夜空を見上げて | ナノ

≪狐の嫁入り≫



「お邪魔しまーす……って、誰もいないのかな?」


智草はゆっくりと大きな扉を開く。
いつもは皆が集うラウンジが口を開かず、寂しさだけが増す。
扉が閉まる音も、やけに響いた。

髪の毛からぽつぽつと雫が垂れていく。
すぐに吸収されていくけれど、いつまでもここに立っているわけにもいかない。
かといって、この格好で奥に行っても――


「っはぁ、降られたな……ん?智草?」
「アキくん! アキくんも当たっちゃったんだね」


背後から勢いよく開いた扉からは明彦が入ってきた。
同じく、雨に濡れている。


「突然降ってきて驚いちゃった。近くにいたし、お邪魔しちゃったんだけど……良かったかな?」
「良いんじゃないのか? というか、他の奴らはどうした」
「分からない。部屋かな?」
「さあな。コロマルもいないのか……っくしゅ」


明彦の口から可愛らしいくしゃみが飛ぶ。
智草は笑いながら、そんな彼を見上げた。


「風邪引いちゃうよ」
「お前もな。来い、いつまでも突っ立っていてもしょうがないだろ」
「うん、ありがとう」


明彦に連れられて、二階へと階段を昇っていく。
そのまま明彦の私室へ入ると、すぐにタオルが飛んできた。


「着替えは……誰か女子がいればいいんだが。少し待ってろ」
「ちょっと、アキくんも髪くらいは拭かないと! またくしゃみしちゃうよ!」
「あ、ああ。悪いな」


手にしたタオルで背伸びをして、短い髪の毛の水分を拭き取る。
十分ではないが、何もしないよりはいいだろう。

明彦が戻ってくるのは早かったが、表情は優れない。


「誰もいなかった。女子も男子もだ。みんな出ているらしい」
「そっか……私たちみたく、雨に当たってないといいんだけど」


外の天気は明るい。
それでも、雨は未だに勢いよく地面へ叩きつけられていた。


「シャワーでも浴びてこい。着替えは……まあ、考えとく」
「え? 私はいいよ。アキくんこそ、風邪引いたら大変でしょ?」
「そんなヤワな体ではない。だいたい、お前の方こそ風邪引きそうだぞ」


――否定はできない。
明彦よりも雨に当たっているのか、部屋へ上がるのも避けていたほどびしょぬれなのである。
智草は思わず苦笑した。そして、言葉に甘えることとなる。

ほかほかと温かくなった身体で出ると、いつの間にかバスタオルが籠の上に置かれていた。
それを手に取ると、白地のシャツも見える。明彦が置いてくれたのだろう。


「……ふふ、アキくんのだ」


バスタオルも、置かれたシャツも明彦のである。
洗濯をしてもその人の香りは染みついている。この香りが、好きなのだ。
けれど――


「……あ、アキくーん……」
「あ、上がったか。どれ俺も入ってくるか。あー、部屋に茶も用意してある。温かいうちに飲んどけ。何も言うな。俺は何も見ていない。見ていないからな!」
「……何でお風呂上がりの私より顔真っ赤なのかなぁ」


壁へ首を向けながら明彦が、シャワーを浴びにそそくさとラウンジから離れる。
取り残された智草は、そっとシャツの袖を引っ張って足元を隠した。

言われた通り部屋で待つ。
勉強机に湯気を躍らせているカップが置いてあった。
椅子に座ってカップに口付ける。少し濃かった。


「――智草」
「おかえり。見て、すっかり雨も引いたみたい」


元々晴れてはいたけれど、雨が降った後は尚更キラキラして見えた。


「狐の嫁入りってこういうこと言うんだね。……アキくん?」
「あ、いや……なんでもない!」


シャワーから戻ってきた明彦の口数は少ない。
智草はやんわりと微笑んだ。理由は何となくわかっている。
席から立ち上がり、突っ立ったままの明彦の前に移動して顔を覗き込んだ。


「アキくんが着せたんだから、よーくご覧ください?」
「ばっ!? お、俺が着せたわけではない!!」
「でもアキくんのお洋服だもんねー。そっかそっか、アキくんも彼シャツに興味があったんだね。男の子だもんね!」


腕を後ろに組み胸を突き出すようにすると、勢いよく明彦の視線が壁へと向いた。
けれど、顔は逸らしても視線は右往左往している。
時折智草の方へと向きそうになり、咄嗟に再び壁へと向いた。


「あはは。私もちょっぴり恥ずかしいかも。でも、アキくんってやっぱり大きいんだね」
「な!?」
「ほら、ぶっかぶか」


シャツの丈を持ち上げると、ちょうどこっちを見ていた明彦が目を見開いていた。
口もぽかんと開いて、先程まで顔を逸らしていたのが嘘みたいに凝視している。


「あ、アキくん……?」
「……」
「もー、揶揄ってごめんって。ほら、機嫌直して、ね?」


機嫌が悪いわけではないのは分かっていたが、智草も気恥しくなり背中を向けた。
まだ残っているお茶でも飲んで少し落ち着こうと一歩踏み出すと、腕を掴まれた。
そのまま後方へと引っ張られて、好きな香りが咲くように広がる。


「べ、別に変な意図があったわけじゃない! ただ、本当に、着せるものがなくてだな……! というか、ズボンも置いといたのに履かないお前が悪いんだろ!!」
「いや、アキくん腰回り細いけど、私にはぶかぶかだし」
「っだからってそんな恰好で出てくる奴が……! クソっ、目に毒だ!」
「毒まで言う!?」


酷い、と智草は抗議しようと顔を向けると、すぐに影が落ちてきた。
重なる唇は熱く、先程シャワーで浴びた時よりも体温が上昇していくのが分かる。
離れた際にお互いの吐息が漏れて、目に見えるようだった。


「……本当は、少し興味があったと言ったら、引くか」
「……まあ、男のロマンだもんね」
「素足はマズい……な」
「鼻血出さないでね」
「誰が出すか!!」


まったく……、と呆れた声を出しながら智草は更に、明彦の腕の中に引き押せられる。
そんな逞しい腕に手を添えて、智草はもう一度顔を上げて振り返った。


「ん」
「……なんだよ」
「えー? さっきしてくれたのに」
「……」


にこにこと笑いながら再び瞼を閉じる。
躊躇いの吐息に期待が孕んでいるのを感じながら、触れた熱を甘受した。

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