夜空を見上げて | ナノ

≪10/12(月) 小さな戦士に祝福を≫



明彦たちの暮らす分寮で調理をするのは、初めてではない。
使い勝手も知っていたため、後は増えた調味料たちを使わせてもらうだけだった。
予想通り、どれも真次郎が揃えたのだろうとすぐに察する。
次第に、良い香りがキッチンを包み込んだ。


「…ん[〜〜いい香りがしてきた! 味も……うん、シンちゃんに教えてもらった通り。成功っぽい。後はこっちが焼けるまでサラダを……ん?」
「……」


レシピを思い出しながら着々と次へ取り掛かっていると、入口に気配を感じた。
小さなその影は俯いており、表情が伺えない。
そういえばラウンジで一言も喋っていなかったなと思い出した。


「天田くん? どしたの、さては良い香りに釣られちゃった?」
「…あの、篠原さん」
「なあに?」


一歩踏み出した天田の顔はとても小学生のものとは思えなかった。
瞳は力強いが、どこか奥で震えている。
見たことのある目だった。


「……真田さんからどこまで聞いたか分かりません。けど、きっとあの人なら言ってないと思って。……僕、篠原さんに言わなくちゃならないことがあるんです」
「……うん」


智草は、静かに持っていた食器を置いて、天田へと向かい合う。
彼は、小さな手を震わせて、大きな息を吐いた。


「……あの日、荒垣さんが亡くなった原因は、…僕なんです」
「……」
「僕は2年前のあの日、あの場所で母を亡くしました。死因は交通事故。けど僕は知っていた。母は何者かに殺されたのを見てたから」
「その何者か……ってのが、シンちゃんだったんだね?」
「……僕はあの人を初めて見た時に分かったんです。この人が僕の母さんを殺したんだって。僕を独りにしたのはアイツなんだって。――殺すつもりだったんです。あの人を、僕がこの手で」
「うん…」


どうしてこの子の言葉を全て信じられるのか。
普通ならふざけるなとでも言うところかもしれないが、智草には嘘とは到底思えなかった。
真次郎がこの場所を離れたのが、この時期なのを知っていたからというのもあるだろう。


「…でもあの人はもう死ぬ運命だって…結局は僕が手を下さなくたって死ぬんだって。それを知った時どうすればいいのか分からなくて情けなくて……。けど同時にその時に、……あの人が、僕のことを庇ってくれたんです」
「うん」
「…僕はどうしてか分からなくて、ただ困惑して、怖くて、……。目の前で血が流れて、…でも荒垣さんは、…僕を一度も少しも責めなかった」
「うん」
「……っ僕のことを、あの大きな背中で守ってくれたんです」
「…うん」


ああ、真次郎はやっぱり、最期まで満足して逝ったのだ。
あれだけ枯らしたはずの涙が、再び零れそうになった。


「笑いながら僕のことを心配してくれた! 僕の今も、未来も、心配してくれた!! あんなにやさしい人を僕は、僕が……。

……最初は心の中が空っぽな感じでした。まるで母さんが亡くなった時みたいに。
でも、真田さんの言葉で僕は自分自身とようやく向き合えた。向き合っているつもりで、一度も前を向けていなかった僕を、向き合わせてくれた。

……そして僕は誓ったんです。
これからは前を向くって。母さんや自分自身のためにも、…荒垣さんのためにも」


自分が死ぬときに前を向いて、きっと天田のことを深く心配し、同時に応援していたの違いない。
どうしてあんなに不器用なのだろう。
あれだけ心優しい人はいないだろうに。


「……だからと言って、きっと僕がしたことは許されない。こんなことを篠原さんに言っても、貴女は僕を許してくれないと思います。けど、…僕は――」
「うん、頑張ったね」
「…え…」
「天田くん、まだ小学生なのに頑張ったよ。孤独とも恐怖とも戦い続けてきた。シンちゃんが、それを終わらせてくれたんだね」


小さな体ですべてを背負い込んだ天田を、真次郎は救ったのだ。
天田を突き落としたのが真次郎だからこそ、彼にしかできなかったことを成し得た。
そして今目の前の少年も、自分と同じように苦しみを乗り越えたのだと理解した。


「あの、…でも僕は……」
「私はね、決して天田くんのことを責めてなんかいないよ」
「! …どう、して…だって僕は、僕が荒垣さんを!!」
「そんなこと、シンちゃん自身が言ったの?」
「…それは……」
「シンちゃんの死をね、アキくんから聞いた時は信じられなかった。だって、そうそう死ぬように見えないでしょ? ましてや自分の意図しない形でなんて」


ああ、いけない。泣きそうだ。


「……分かったんだ。アキ君の言葉で、シンちゃんの今までの生き様で、分かった。この死は、シンちゃんが後悔したものじゃないって」


智草はぐっと堪えて、天田と目線を合わせて微笑んだ。


「その死の原因を作ったのが例え天田くんだったとしても、それは気に病むことじゃないよ。天田くんは頑張った。死を乗り越えて、自分自身と向き合えた。きっとシンちゃん、優しい眼差しで天田くんのこと見てるよ」
「篠原さん……」
「だからって気を抜いたら、きっと凄いガンつけられるけどね!」
「……はは……っそうです、ね…」
「これからは周囲を頼りなさい。アキくんも美鶴も私も、他の先輩方もいる。だから、もう我慢しなくていい。独りじゃないんだから。だから、自分の思うとおりに動きなさい」
「っはい…!」


先に止めどなく流れたのは、天田の涙だった。
智草はますます泣けないと堪え、天田にハンカチを差し出す。


「…さ、涙を拭って。これを向こうに持って行ってくれる? もう少しで他も出来上がるの。せっかくなら、楽しいお食事をしましょう」
「はい、分かりました……!」


天田は涙を拭い、ラウンジへと戻っていく。
小さな背中が奥へ消えたのを見届けて、智草は力なく俯いた。


「可愛くて、優しい芯のある戦士さんね。これで満足かしら、アキくん?」
「……あぁ」
「…あんな子、恨むことなんてできないじゃないの…」


会わせたい奴が誰なのか、しっかりと受け止めた。
智草は瞼を閉じる。
自分の知らないところで重い事態が起きていたのだ。

知らなかったことも。
知ろうとしなかったことも。
少しだけ後悔をしてしまう。


「悪いな、智草」
「ううん、だいじょーぶ……」
「大丈夫なわけあるか。……まだ、焼き上がるまで時間あるんだろ」
「…っ…!」


後頭部を引き寄せられ、智草は静かに涙を流した。


「お前には、苦労を掛けてばかりだな」
「あはは……お互い様だよ……」

×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -