夜空を見上げて | ナノ

≪小さなキッカケ≫



――積み重なった思いが、かけがえのない関係を芽吹かせる。


智草の目の前には一人の黒服の男が仁王立ちしていた。
目元はサングラスで隠されており、指は黒革の手袋で肌が隠されている。
こうして対面するのは、既に三度目だっただろうか。


「どうやらお判りいただけないようだ。学力はあっても物分かりは悪いようですね」
「それは私の言葉です。天下の桐条グループに勤める大の大人は、理解に疎いんですね」
「……」


男の眉尻がぴくりとだけ動く。次いで漏れる溜め息には、呆れの声色が含まれていた。


「美鶴お嬢様は日本を背負う御方です。才のないご学友は不要であり、ただお嬢様の人生にバグを残すだけの存在だ。いい加減、ご理解いただき身をお引きください」


一度目は控えめな言葉だったな、と智草は思い出す。
二度目は直接的な表現になり、今度は攻撃的だった。


「学校だけの付き合いならまだしも、時間外において子どもの道楽に美鶴お嬢様を巻き込まないでいただきたい。貴女のように暇ではないのです」
「遊びを知らない人間は将来恥をかきますよ。まさに貴方みたいに」


渋い咳き込みが一つ。
前回よりもひりついた空気に、智草はさりげなく周囲へ視線を向けた。
巧みに人が少ない時を狙って会いに来る黒服にほとほと参った。

それは相手も同じなのだろう。
声色を変えず冷静に振舞っていたが、怒りの色が強く含まれていた。


「はっきりと申し上げます。これ以上美鶴お嬢様には関わらないでいただきたい。必要に応じては貴女を学園から追い出すことも出来るのですよ」
「そうやって権力に任せるのが桐条グループ? それを美鶴が望んでいるのですか?」
「美鶴お嬢様が望んでいるかではないのですよ。必要な処置だと申しているのです」


美鶴に余計なことを吹き込む人間は邪魔者らしい。
けれど、排除することを当の本人が喜ぶわけがない。
バスの乗り方も、コンビニでの寄り道も、ファストフード店での飲食もしたことがない人間が、企業のトップに立てるのだろうか。一般の社員や民間人に寄り添えるのだろうか。

それで苦しむのは――本人だ。


「で、美鶴をまた孤独にするつもりですか」


現に、高等部で知り合ってからというものの、美鶴は孤高に映った。
周囲とのコミュニケーションが取れないわけではない、むしろ上手過ぎるほど良好だ。
けれどそれは表面上であり、深い付き合いはない。
頼られても、頼ることを知らない孤独な女性――智草にはそう映った。


「断言します。美鶴から直接、本心で拒絶されない限りこの関係は変わりません。私は彼女の友人です。他人に指図されるような浅い気持ちじゃない」


二度目の邂逅の際には、「美鶴お嬢様を利用しようとする一般人」扱いをされたが違う。
智草にとって美鶴は、グループは関係のないただの友人なのだ。独りにするつもりはない。

黒服は何も言わずにこちらを見据えている。
恐らく、サングラスの奥に眠り瞳には怒りが込められているだろう。けれど、智草も同様に憤怒していた。


「――話は聞かせてもらったぞ」
「美鶴お嬢さま……!」
「美鶴!」


前回同様、このまま無言で立ち去ると思っていたのだが、予想外の展開だった。
振り向いた先には、話の渦中にあった美鶴の姿があった。こちらを睨みつけるその表情は酷く険しい。
隣にはもう一人、智草と同じクラスの男子学生がいた。


「貴様、何のつもりだ」
「これは……その……」


美鶴の鋭い視線は智草の奥、黒服の男を射貫いていた。
男は初めてそこでたじろぐ。生徒会があったのでは、と小さな声が聴こえた。
どうやら美鶴の耳にも届いていたらしい。


「私の不在を狙って、彼女へ一体何の用ですか。まるで貶すような言葉の数々――私の友人に対していかに無礼な振る舞いをしているのかご理解されていますか」
「……僭越ながら、美鶴お嬢様のご学友関係に疑問を抱いているのは私だけでは御座いません。貴女は桐条の人間です。常に見られているという姿勢をお持ちになった方がよろしいかと」


黒服の音色は些か揺れている。
動揺しながらも、美鶴と対峙していた。
すると、美鶴の横にいた男子学生――真田明彦が肩をすくめて初めて口を開く。


「だったら、俺もバグを残すだけの存在ってわけだな。こうして一緒に下校して変な噂でも経ったらさぞ傷がつくだろう。……俺も学園から追い出しますか?」
「……」


黒服がぐっと言葉に詰まる。どうやら、真田は“不要ではない”らしい。
しかも、智草たちの会話を最初から聞かれていたことを悟り、黒服はサングラスを押し上げた。


「……私はこれで失礼します。後が詰まっておりますので。美鶴お嬢様も身の振り方は再度お考えなさった方がよろしいかと」
「二度と、彼女の前に姿を現さないでください。ご心配をお掛けしたようですが、私はグループの恥になるつもりは毛頭ございませんので。その点につきましてはご安心ください」
「……」


逃げるように、足早に黒服が立ち去る。
智草はその背中が角を曲がったところで小さく息を吐いた。
すると、今まで力強かった美鶴の表情が揺らぎ、綺麗に整えられた眉が下がる。


「智草、……すまない……」
「やだ、なんで美鶴が謝るの?」


予想通りの反応に智草は安心させるようににっこりと笑う。
だが、美鶴の表情が次第に暗くなる。


「桐条からのやっかみは、今回が初めてではないのだろう。……私のせいで、君に不快な思いをさせてしまった……」


美鶴の視線が地面へと落ちた。
気丈な振る舞いが嘘かのように不安定な姿。
続く言葉が、容易に想像できた。


「やはり……私とはもう、関わらない方が……」
「美鶴!」
「……」


遮っても、心の迷いを癒すことはできない。
智草はコツコツと足音を鳴らして美鶴の傍に近づき、俯く両の頬に触れて持ち上げた。
揺れる瞳は、ただの弱い女の子なのだ。


「私が、桐条グループに入り込もうとしているように見える?」
「…当初は疑ったこともあったが、君がそういう類でないことは理解しているつもりだ」
「ありがとう。そうだよ、私はただの桐条美鶴の友だちなの。誰に言われたって揺るがないし、切り離されるものでもない。違う?」
「……だが、私のせいで……」


美鶴と仲を深める度に、まるで試練かのように壁が立ちふさがる。
学内では、桐条を利用しようとして好き勝手していると、噂されることも少なくない。
こうして外で、桐条グループの人間から釘を打たれるのも、またその一つだろう。

その度に、美鶴は心を痛める。
自分のせいだと責を抱え、これが美鶴自身を更に孤独へと追いやる。
ようやくこの兆候が減ってきた矢先に、今回の出来事なのだ。智草は、初めて黒服に怒鳴りつけたい気持ちになった。


「あ、おい……!?」


智草の行動に声を上げたのは、美鶴ではなく傍らで見守っていた少年の方だった。
美鶴の頬に当てていた手に力が籠められ、端正な顔立ちが想像できないような形に歪む。
先程の黒服が見ていれば、絶叫するか怒声を発するかのどちらかであろう。


「ふぁにをひゅる……!」
「怒るよ、美鶴」
「っ」


美鶴が、目を見開いた。


「私の大事な友人を、貶さないで。無礼な振る舞いです」


美鶴の言葉をそのままに返す。
ぴたりと動きは止まり、次第に瞼が落ちていった。
長く柔らかいまつ毛が揺れ動く。
少しだけ、空気が変わったことに気が付き智草はそっと手を離した。


「……私は、また君に救われたな」


自嘲気味なのは抜けていないが、先程よりもトーンが上がっている。少しだけ、持ち直したらしい。智草はにっこりと微笑んだ。


「友だちだからね!」
「…ふふ、そうだったな。……悪いが、やりたいことが出来た。先に帰らせてもらうよ」
「うん。あの黒服の更迭はダメだからね」
「……分かっているさ」


分かっていないな。
智草は苦笑しながら、過ぎ去る凛々しい背中を見送った。
残された二人は、ふと顔を見合わせた。


「アイツには強引なほどがちょうどいい。……が、美鶴の顔をあんなにする奴は初めて見た。黒服の奴が残っていなくてよかったな」
「ビンタしたところ見られたら私、人生終わってただろうね」
「ビンタしたのか!? あの美鶴に!?」


真田くんは、あの美鶴に何をされたのだろうか――勢いのある食いつきように智草は苦笑した。


「ところで、ごめんね。変なもの見せちゃって」
「いや、いい。篠原が案外逞しいのが理解できた」
「あはは、惚れてくれてもいいよー?」
「馬鹿をいうな。その調子だと、……平気そうだな」


こちらを見下ろす視線は、穏やかだ。智草は目をぱちくりと瞬かせ、悟った。彼は心配をしてくれているのだと。途端、心がむず痒くなる。


「うん! ありがとう」

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