≪01/30(土) 未来を契る≫
冬の空気は酷く冷たい。
そんな寒さから逃げるように、智草は手元のカップを握りしめた。
「寒いのか?」
「さすがにねー。暖房付けたばっかでまだ冷えるよ。アキくんは平気?」
「お前とは鍛え方が違う」
「一緒にされたら逆に困るわ」
放課後、明彦から一緒に過ごさないかと声を掛けられた。
いつものように海牛かはがくれに行くものだと思っていたが、どうやら二人きりになりたかったらしい。
「智草」
「なーに? 甘えたの日?」
「なんだ、甘えたの日って」
「言葉通りだよ。よしよし、お姉さんが可愛がって差し上げましょう」
「オイ、や、止めろ!」
カップを置いて明彦の頭を撫でる。すぐに、跳ねのけられてしまったが。
腕に収まっていたクッションが引っ張られ、代わりに智草の身体が明彦の腕の中に収まる。
いつの間にか、こうして後ろから抱きしめられることが多くなった。
「うー…アキくん、温かい……」
「はは。甘えたなのはどっちだ」
「だってぇ……んー、ふふ、良い匂い」
「変態か」
「好きな人の香りまで好きになれるって幸せだぁ」
「な、何を言って……まあ、俺もお前の匂いは、好きだがな。甘くて、柔らかい良いモノだ」
先程とは逆に、智草は明彦の胸板に頬を寄せる。
撫でられた頭の感触が心地良くて、つい瞼を閉じた。
「寝るなよ」
「寝ないよ。アキくんと一緒の時間、大事にしたいもん」
「……そうだな」
もうすぐ、卒業が近い。
お互いの進路は、別だ。
けれど明彦はそれ以上に、その先を守るための戦いが控えている。
勿論それを、智草は知らない。
「前にさ、この世が終わるとしたらどうするって言ってたでしょ」
「…ああ」
けれど、知らないが、知っている。
頭を撫でる手が止まった。智草もまた顔を上げて、明彦を見上げる。
「いつか人生って終わるけどさ、私はまだまだアキくんと一緒に居たい。美鶴とも、せっかくできた後輩たちとの縁も大事にしていきたい」
「そうだな」
「そんな未来、来るんだよね……?」
巷はカルトで賑わっている。
世の状況は変わり、今やいたるところで可笑しなペイントが施され、チラシも貼り付けられている始末だ。
「不安か?」
「アキくんたちが、遠くに行くみたいな気はする」
「そうか……。お前に、全部伝えられればいいのにな」
「……アキくんからそんな言葉が聞けるなんて意外だなぁ」
昔から、明彦たちが何かを隠していることは知っていた。
そして今はあの分寮に住んでいる後輩たちも、何かに携わって集まっていることだって察しが付く。
けれど、深入りをしないと決めたのは自分だ。最後まで。
「全部伝えてお前の不安を拭えるなら、そうしているさ。だが違うだろう? 俺が今、お前にしてやるべきことは他にあるからな」
こつんと額が合わさった。
いつの間にか寒さを感じさせず、むしろ人肌が心地良い。
直近に映る強い瞳に、智草はゆるりと微笑んだ。
「智草。愛してる」
「ふふ、アキくんも愛の言葉に躊躇いがなくなってきましたなぁ」
「お前が揶揄ってくるのにも耐性はついた。次は揶揄う暇も与えん」
「本当にそうなりそうで怖いから、止めて……」
次第に明彦からの“攻め”は強くなっている。
智草は口元を緩めながらも頬が熱くなるのを感じた。
「なんだ。不満か?」
「そういうわけじゃ……。あ、でも可愛いアキくんを見る機会が減るのは不満かな!」
「可愛いお前が見られる機会が増えるから問題ない」
途端、智草は落ち着かなくなった。
視線を逸らし、上がった熱を冷ますようにエアコンのリモコンへと手を伸ばす。
「……あ、アキくん……」
「いかんな……」
「お手ても、いけない位置なんですけど……」
伸ばしたはずの手は引き寄せられ、吐息が肌を擽ってぞわりと身が震えた。
腹部にあった指が、制服の上着のボタンを簡単に外した。
「え、あっ……」
「お前への想いに気が付いて、こうして恋人になって……歯止めが効かん」
「っん……」
素肌に触れた熱に、身体が飛び跳ねる。
「お前のすべてを暴いて、もっと俺のものにしたくなる。お前を縛りたくはないと言ったが……嘘、だな」
鼻の奥から甲高いが漏れて、智草は瞼を閉じた。
閉じれば良く分かる。明彦の吐息も、体温も、そして鼓動さえも。
――生きている
「卒業したら旅行でも行くか」
「っえ……?」
「もちろん二人きりだ。言っておくが、泊まり込みでだぞ。近場だと面白くない。少し遠出をするのだって悪くないだろう」
まるで、それは決意のように固い言葉だった。
「うん……。行きたいところ、考えとくね」
「ああ。お前とだったらどこだって楽しめる」
瞼を閉じながら智草はそっと、明彦の腕に手を重ねた。
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