夜空を見上げて | ナノ

≪05/10(日) 10円の恩人≫



私立月光館学園高等部は、土曜日も通常授業がある。
そのため、休日と呼べる日は日曜日しかないのだ。
その日曜日をどう過ごすかによって、翌日からまた始まる学校生活に影響がある。

智草はこの日、伸び伸びとした休日を送っていた。

ごくり、と美味しいそれを飲み込む。
風味と一緒に口の中から下へ下へと突っかかることなく流れていく。
ほんのり額にかいた汗が心地よく感じた。


「…ふぅ。それにしても、偶にの贅沢もいいものだなぁ」


智草は隣の空席に置いた自分の荷物を一瞥した。
すぐ下にある「本の虫」という古本屋さんで買った本が大半である。
他にも、ポロニアンモールにあるゲームセンターでとった景品たちが。

特に表に置いてあるクレーンゲームにて、何回も何回も挑戦し、やっとの思いでとったフロスト人形が袋からひょっこり愛らしい顔をのぞかせている。
苦労した甲斐があった、と思わず笑みが零れる。


「3年生になった途端に、先生方も進路やら成績がどうやらうるさくなってきたし、こういう時間って必要だよね」


せっかくだからと数名ほど勧誘したのだが、皆用事がある用で断られてしまった。
部活もしてなければ委員にも参加していない人間とは、スケジュール表の埋まり具合が違うらしい。

もっとも、とある令嬢は他とは違ってスケジュールに白い場所などないのだろうが。
ダメもとで誘っては見たが、やはりダメだった。
今日は確か、宗家への途中報告書が……なんたらこんたらだったはずだ。


「いらっしゃい! 1名様ですねーこちらへどうぞ!」


休日の、しかも昼間だからだろう。
先程から客が次第に入ってくる。
影が近づいてきた。きっと隣の隣に座ったのだろう。
影が腰を下ろしたのを智草は横目で確認した。


「……んー」


本の虫へ寄る前に甘いものを食べたからか、普段よりも箸の進み具合が遅い。
それでもノロノロと食べていると、新しく来た客の元にラーメンが届いた。
同時に、店に流れるちょっと古臭いBGMの曲が変わる。

と、後ろから主婦2人の話し声が聞こえてきた。


「最近ウチの旦那、どうもぼーっとしてるのよねぇ」
「あら、仕事で疲れてるんじゃないの?」
「そうだと思って暫くは様子見てたんだけど、なんだが違うっぽくて。
声かけても“あー”とか“うー”とか。まるで生気ないみたいで」
「それってもしかして、例の“無気力症”ってやつじゃないのかしら」
「私もそう思っちゃうのよねぇ。あーやだやだ。止めてほしいわ」
「でもお隣の奥さんも4月末はそんな感じだったらしいけど、すぐに治ったらしいわよ」
「ほんと〜? んもう、早くシャキッとしてくれないと子どもたちにも面がたたないわ」
「ふふ、頑張って」
「えぇ!」


無気力症か……。
そういえばゲーセンの近くにもやけにぼーっとしている学生を見たな。
智草はラーメンを口に含みながらふとその学生を思い出した。

足を地面に着けてたってはいるものの、身体にほぼ力が入ってない様子で。
目の焦点もあっておらず、口も半開き。顔色も悪く、うーうー唸っていたのを覚えている。


「はい、お待ちー」


と、先ほど入店した客にまたラーメンが置かれた。
ふと見てみると既に空の容器が2つ重ねられている。
……3杯目らしい。
対する自分はまだ1杯目で、隣の客はよく食べるなと感心した。


「……ふぅ、今日は油がたっぷりだった気が……。お勘定お願いしまーす」


やっとの思いで食べ終え精算をする。珍しく後払いのラーメン屋さん。
レジのお兄さんから「560円ね」とお声を貰い財布を開く。
綺麗に輝く500円玉を出すのを惜しみながら取り出し、次いで50円を出す。

そこでふと、気づいた。


「……やば」


10円。
たった10円、されど10円。
財布を凝視しても現実は変わらなくて。


「お客さん? 残り10円足りませんが」
「あー……えっとですね、…えっと……」
「?」


足りない。
智草の財布はすでに空っぽ状態だった。
明らかにここに来る前に買いすぎたのだ。

先程まで熱く火照っていた体からはサーッと血の気が引いて一気に冷えを感じる。
これをどう打開すべきか、彼女には思い至らなかった。
とりあえずどうにかして次回支払えるようお願いをしようと、乾いた唇を開くと、後ろから手が伸びてきた。


「はい、ありがとうございましたー! またお願いします!」


お兄さんが満面の笑みを浮かべてくる。
ガラガラ、と扉の開く音と射し込む光にはっと踵を返した。
そして、離れ行くその背中に声をかける。


「ちょっと待って!」
「……?」


同い年くらいの少年がゆっくりと振り返った。
小首を傾げ、さも何事もなかったようにしている。


「あの、…ありがとう」
「……あぁ…」
「まさかお金足りなくなるなんて思ってなくて、…焦ってたの。君のおかげで助かった。だから、ありがとう」
「…別に、気にしてないので」


少年は表情1つ変えずに言う。
本当に気にしてないという様子だった。
それでもやはり、支払ってもらった側としては気にしないわけにもいかない。


「私が気にするのよ。だから、何かお礼をしたいの。今はお分かりの通り、無一文だけどね」
「……はぁ」
「君、見た感じ高校生っぽい。もしかして此処の近くに通ってる?」
「…まあ」


それならきっと同じ学校だろう。
智草はぱっと微笑み、少年に近づいた。


「もしかして月光館学園かな?」
「そうです」
「うん、ビンゴ。私はそこの3年の智草智草って言うの。宜しく」
「……どうも」
「君は、新入生?」


少なくとも同学年ではないだろう。
今まで合同で授業があった時もあったが、彼を見たことはない。
すると、案の定彼は後輩だった。
どうやら今年から転入した2年生らしい。


「あ、もしかして君が噂の有里くんだったりする?」
「噂? ……まぁ」
「そう、君が!」


今年2年生として転入してきたのは、入学後すぐに入院を余儀なくされた彼しか該当しない。
気になって聞いてみれば見事に当たったようで。


「ところで今日のお礼なんだけれど。有里くんさえ良ければ、今度一緒に食事どうかな?」
「……別に、構いませんけど」
「そう、なら決定ね。ちょうど来週のこの時間なんてどう?」
「…分かりました」
「ん、それならそういうことで」


少しだけ強引だと分かりながらも#、#NAME1##は話を進めていく。
相手も相手で別に嫌という様子ではないようだった。
ただ流れに身を任せるように答えていく彼に、智草は少し興味深そうに視線をやる。


「今日は本当にありがとう、有里くん。それじゃ、来週……駅で待ち合わせしようか」
「はい。では、」
「うん、またね!」


去りゆく彼の背中を見つめて、智草はほくそ笑む。
なるほど、彼が新しい寮生。
とても不思議な雰囲気を醸し出している。
まさしく「来る者拒まず去るもの追わず」と言った感じだ。というのが、智草にとっての第一印象であった。

彼のその不思議な雰囲気は、どうも人を引き寄せるようで……。


「仲良くなりたいなぁ」

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