君には可愛い彼女がいて


大学生くらい



小鳥がさえずる、3月にしては酷く暖かな早朝。小さな欠伸を漏らしながらリビングのソファに座ると、キッチンに立っていた奥村が柔らかな笑みを浮かべながら「おかえり」と声をかけた。


「泊まった日までランニング行かなくてもいいのに」

「日課やで行かんと落ち着かんのや」


走った所為で乱れてしまった髪を手櫛で整えていると、目の前に暖かな湯気を放つ珈琲を差し出された。チラリと視線をずらせば、新妻よろしく、可愛らしい白のエプロンを付けた奥村がニコリと笑いながらどうぞと角砂糖とミルクをお盆から珈琲の隣に並べ、「砂糖は2つだよな」と小首を傾げる。その姿がいやに可愛くて、俺は軽く笑みを漏らしながら「おおきに」と礼を言った。元々俺はブラックばかりを飲んでいたのだが、それを知った奥村は「ブラックは胃が荒れるからダメ!」と言い出し、今では砂糖とミルクが常に用意されるようになった。


「……旨い」

「よかった。あ、今朝飯出来るから食ってけよ」

「いつも堪忍な」

「なに言ってんだよ」


パスッと軽く俺の太股にパンチした奥村は、お盆を片手にキッチンへと戻って行く。その後ろ姿を眺めながら、こんな時間がずっと続けばいいのにとぼんやり思う。キッチンに入った奥村は、忙しそうにパタパタと動きまわり、たまにコチラを見ては楽しそうに、気恥ずかしそうにふにゃりと笑うから、柄にもなくキュンとしてしまった。好いている相手にこんなにも尽くされて、幸せを感じない人間がいるなら会ってみたいものだ。俺は珈琲を飲み干して、カップとソーサーをシンクへ運ぶ。


「なんか手伝う事ないか?」

「んー、じゃあ目玉焼きやいてくれ」


それくらい出来るだろ、とからかうように言った奥村の頭を軽く小突きながら「それくらいできるわ」と悪態を吐いた。いくら不器用だからと言っても目玉焼きくらいちゃんと焼ける。俺はすでに用意されていた玉子を暖めたフライパンに落とす。ジュワッと音を立てて跳ねる玉子をフライ返しを握りしめながら見つめていると、不意にカチャっと寝室に続く扉が開き、稲穂色の髪を寝癖でくちゃくちゃにした女が顔を出した。


「燐、勝呂くん、おはよー」

「おはよう」

「おぅ。てかしえみ、相変わらず寝癖ひでぇな」


ククッと笑う奥村は、三人分の箸をテーブルに並べてからゴシゴシと目元を擦る杜山さんの元へと近づいた。くちゃくちゃの髪を撫でる奥村の左手薬指には、キラリと光るシルバーリング。そして彼女の左手薬指にも、同じものが嵌められている。











君には可愛い彼女がいて
(僕はそんな彼に恋をしている)











不毛な恋。そんな言葉が浮かんでは消える。この想いに気付いた時からそんな事はわかりきっていたはずなのに、俺はいったいいつまでこんな想いを抱え続けるのだろう。ぼんやりと幸せそうな二人を眺めていると、急に鼻を突く嫌な臭いが立ち込める。


「……うぉ!?」


あぁ、やってしまった。俺はフライパンの上で可哀想な姿になってしまった玉子を見下ろしながら、軽い自己嫌悪に浸った。











2012.03.13

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