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氷のような戦慄が背筋を走り抜け、何も考えずに一歩下がると、風切り音と共に刃が前髪をかすめた。蛇のようにのたうつ髪が鎖と化して四方から迫ってくる。そのすべてを僅差で避け、転がるようにランサーから距離を取る。
「よくぞ避けましたね。決して癒えない傷を刻んであげようかと思ったのに。ええ、あなたは勘がいい。いえ、勘だけがいい、の間違いでしょうか」
「不死殺し…鎌を持つ英霊は複数人いるでしょうけれど、その石化の魔眼を持つ英霊は一人だけ…あなたのような反英雄がサーヴァントとして呼ばれるなんて、ここの聖杯は歪みきっているみたいね。それにしても、自分の首を刈った刃を使うなんて、どエムにもほどがあるんじゃない?」
「くるくるとよく回る口ですね。いいでしょう。どれだけその強がりが持つか」
ランサーがいう事にも一理ある。先ほどは不意打ちだからこそ仕留められたものの、私に宿るサーヴァントはそこまで武に長けた英霊ではなかったらしい。力と勘に任せて杖を奮うも、なんなく避けられる。避けられざまに振るわれた槍を、寸での所で回避するのでこちらは精一杯だ。
残念なことに、純粋な技術で言えば、彼女の足元にも及ばない。
まれに、切っ先がランサーに届くことがあっても、それまでに費やされた手数を思えば、こちらの体力が尽きるのが先だろう。
まずい、情けない話だが、マシュの助力がなくては、勝ち目が―――
「―――っ!マスター、マリー!」
「行かせませんよ」
視界の端、立ち尽くすマスターたちに向かって、彼方から光弾が放たれるのを感じた。
(狙撃!?まずい!)
彼らはまだ気が付いていない。
「――――騎英《ベルレ》の」
一足飛びに距離を取ったランサーが、確実にこちらを仕留めるために宝具の開帳を告げる。
一瞬が永遠にも引き伸ばされ
そして―――
*
side立夏
マシュが影を仕留めようとした矢先、背筋が総毛だった。
圧倒的な、死の感覚。
「―――え」
ほんの瞬きの間
いつの間に、放たれたのか、目の前には鋭い刃先が―――
「いい勘してんな!マスターとしては上等だ、ちっと、頭下げな。―――そらよ、アンサズ!」
そんな声とともに、見慣れない文字が周囲を覆った。
間一髪、空間をえぐり取りながら、音を立てて真横を通り過ぎる何か。
「よう、頭はまだ落ちてねぇみたいだな。いや、間に合うか賭けだったんだが、お前さん、運がいいな」
「あ、あんたは」
空間からにじむように現れたのは、逞しい痩躯を青いローブに身を包んだ青い髪の男。その現代にはあり得ないたたずまいを見て、この男もサーヴァントだと、立夏は理解した。
「見ての通り、オレはキャスターのサーヴァントだ。故あって奴らとは敵対している。いきなり信頼はできねぇだろうが、一先ずあれだ、此処を切り抜けるためだと思って、納得してくれや。死にたくないならな」
「ど、どういうことよ。いきなり現れて脅しなんて、どんな野蛮じ……きゃぁ!」
背後から襲いくる、赤色の矢じり。
キャスターがルーンを描いて弾くも、慣性の法則を無視して翻り、立夏を穿とうと虚空を滑る。
「な、なによこれぇ!」
「ったく、相変わらず陰湿なやつことだな、っと」
立夏は知らないことだが、放たれた弓の名は魔剣・フルンディング
射手が狙い続ける限り標的を襲い続ける魔剣である。
と、少し離れたところで、ミリアムと槍を交えていたランサーを中心に恐ろしいまでの魔力が収束していく。人の身では考えられないほど、貪欲に周囲の魔力が吸い上げられる。
あれは―――
「まずいな、宝具か」
「―――手綱《フォーン》――――!」
なんの覚悟もできないうちに、高らかに告げられる、言葉。
視界が漂白される。
息が止まった。心臓も凍った。
思考は停止し、立夏にできることはもうないと嫌でも訴えかけてくる。
このまま圧倒的な死が訪れるのを見ることだけだ。
大地をかける、箒星。
夜を染め抜く白い光。
だが、その前にミリアムがいる。一人で、決してここを通すまいと、あの細い肩で
だから
「ミリアム――――!」
手に、ちりりと鈍い痛みが走った。
そして
―――光が、満ちた。
ランサーの焼き尽くす極光とは異なる、心を慰撫するような柔らかな光。
白い光が、視界を覆い、炎と瓦礫に満ちた街を照らし出す。
苦悶の表情で乱立する石柱が、光に触れると、解き放たれたように崩れていく。
いつの間にか、立夏を追い回していた弓も消えていた。
そして、
「あぁぁぁぁぁぁぁ!」
「―――――!!」
苦しげに喉をかきむしりながら地面をのた打ち回るランサーと、声もなく腕を押さえて転げまわる黒い影のサーヴァントが、霊基をこぼしながら消えていった。
「なんなの…これ」
その向こうに、呆然と立ち尽くすミリアムの姿を見た時、立夏はようやく命の危機を脱したことを理解した。
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