◆死神見習いはじめました。


「あかん。これはあかんで」

「………」

「まだやったんにやってしもたわ。とりあえず応急処置したけど……、こんなこと知れたら部長に怒られてまう」

「……………」

「どないしよ、拓斗クン」


 手に持った紙とにらめっこしてぶつぶつと呟いていた蓮がふいに拓斗の方を向いて困ったようにヘラッと笑った。


 場所は学園の屋上―――の数メートル上空。拓斗と蓮は向かい合って、宙に浮いていた。
 授業が始まったのだろう、眼下にある校舎は鳴りをひそめている。


 あの後。急に意識が遠くなり、ふらふらと危なげな足取りでフェンスに手をついたかと思えば、そのフェンスは脆くなっていたのか抜け落ちてしまい、急激な浮遊感に襲われた。
 あぁ、俺、死ぬのか。冷静な脳がそう分析したが、それも悪くないと思えた。辛い日常に照らされた優しい光。最期にあの男に出会えてよかった。―――そう、思ったのに。


 気付いたら、こうして宙に浮いていたのだ。
 何故か意識はあるし体が自由に動く。が、何故か半透明に透き通っていたし、何故か宙に浮けるし、何故か自分の体が屋上に横たわっているのが見える。
 そして、目の前には拓斗同様、宙に浮いた蓮が困ったような顔をしていた。
 何がどうなったのか拓斗が尋ねる前に、蓮が「あー、一枚紙見落としてたみたいやわぁ」と言ったことで上の会話に戻る。


 拓斗は状況が分からないながらも、蓮にとてつもない苛立ちを感じていた。
 なるべく冷静を務めて腕組みをし、低い声で尋ねる。


「どういうことか、説明してくれるよな?」

「あー、そうやねぇ……。―――実はなぁ、俺この地区担当の死神なんよ」

「へぇ」

「そんでなぁ、上から任されたリストに拓斗クンの名前あったから迎えに来たん」

「ふーん」

「せやけど拓斗クンについて書いてある紙見たら君えらい可哀想な感じやん?最期は笑って逝かせてやりたいなぁっちゅうサービス精神みせてやったんねん。まぁ、屋上のフェンス壊れてて屋上から落ちてしもたっちゅうんは変えられへんからしゃーないけど、気持ちだけでも救われたらなぁて思たん」

「……それで?」

「そんで、拓斗クン、辛い感情のまま死なへんかったから、ええ仕事したわー思てたら。3枚やと思てた紙に4枚目あってなぁ、落ちたけど複雑骨折だけで命までは落とさへんって注釈あったんよ。俺のデスクちょい散らかってて重症リストと死亡リスト間違って持ってきてたんやって気付いて慌てて拓斗クン体修復して屋上に寝かせたんや」

「…………」

「…………」

「………………」

「堪忍、間違うてしもたわ」

「―――軽いわ阿呆!!!」


 お茶目な振りして笑って見せる蓮に、拓斗は感情のままに蓮の右頬に平手打ちした。パチンッ!と小気味良い音が鳴る。
 遠慮は一切しなかった。ちょっと間違われたくらいで死んでたまるか。しかも、死ぬ前に与えられた優しさのほとんどは本心ではなく、ただのサービスだったのだ。これで怒らない方がどうかしている。
 拓斗が叩いた頬は綺麗に赤くなり、蓮は「痛ったいなぁ」とそこを押さえた。見た目も叩いた時の音もとても痛そうだが、彼の口調だけはまるで痛さを感じさせない。それが拓斗の苛立ちを助長させる。
 そんな拓斗の苛立ちをさらに増幅させるとも知らないで、蓮は「あー、せやけど、」と口を開いた。


「もうイジメられることもなくなったんは幸いやな。痛いのも辛いのもあらへん。―――拓斗クン、もう死にたいって絶望してたんちゃう?」

「はあ?絶望なんてしてねぇし!明日は何しようかって毎日わくわく、希望、願望、期待で胸いっぱいだったっつーの!!」

「いや、嘘やんそれ」

「嘘だけど嘘じゃねえ!お前知らないだろ!寮の自動販売機のラインアップ!苺汁粉とかバナナチョコジュースとかちょっと変わったものから、中身不明の毎週変わる週替わりジュースなんてものもあるんだぞ!今週は何が出るかなってワクワクドキドキハラハラしながらボタン押すときの俺の心境がお前に分かってたまるかー!!」

「えー………」


 何やの、それ。どこに突っ込めば良いか分からずに曖昧に声を漏らす。
 一方、拓斗も次第に自分が何言ってるのか分からなくなっていた。蓮に「絶望していた」「死にたかった」と指摘され、ただそれを認めたくなくて反論したらいつの間にか勝手に口が動いていた。勢いのまま、訳の分からないことを口走る。
 いらいら。いらいら。
 拓斗は怒りやその他様々な感情で自分が制御できなくなっているのに、蓮は初めて会ったときと同じ態度だ。そのことにも、苛立ちを感じた。
 まるで全身の毛を逆立ててフーッと怒る猫のような拓斗に、さすがの蓮も次第にどう対応していいのか分からなくなっていたのだが、表面上はペースを崩さない。自分までペースを崩してしまえば、収集がつかなくなるのは目に見えている。


(せやけど、ほんまにどないしよ、)


 怒る拓斗の言葉を耳に入れつつも、脳内で今後のことを考える蓮。軽い口調だったが、実はかなり深刻な事態であり、蓮自身、かなり焦っていた。


 人間の体は魂と魄によって支えられている。死した後、魂は天に、魄は地に還る。
 一度魂魄が抜け出てしまった拓斗の体にもう一度入れ直すことは叶わず、加え、今蓮の目の前にいる拓斗は魂だけの存在。魄は既に地に還ってしまっているのだ。
 少なくとも、元の生活に戻るという選択肢だけは存在しない。


(怒られるん覚悟で部長に相談するしかあらへんなぁ……)


 はぁ、と胸の中で嘆息した。自業自得ではあるが、怒られるのと減給が目に見えていて胸が重くなる―――が、それだけで済めば良い方かもしれない。
 それに。


(イジメなくなってよかった言うたけど、拓斗クンにも悪いことしてしもうたし)


 さきほどつい口から出てしまった言葉は、蓮の罪悪感を少しでも減少させたかったという自己保身でしかなかった。
 今はイジメられているが、それが今後止んでいたかもしれないし、高校を卒業すれば環境はがらりと変わり、とても楽しい人生が待っていたのかもしれない。彼女が出来て、結婚して、子どもが生まれて。もしかしたら、孫の顔も見れていたかもしれない。拓斗にはこれからの人生の方が長く、その分辛いこともあるだろうが、楽しいことだっていっぱいあるはずだ。
 それをなにもかも奪ってしまったのは、他でもない蓮自身である。


「だいたい!だいたいだなあ!!あんた机の上くらいちゃんと片付けておけよ!!こんなんで人生終わるとかバカバカしくて笑えねえよバカ!!」


 本来なら煩いのは嫌いな蓮も、今ばかりは少し我慢して拓斗の怒りを発散させてやった。関西人に馬鹿言うたらあかん、言うなら阿呆言い。とツッコミも入れずに拓斗の一言一言に「せやなぁ、」などと相槌を打っていた。


 勢いに任せて怒鳴っていたが、次第に言うことがなくなってきた。だがしかし、怒りや他様々な感情は未だ落ち着くことを知らず、胸の奥から次々に溢れ出てくる。
 少しばかり静かになった拓斗を不審に思って蓮がチラリと目線を動かして拓斗と目を合わせると、感情が溢れすぎたのか、拓斗の目は涙で潤んでいた。
 ひく、と拓斗の喉が震えた。
 それが泣きだす寸前だと知っている蓮は苦笑いを浮かべて拓斗の腕を引っ張った。ぎゅう、と腕の中に閉じ込める。
 拓斗はギュッと蓮の燕尾服を握りしめた。こんな服、しわくちゃになってしまえ。また涙と鼻水でびしょびしょにしてやる……!





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