夜空を見上げて | ナノ

≪純なる域で微笑む≫



「…………」
「…………」


 カリカリ…カリカリ……

静かな図書館で、ペンの動かす音がやけに響く。
普段よりも人が少ないのは、今がテスト期間じゃないからだろう。
それでもこうして勉強しているのは、来週数学の小テストがあるからだ。

期末にも出す上に、成績のウェイトを大きく占めると言われた。
それならば勉強する他ない。


「……ん?」
「どうした」
「……あ、いやなんでもない」
「そうか」
「うん」


向かい合う形でお互い黙々とペンを動かす。
しかし片方は止まっては動き、止まっては動きを繰り返し始めた。
そして、ついにペンは止まる。


「……あれ?」
「……」
「……んん?」
「……」
「…………は?」
「…なんだ、やかましいな」


智草の声で静寂は打ち破られる。
最初は純粋な疑問を浮かべていた声が、苛立ちのように吐き捨てられたのを感じて明彦は顔を上げた。
案の定、智草の顔は納得がいかないとばかりに顰められていた。


「いや、この問題の解答が合わない。なんでだろう。用いる計算式も、途中計算も間違ってないのに」


間違ってない、とハッキリ言い切る智草に何とも言えない視線を送りながら、明彦はペンを置く。
これが赤の他人ならば「決めつけるな」と一言言いたくなるが、智草だから言えない。
彼女の実力は本物だ。

常に成績は2位をキープ。
1位はもちろん美鶴ではあるが、実は智草が実力を惜しんでるなどと噂も流れている。
普段の授業も共にしているからこそ、明彦自身もそれを思わざるを得ない時があるのだ。
明らかに初めて見る問題も、明らかに大学レベルの問題もそつなくこなす。
それだけならず、瞬時に頭が働くのか答えを導く速さが想像を超えているのだ。

そんな彼女が行き詰っている。
自分も解いているこの問題集の先には、そんな難しいものでもあるのだろうかと思いながら、明彦はどの問題だ、と尋ねた。


「これ、(5)の応用のやつ」


だがどうしたことか。
その応用問題は既に自分は解き終えている。
自分ができて、彼女ができないとは考えにくい。
こんなこともあるんだなと、新鮮な気持ちを味わっていると、智草が勘違いをしたのかニヤリ、と口角をあげた。


「あ、そこまで行ってなかった?」
「お前は俺を馬鹿にしているのか」
「私よりは馬鹿じゃない」
「…………」


図星である。
こう言われても苛立たなくなったのは一体いつからか。
初めて格差を見せつけられたときは唖然としたのを覚えている。


「ごめんってば!」
「…ほら、ノート見せてみろ」
「はいよー」
「…………」
「ね? 間違ってないでしょ?」
「確かに不備は見当たらないな…」


ノートを見て、彼女の独特な字を目で追う。
計算式に間違いはない。この数値を使った場合の計算も間違えてはいないようだ。


「もー、こういう時ってやる気落ちるんだよなぁ。ついでに集中力も欠けてきて、そろそろ甘いものが……」
「おい」
「冗談だよ、頑張るってば」
「そうじゃなくて、お前問題写し間違えてるぞ」
「…は?! …は、え?!」


だらん、と机に倒していた上体を素早く起こせば、明彦の手元にある自身のノートを覗き込む。
明彦は指で一番はじめに書かれているその数字を叩く。
その瞬間、智草の顔は今日一番の歪みを見せた。同時に重い溜め息も漏れる。


「うっわ! こういうの、うっわ!」
「ほら、」
「うわー……」
「やり直せ」
「…はぁ。こういうの地味にショックなんだよなぁ」
「いいから、ぱっぱとすませろ」
「もー急かさないでよー! えーっと? ……ここが、…こうで…っと…」


智草はノートを受け取るとすぐに解き始めた。
スラスラと止まることなくペンが動く。
明彦はじっとそれを見つめていた。自分はペンを、置いたままだ。


「…………」
「え、なんでアキくん休んでるの、え?」


問題をすぐに解き終え、それに気づいた智草が、首をかしげる。
だが明彦は答えない。何かを待っているかのように口を閉ざしていた。
智草はははーん、と先ほどと同様に口角を上げた。
ぴくりと相手の眉が動くのを見て、確信を持つ。


「…………」
「…アキくん、もしかしてさ…」
「…違うからな」
「……ふぅん?」
「違うと言ってるだろ……」
「へぇ?」
「…………」
「じゃ、私は次の問題飛ばそっと。別に実際に解いてみなくても分かるし?」
「ぐっ……」
「というか、全部解法は分かるし?」
「…くそっ、次が分からん! 教えてくれ」


ふふっ、と智草が笑みをこぼす。
このような流れが、以前にも合ったのを覚えていた。
何事も自分の力で成し遂げようとする明彦は、もちろん勉強面でもそうだ。
参考書を見て、自分のノートを見返して、自分ですべてを片づけようと。

そういえば初めて会話したのも勉強関連だったな……。
思い出しながら、智草は自身のノートを端に寄せるとまた上体を乗り上げる。


「で、どこからが分からないの?」
「ここからだ。ここまでは分かるんだが、な」
「あ、それなら後はこの式使えばいいだけだよ」
「なに? 何故ここで…。確かこの式は」
「確かに条件は違うけど、この場合でも使えるの。世の中に必ずある“例外”ってやるだね」
「なるほどな。それなら後は……こうか」
「そうそう!」
「よし、なら次も畳み込めるな」


時々、彼が好戦的な瞳をしているのが、智草は好きだった。
こういう彼が好きなのだ。
照れている彼も、どことなくしょんぼりしている彼も、シリアスになっている彼も、真剣な彼も好きだけれど。

こうやって輝かしい瞳をしている時が、一番智草は好きなのである。


「…うん!」

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