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握りしめた手には新たな汗がじわりと滲んできた。
言えた…。
ちゃんと言えた。
私の、気持ちを。
その場にはただ沈黙だけが流れ、果歩は驚きに目を瞠っていた。
この実習期間中、同室として割と多くの時間を共にしたがこの時初めて七恵が声を荒げる姿を見たのだ。
しかし、それは堂上も同じだった。
「七恵…。」
こんなにも必死になってくれたことが嬉しくて、それでいて自分が情けなかった。
不安にさせてしまったのは他の誰のせいでもない、自分自身のせいだ。
今までの自分を悔いると共に、少しでも七恵の不安を取り除きたくて堂上は果歩の肩を押して身体をゆっくりと起こした。思いのほか、果歩は素直にそれに従いその後脱力したように隣に座り込んだ。
そしてそんな果歩に、静かに決意の籠った瞳で堂上は口を開いた。
「田辺、気持ちは嬉しい。だが、俺はお前の気持ちに応えられない。」
「…っ!はぁ…。振られてしまいました。」
脱力したように座り込んだままハハッと渇いた笑みを漏らす果歩は、赤く熱を持ち始めた目元をそっと膝に押し当てた。
失恋…だ。
相手にしてもらえていないことは薄々わかっていた。それでも迫り来るタイムリミットに耐えられず、無理だとわかっていながら告白したのだ。
しかし覚悟していたとは言え、やはり辛いものは辛い。
涙を必死に堪えて果歩は顔を上げた。
「…お二人は、付き合ってるんですか…?」
「…そうだ。」
少し間をおいて答えると、何気無く尋ねただけだったのだろう果歩はハッと何かに気づいた顔で七恵の方を向いた。
「そんな…!私、そんなこと知らずに、七恵さんにいっぱい色んなこと言ってしまいました!」
「果歩ちゃん…。」
「堂上二正のこと、いっぱい!私、七恵さんに酷いことを…!」
「ううん!そんなこと…。でも、ありがとう。そんな風に気遣ってくれて…。」
七恵は震える足をなんとか動かして果歩に歩み寄る。そして静かにその隣に腰を下ろすと、握りしめられていた果歩の手に自分の手をそっと重ねた。
自然と視線を下げていた果歩も弾かれたように顔を上げ七恵の顔を見つめた。
「…七恵さん。あの、私、まだ気持ちの整理がつかなくて……お二人のこと祝福できるようないい子にはなれません。…お先に失礼します。」
だが、すぐに視線を逸らすと逃げるように果歩は走り去って行ってしまった。
「七恵。」
二人きりになり数秒沈黙が流れた後、先に口を開いたのは堂上だった。
「堂上さん…。」
「悪い。不安に、させたな。」
優しく頭に手がおかれて、ドキリと胸が鳴った。
「…いいえ。私が勝手に不安になっただけです。」
堂上さんのせいなんかじゃない。
自分に自信がもてなかった、私のせい。
しょんぼりと肩を落とすと、七恵の髪が一房はらりと眼前に落ちた。それを堂上は耳にゆっくりとかけてやりながらクスリと笑った。
「…田辺には悪いが、俺はますますお前を手放せなくなった。」
「あ、堂上さん…え?」
すると堂上は戸惑う七恵には御構い無しに腰を片腕で引き寄せた。
そのたくましい腕に七恵はなす術もなく、呆気なくその広い胸へと収まってしまった。
先ほどまでは肩を落としていたというのに、今では顔を真っ赤に染め上げて慌てふためいている。
先ほどの震えながらも果歩へ啖呵をきった姿や、落ち込んでいる姿、恥ずかしがっている姿、そのどれもが堂上には愛しくて堪らなかった。
「これからも、俺の隣にいてくれるんだろう?」
「は、はい、もちろんです!」
「そうか。じゃあ、心の準備なんて無意味だな。もう、待ってやれない。」
「え?あ…っ!」
そう言うや否や後頭部を大きな掌で包まれたと思ったら、急にぐいっと引き寄せられ。
唇に熱が伝わると同時に、影が重なった。
好きです。
どうしようもないくらい、好きです。
堂上さん。
胸に置いた手からは相手の鼓動が伝わってくる。それは自分のものとさほど変わらず、早く激しく高鳴っていた。
そっと影が離れる。すると、もう一度ゆっくりと今度はどちらからともなく影が重なった。
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