アイシテルと叫んだ唇


三十路くらいで



結婚するならアイツがいいと思っていた。いや、アイツじゃないと嫌だと言った方が正しいかもしれない。勿論日本では認められない事だとしても、一生を共にするならアイツがいいと、本気でそう思っていた。


「あ、竜士さん」


白無垢姿でコチラを振り向いた彼女は、酷く幸せそうな笑顔で俺の名前を呼んだ。色白な肌に綺麗な長い黒髪。ふわふわ、といった雰囲気がぴったり似合う両親が決めた結婚相手は、俺には勿体無いくらい綺麗な人だった。


「……よぉ似おとるよ」

「ほんま?ふふっ、ありがとう」


子供のようにはしゃぐ彼女を見詰めながら、心の中はモヤモヤしていて。何故俺はココにいるのだろう。彼女を本当に愛しているわけではないこの俺が。

奥村から別れを告げられたのは、俺にこの縁談が持ち掛けられた時だった。勿論そんなものは断るつもりだったのだが、一応報告はしておこうと奥村に話した途端、彼は丁度良かったとでも言うように別れ話しを切り出した。


「俺今年の12月からヴァチカン本部に移動することになってさ。丁度いいし別れようぜ」


…………は?

呆けたように奥村を見たのは、きっとわるい冗談だと思ったからだ。しかし、彼の瞳は酷く真剣で、考え無しに告げたのではないとすぐにわかった。その日はそのまま別れる別れないと抗論になり、結局なにも解決しないままに別々の部屋で眠った。それが間違いだったと気付いたのは次の日の早朝。ダイニングのテーブルの上には二人で買ったペアリングと、このマンションのカギが置き手紙と共に残されていただけだった。手紙には『ごめん、もう勝呂とは続けられない。』とだけ書かれていて。それはから自棄になったように縁談の話しを受け、今に至るわけである。

俺は目の前の花嫁の小さな白い手を引きながら、ゆっくりと境内から出た。目の前には見慣れた明陀宗の奴らと彼女の親族。それにちらほらと学生時代の友人の姿があった。杜山さんや神木を見やりながら、ぐるりと辺りを見渡して、ある人物を見つけ出す。


(……来てくれとるんか)


視線の先には未だに未練がましく想い続ける相手、奥村がいた。少し見ない間にまた綺麗になったと目を細め、彼を呼んだ本来の目的を思い出す。仕返しのつもりだったのだ。唐突に俺を突き放した奥村への仕返し。それなのに奥村は差ほど変化した訳でもなく、志摩や子猫丸に混じって楽しそうに笑いながら、「おめでとー」なんて言いながら拍手して笑っていた。


(なんやねん、ほんま……)


傷つくな自分。予想はできていたはずだろう。


(アイツが、まだ俺を好いとるわけない)


わかっていたのになんでこんなにも泣きそうなんだ。グッと奥歯を噛み締めながら、俺は軽く彼らに向かって会釈して、ゆっくり顔を上げる。瞬間、ジッと俺を見つめる奥村に息を呑んで、ドキリと心臓が大きく跳ねた。そしてそんな俺を見抜いたかのように、奥村はニコリと笑みを漏らし、俺にだけ伝わるように唇だけを動かした。











アイシテルと叫んだ唇
(俺には君の本心が読めなかった)











驚きで目を見開けば、奥村は一瞬泣きそうな顔をして、直ぐ様ふにゃりと笑って見せた。それは喧嘩した後の仲直りの時に見せていたモノと酷似していたから、俺はすぐに彼の思惑を知った。


(っ、阿呆、)


あぁ、わかってしまった。気付いてしまった。彼が俺の事を思って別れを切り出したのだという事に。自分の想いを、俺を好きだという想いを無理矢理押さえ込んでいたという事に。


「……竜士さん?」

「……っ」

「なんで、泣いてはるの?」


彼女の声に我に帰る。今更気付いたところでもう遅い。俺にはもう、アイツの元へ帰る術がありはしないのだ。


「…………幸せやから」


俺はそれだけ告げて、無理矢理に笑みを浮かべて見せた。











2012.03.18

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