夜空を見上げて | ナノ

≪09/24(木) 終わらない悪夢≫



その日、帰寮したを迎えたのは真次郎だった。
だがその姿は昨日のように、揶揄うようなものではない。


「帰ったか。すぐ出るぞ」
「は? 今日はタルタロスへ行く予定だろ。悪いが俺は暴れ足りないんだ」
「それよか大事なことがある。テメェにとって何よりもだ」
「何よりもだと? ……分かった、美鶴に連絡を」
「了承済みだ。良いから着いてこい」


嫌な汗が流れる。
悪い予感は当たると言うものだが――真次郎に連れられたのは辰巳記念病院だった。

ここには随分と世話になっている。自分自身も、S.E.E.S.としても、智草の家族もだ。


「おい、病院での大事なことってなんだ。チドリという少女の尋問なら」
「違ェよ。……気付いてんだろ、満月が近づいて“連中”も嫌に増えて来やがった」


影人間――無気力症に陥った人々のことだ。
ここに入院している大半が、もはやそれを占めている。そして、彼女の母親もまた。

真次郎に導かれるまま、とある病室の前にたどり着く。
表札に掛かれた複数の漢字の羅列に、見てはいけない氏名が書かれていた。
明彦の心臓が、どくりと高鳴る。


「入ってみろ。奥のベッドだ」
「……おい、冗談だろ……」


進んではいけない。進まなければいけない。
明彦は、己の動揺を隠せないまま、それでも一歩踏み出す。
左右には焦点の合わない患者がうめき声をあげて寝ていた。
その奥、窓辺のベッドで横になっている患者に、確かな見覚えがあったのだ。


「……勘弁してくれ……なんで……どうして……」
「その反応、間違いねェんだな」
「ちくしょうッ……!」


精悍な顔つきだった男は、頬が苔け、唇の端から唾液を流して天を仰いでいた。
焦点の合わない瞳、脱力した肢体。
それは、影人間の象徴だった――智草の父親の姿だ。


「どうしてアイツばかりがこんな思いをしなければならないッ!!」
「……」
「アイツは、母親だってまだ治っていないんだぞ!? いったい――……待て……いつから、こんな状態だったんだ……?」


はっと、息を呑む。
昨日も智草とは一緒に居た。
学校でいつも通り話し、学び、放課後は軽く飯を食べ、そこで解散をした。

そう、いつも通りだったのだ。
では、いつからこうなったのか。


「……知ってるんだろ、シンジ。いつからこの人はこうなった!?」
「あまり大声を出すな、明彦。病院だぞ」
「美鶴……」


病室に入ってきた美鶴は、ベッドで横たわる智草の父親を一瞥して小さく息を吐いた。
その反応で明彦は察する。
美鶴は自分よりも、この事態を早く知っていたのだと。


「恐らくは9月11日だ。覚えているか、私たちが一同に病院へ行った翌日だ。そこに、彼女の父親の搬送記録が残っていた」
「……もう、10日以上経っているじゃないか……」
「ああ、そうだ。その間私たちは……彼女の明るさに救われていたんだ」
「っ――」


頭を強く殴られたようだった。
試合でどんな痛みを受けても悲観することはなかった。
シャドウとどんなに戦い死を目前にしても、それでも高揚感は抑えられなかった。

けれど、どうした、これは――

だが、冷静に思い返せば違和感を感じ取っていたはずなのだ。
その日を境に、智草は突然忙しいと放課後急いで帰っていた日があった。
台風の日に、父親の姿がなかったのは仕事だと言っていたが、あんな悪天候の中そもそも出勤すら叶わないだろう。
なにより彼女が怯えるのを知っていて、いくら荒れていたとはいえ、親が放置しておくはずがない。


「……そんなに、俺が信用ならないのか……」
「アホ言うな。分かってんだろ、アイツがそういうやつじゃねェことぐらい」
「だがッ……だが、」


脳裏に浮かぶ。
台風に見舞われた中で、力なく笑った智草の姿が。怯えた彼女の声が。
本当は、悪天候で震えていただけではなかったのだと痛感させられた。

きっと叫びたかったはずだ。
助けを求めたかったはずだ。


「…………会ってくる」
「……あまり責めてやるなよ」
「分かっている」


病室を後にして、明彦は駆け出した。
何処にいるかなんてわからない。携帯を取り出して彼女へと連絡を取ると、意外にもすんなりと出た。
賑やかな雑音はポロミアンモールの中を示しており、病室を出る間際に美鶴に言われた言葉が思い起こされる。

「有里の臨時バイト先に次々と彼女が現れて、さすがに不振がって声を掛けてきてくれたことが今回の発覚だ。彼に感謝しなければならないな」

胸に出来るわだかまりを無視することはできない。だが、それ以上に今は智草の方が大切だった。


日も暮れた頃に、駅で智草を合流する。
彼女は、いつものように笑顔を浮かべていた。


「お疲れ、アキくん。突然どうしたの? お腹空いちゃった?」
「……智草……」
「今日は定食食べたい気分なんだけど、どう? 今期間限定で、すき焼き定食が大盛無料なんだよ。絶対にアキくんと行こうと思ってて!」


あまりにも、いつも通りだった。
それに甘えていた自分がいたことを痛感して、明彦は伸ばす手に理性を利かせることは出来なかった。


「っあ、アキくん!?」
「……すまない」
「ど、どうしたの?」


抱きしめた彼女の身体は、想像していたよりも小さく細い。
自分よりも無力なこの身に、大きなものを背負わせていたのだ。
そう考えると、胸が締め付けられる思いだった。


「お前を、独りにさせて……気付いてやれなくて、すまないッ……!」


悲痛な声が、智草の耳へ浸透する。
途端、伝搬するように悲しみが襲ってきた。
瞼が、熱くなる。


「……あー、やだなぁ。……どうして、知っちゃうかなぁ……」
「なんでお前はそうやって抱え込むんだ……。俺はどうしていつも、お前を助けてやれない……!」
「助けてもらってるよ……。アキくんが居なかったら、きっと私は……生きる希望なんてなかったから」


気丈な男が、体を震わせてくれている。
心の底から悔いるような声を発している。
智草には、これがどうしようもなく嬉しく、切なかった。


「アキくんを信用してなかったわけじゃないの。でも、お母さんの時でも凄い気にかけてくれたのに、お父さんもってなったらきっと……アキくんは自分を責めると思って」
「俺のことなんてどうでもいい!! 俺は、お前のことが心配なだけだ!!」
「うん……分かってる。だから、アキくんにはそのままで居てほしかった」


智草は、明彦の肩口に額を押し当てた。
ぴくりと震えが止んだその背中に、そっと指を這わす。
赤い、彼を象徴するベストを握りしめた。


「アキくんには……下手に背負ってほしくなかった」
「……俺は、確かに全員を救うなんて器量はない。今後もそうだ。目の前のことで精いっぱいな俺には、身近な人を守ることさえ心もとないさ。
だけどな……それでも、どうしても守りたいものはある。譲れない存在は確かにあるんだ」
「……アキくん……ごめん」
「謝らないでくれ。俺が、もっとお前のことをよく見てやればよかったんだ」


少し身を離すと、それでも智草は笑みを浮かべていた。
力なく、眉を下げ、何か憑き物が取れたように見えたのは、明彦の気のせいではない。
両肩に手を当てて、明彦はそっと顔を覗き込んだ。


「必ず、俺が何とかする。だから、もう少しだけ我慢できるか?」
「……うん……。でも、アキくんが怪我したり苦しんだりするのだけは、嫌だから」
「ああ」
「シンちゃんにも、美鶴にも言っておいて」
「……」
「ふふ、アキくんが一番心配だよ」
「ち、違う! 誰もそんなことは言っていないだろ!」


ああ――いつも通りの笑顔だ。
それは、双方が心の底から安堵した瞬間だった。


「親が戻るまで、俺たちの寮に来るか? きっと美鶴も理事長も許可してくれる」
「入居者増えているんでしょ? 部外者は立ち入らない方が良いじゃないかな」
「……なら今後夕飯はお前の家で食う」
「あのねぇ。そこまで気に掛けなくても大丈夫だよ」
「俺が、お前の飯を食いたい。どうせシンジに習ったんだろ。だったら食える」
「シンちゃんに教えてもらわなくても元から美味しかったですー!!」
「ははっ、分かってるさ。……いいか?」
「……断る理由なんて、ないよ」

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