことを、周囲に聞こえないように、お互い顔を寄せて、耳に唇から言葉を吹き込むように話して、ひそひそ、こうふくに笑った。ずっとずっと、すきだと思った。最後の大倶利伽羅のセリフが、胸の中に落ちてきて、それがじわじわと、自分の胸のなかを侵略していくのが、わかった。だから山姥切もおんなじことを言おうと思ったのだけれど、大倶利伽羅の手に口を塞がれて、なんにも言えなかった。けれど、その手のなかで、その五文字を呟いて、それが大倶利伽羅の心の中にぽとんと落ちて、同じように侵略をはじめるのがわかった。それがしあわせで、幸福で、ずっとずっと、苦しかったら言葉にして、辛かったら相談して、ふたりで向き合って、ふたりでずっと歩いて行こうと思った。どこまでも、どこまでも、理論的有限の、その先まで。


END

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