夜空を見上げて | ナノ

≪10/05(月) 奇跡は起こらない≫



早朝、電話が鳴った。
丁度制服に着替えたところで、智草は怪訝そうに手に取る。
この前に一件来たため、何か伝え忘れだろうかとディスプレイを覗くと、今日一番に会いたい人だった。

ぱっと笑顔が溢れる。
きっと相手も喜んでくれるはずだろうと、真っ先に口を開いた。


「もしもし、アキくん!」
『……智草か』
「どうしたの、こんな朝早く。そうそう聞いて! 実はさっき病院から電話があって! お母さん、治ったって! お父さんもね、二人とも会話も、食事もできるようになったんだよ!!」
『――……そうか。それは、良かった……』


電話越しでも耳を撫でる優しい声が、今は酷く落ち込んでいるように聞こえた。
これには智草も戸惑いを隠せない。
両親が無気力症から立ち直ったことを、自分と同じように喜んでくれると確信していたから尚更だった。


「……アキくん? ……あ、あのね、お父さんも“おはよう”って、いつもみたいに言ってくれて…」
『智草』
「……なに?」
『悪いが今日付き合ってくれないか』
「えっと……それは放課後にってことでいいんだよね?」
『――いや、今からだ』
「今から……って、…それってつまり、学校行かないでってこと?」
『…どうしてもお前に着いてきて欲しい。お前に、…話さなくちゃいけないこともあるんだ』


口の中が、乾燥した。
こんな落胆したような声を、明彦から聞いたことがなかった。

いや、一度だけ――彼の過去を聞いた時だろうか。
その後は、そう、自分のことを心底心配してくれた時にも、似ている。


「……わかった」
『すまないな』
「ううん…気にしないで」
『30分後、はがくれで』
「うん。…………アキくん…」


胸が騒がしかった。
はがくれの前に到着すると、既に明彦が立っていた。
いつもの姿で、「よう」と気さくに手を上げる。


「おはよう、アキくん」
「あぁ。朝からすまないな」
「ううん……」
「まずはラーメンでも食うか」
「え、朝から?」
「あぁ。……シンジはいつも、ここに通ってたんだ」
「――え……それって、どういう」
「頼む。付き合ってくれるな?」
「……うん…」


そう言われては、何も返せなかった。
はがくれに、授業をさぼってまで入ったことは勿論一度もない。
明彦は何も言わず中へと入り、店主へ注文をする。
出勤前のサラリーマンが数人、ぽつぽつといるだけだった。


「……」
「……」
「……」
「……」


二人で、何も口を開かずに食べる。
暖かい味がいつも心を満たすはずなのに、智草は喉に突っかかりを感じてしまった。
いくら明彦を横目で見ても、表情は変わらない。
店を出て、初めて彼はやんわりと笑みを浮かべた。


「朝からラーメンって言うのも、なかなかいいものだな」
「そう、だね…」
「……そうだな、次はこっちだ」
「うん……」


そうして何件か連れていかれた。
長鳴神社。コロちゃんが座っていたという場所だったり。甘味処だったり。潮風が心地の良いスポットだったり。

午後になって導かれた場所は、裏路地だった。明彦にも真次郎にも寄るなと言われていた場所。
明彦は無言で、光の当たらない広場へと近付いた。
まるでそこに何かが”いた”かのように、床をじっと見つめている。

智草は、思わず明彦の腕を引っ張った。
そうでもしないと、どこかへ消えてしまいそうな気がしたから。


「アキくん……ねえ、どうしたの。何か変、変だよ。学校サボるのも、変。朝からラーメンも変。ここには行くなって言ってたじゃない。普段と様子が違うし、……どうして、シンちゃんの後を追うようなことするの? どうして――」


“……シンジはいつも、ここに通ってたんだ”


「どうして、シンちゃんのこと……過去の人みたいに言うの?」
「……智草」
「……」
「――……シンジは、先に逝ったよ」
「……え……」


世界が、揺れた。
明彦が向かい合い、彼の瞳が冗談を言っているとは思えないからこそ、足元がふらついた。


「アイツは俺たちよりも先に、旅立った。ここで昨夜――いや、昨夜と今日との狭間で、アイツは死んだんだ」
「な…なに、言ってるの……。うそ、…冗談やめてよ……」
「冗談じゃない。俺は、その時を看取った」
「ッ、ちが、…そんなわけっ…!」


頭を振って、一歩後退る。
明彦の視線が再び地面へと落ちた。
ここで、この場所で――?


「今頃学校じゃ、アイツの追悼式でもやってるんだろうな。
どうしても智草には先に伝えたかった。アイツが逝った、この場所で、俺の口から直接」
「ぁ……、……」


頬から、一筋流れる。
流れてしまえば認めてしまうものなのに、何をしなくても次から次へと溢れ出てくる。


「原因は言えない。お前を巻き込みたくない。だが、これだけは覚えておいてほしいんだ。

アイツは自分の意志で、すべてに満足して…笑って逝ったよ」
「――……そんなの……そんな、のって……」
「“これでいい”」
「…………」
「アイツの最後の言葉だ。まったく……最高の勝ち逃げ文句だと思わないか? そんなこと言われたら…何も言えないだろ……」


笑った明彦の顔が、酷く痛々しかった。
足元が崩れ落ちて、大切な友人を失った事実が付きつけられる。
そこにあるはずもない真次郎が、何故か見えてしまった。


「ぁ…あっ…っ」
「……シンジを助けてやれずに、すまない……」
「うそ、でしょ……シンちゃ、…シンちゃんっ…!! なんで、どうしてっ、嘘嘘嘘うそぉっ!」


明彦は顔を覆って叫ぶ智草の肩に、そっと手を置く。


「だ、だって…シンちゃんは誰よりも優しくていつだって気遣ってくれる強い人で! し、死ぬなんて……そんな……。わ、私のこと、いつだって支えてくれてッ…! あ、アキくんや、…美鶴のことだって、…大切に、いつもッ…」


涙が止まらない。
指の合間を伝って、肌を滑っていく。


「おいて、かないでよっ……まだ、たくさん、…たくさん、シンちゃんに伝えたいことあるのに……! シンちゃんと一緒にお料理して、みんなに…喜んでもらいたかった!! なのに…なのにっ」
「……」
「うぁ……あ…っぁ……」
「智草……」
「っこんなのって、…ないよ…ずるい、ずるいよシンちゃん……」
「……」
「シンちゃ、…しんちゃんっしんちゃんしんちゃ…っく…ぁああああああああぁあああッ」


明彦に身を包まれても、暖かさを感じなかった。

いつからか、真次郎は夏だろうとコートを着ていた。
こんな風に心が満たされなかったのだろうか。だから寒かったのだろうか。
事情の知らない智草には、そうとしか思えなかった。

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