02
七番街で一仕事を終えた後、帰路を歩んでいく。夜になると星のない天から人工的な照明が照らされる。淀む空気も相まって、ミッドガルの外が恋しくなるのは今でも変わらない。いつも通りのトンネル道を進んで伍番街へ帰宅していると、突如として巨大な爆発音とともに地響きが起きた。
「なっ、なに!?」
巨大なモンスターが襲ってきたのかと身構えても気配すら感じない。よほどの手練れなのか。警戒心が高まる同時に、更に連続した轟音が鳴り響いた。慌ててトンネルを走り抜けて、驚愕に目が見開く。頭上を覆うプレートの隙間から煙が黙々と上がっている。何事だろうと歩を進めて近くのモニターまで駆け寄ると、どうやら壱番街魔晄炉が襲撃を受けて爆破したらしい。
「八番街って……エアリス!」
警戒区域に指定された場所である八番街へ、エアリスは花を売りに行くと今朝言っていた。血の気がさっと引くのを覚えて、咄嗟に端末を取り出す。コールは鳴り続けるだけ。焦りが生まれる。通信障害で繋がらないだけならいいけど、もし巻き込まれていたら――!
家まで一気に走り抜ける。一瞥したモニターには、茫々と燃える街の様子が映り込んでいた。焦燥感に急き立てられながら最後の一本道を駆けていくと、お目当ての背中が遠くに映る。途端にどっと安心感が身体を駆け巡った。
「エアリス!」
「ナマエ!」
怪我はない。巻き込まれてはいないらしい。
「爆発の影響は!?」
「うん、なんとか平気。ナマエ、心配してくれた?」
「当然でしょう! なんのために端末渡したと思っているの、おバカさん!」
「あっごめん! ちょっと慌てて、落としちゃったの……なくしちゃった……」
「怪我していないなら、いいわ」
花を売りに行っていたはずなのに、いつもの手提げ籠がない。端末と一緒に落としちゃったのだろうか。
「売れ行きは?」
「うーん。まあまあ、ですな」
「あら残念。こんな非常事態だし、しょうがないわね」
「でも、ね……」
エアリスの足が止まる。空を見上げる瞳は僅かに伏せられていて、憂いを帯びていた。その度に心が締め付けられる。今エアリスは、誰のことを想っているのだろう。考えてしまえば同じように目を伏せるしかできない。
「お花、プレゼントしたんだ。しかも、タダ!」
「誰に?」
「――秘密っ! きっとナマエ、もうすぐ会えるから」
「私が知らない人? ねえ、まさか危ないことに巻き込まれたんじゃないでしょうね?」
「ナマエ、心配し過ぎ。大丈夫だよ。でも、お腹ぺこぺこ」
この娘に何かあったら顔向けが出来ない。行方も分からない旧友の代わりに、彼女の笑顔だけは守ってあげたかった。
自宅へ辿り着くと、エルミナが心底安堵した表情を浮かべる。けれど変わらないエアリスの様子に困ったように眉を下げて、何も言わずに夕飯の支度を整えてくれた。その間に部屋へと戻りテレビを付ける。どこも話題は壱番魔晄炉爆破について。
「……まさか」
様子の可笑しい七番街の知人たちが脳裏に過ぎる。彼らが常日頃街のため星のためと活動しているのは知っていたし、アバランチであることももう分かっている。ティファたちはなんとか誤魔化そうとしているみたいだけど、察しの良いジェシーからは勧誘を受けていた。妙に落ち着きがなかったのは、今夜のこの作戦があったからってことなのね。
夕飯をとって武器の手入れをしていると、扉がノックされる。ほぼ同時に戸が開くものだから顔を確認しなくても誰かなんて十分だった。
「被害、凄いね」
「街の様子はどうだったの?」
「みんな、混乱してた。建物も崩れてて、怪我した人たくさん」
「そう……エアリス、暫く夜は出歩かない方がいいわ」
「え〜? ナマエだって、歩いてる!」
「私はいいの。強いから」
ハッキリと返すと、エアリスが頬を膨らませる。よくやるむくれた表情は年相応で、むしろこの表情を出させるために時々意地悪をしてしまうのは内緒だったりする。
「わたしだって、弱くない」
「強くもないわね」
「ナマエ!」
「はいはい。お互いに気を付けましょう。それでいいかしら」
「……明日のデザート作ってあげないから!」
「その明日も七番街へ行ってくるわ。エアリスは家でお留守番よろしくね」
昨日同様に、セブンスヘブンの扉を叩く。
「おはよう、ティファ。寝不足じゃないかしら?」
「おはよう、ナマエ。そんなに私の顔、変?」
「少しだけ顔色が悪いわ」
困ったように下げられた眉に、恐らく昨夜の作戦が関与しているのだろうと直感が働く。ティファも一緒に行ったのだろうか。いつものようにカウンター席へ腰を下ろすと、グラスを手渡された。
「あんまり寝れなくて……ほ、ほら。昨日、魔晄炉の爆破あったでしょ?」
「被害はないわよね?」
「うん。伍番街は?」
「問題ないわ。ところで、会わせたい人っていうのは?」
「もう少しで来ると思う」
その言葉と同時に、開店前の扉が再び開かれる。あっと声を漏らすティファの様子を鑑みるに、お目当ての人物らしい。こっちこっち、と手を招く姿が可愛かった。
「ナマエ、紹介するね。彼が同郷のクラウド。で、クラウド。こっちが昨日話したナマエだよ」
挨拶をしようと上半身を捻って相手を見据えた途端、言葉に詰まった。着こなされた服装に、覚えがあった。ノースリーブのハイネックなニットシャツは、ソルジャーの制服に違いない。ピッタリと体にフィットしたラインは細いけれど、露わになっている腕には肉眼でも分かるほどしなやかな筋肉がついていて。
顔をあげて、息を呑んだ。
その顔立ちに、見覚えがあった。忘れもしない。たった一日会っただけ、会話も出来なかった相手だけれど、忘れられるはずがなかった。あの時全身の力が抜けきって侵されていた体は、まるで完治したのか自立している。思わず感動の言葉が漏れそうだったのを塞き止めたのは――彼の、背中に背負われている大剣に気付いてしまったから。
「……ナマエ? ……クラウドも、どうかしたの?」
ティファの声にはっと意識を取り戻す。止まっていたらしい呼吸を慌てて整えながら、彷徨う視線を何とか相手へと向ける。激しく高鳴る鼓動を抑えつけるように胸に手を当てて、頬筋をあげた。
「……初めまして、かしら」
「あ、ああ。……クラウドだ」
「……ナマエよ。ティファにはお世話になっているわ」
「逆! 私がナマエにお世話になってるの!」
初めまして、らしい。初対面ではないけれど、恐らくあの時の状態を考えれば、記憶が混濁していても可笑しくない。でも、どうして。ねえ、どうしてバスターソードを背負っているの? それは――ザックスの剣じゃないの?
「あのね、クラウドはこのスラムに来たばかりなの。なんでも屋を営んでいこうってことなんだけど、やっぱりナマエの力が必要かなって」
なんとか、ティファの言葉を耳へ入れて、脳へと届ける。気になることがあり過ぎて、聞きたいことも山ほど積み重なっていて、整理するのに時間が掛かった。
「なんで必要なんだ」
こちらが口を開くよりも先に、クラウドが片足に重心を預けながら手を腰に当てて小首を傾げる。恐ろしく整った美形の顔立ちは無表情で、ザックスとはまるで違っていた。一緒なのは、あの時と変わらない制服と魔晄を浴びた瞳。そして、大剣バスターソード。
「ナマエもね、ゼネラル・ストアを営んでいるの。クラウドの先輩ってこと!」
「スラム生活もってことか」
「そう! 七番街以外での交流もたくさんあるし、私よりもご縁を広げるには最適でしょ?」
「なるほどな。一理ある」
青と緑が入り混じったターコイズブルーの奥が星の瞬きで輝いている。無性に切なくなって誤魔化すように瞼を閉じ、あえてゆっくりと立ちあがった。
「看板を出しているわけじゃないの。ただ、色々お手伝いをしていたら周りが立ち上げただけの名前よ。生業にしてるわけじゃないから、お役に立てるかは分からないわ」
「皆、ナマエを頼りにしてるんだから! こう見えて腕だって立つんだからね?」
「俺よりも?」
「どうだろ」
あまり、その瞳で見つめないでほしいわ。誤魔化すように視線を逸らして、ティファの言葉を引き出させる。
「それで? 私は何をすれば良いのかしら」
「うん! 二人には、JSフィルターの交換をお願いしたいの。集金はクラウド」
「は? 揉め事がないなら俺の出番はない」
「踏み倒す気満々の人もいるんだ。ね、お守りがわり」
「……こっちだって強いんだろ。だったらお守りもいらないはずだ」
一瞥される瞳に苦笑が零れる。なんでも屋をしていきたいのに早速お仕事の選り好みとは肝が据わっているというか、我が儘というか……。揉め事専門にしたいってことはよほど腕に自信があるみたい。そのバスターソードを、使うのかしら……。
「ご縁は大事よ、クラウド。一人、二人と助けていけばそこから話が広がって、ゆくゆく探さなくても仕事が舞い込んでくるようになるわ。私のようにね」
私の場合は、仕事って感覚はないのだけど。いつの間にか今の状況が出来ていただけだしね。クラウドもどうやら渋々ながら納得してくれたらしく、二人でセブンスヘブンを出る。ティファは開店準備が間に合わないため来られないようで、顧客名簿だけを手渡された。むしろ来なくていいから、ほんの少しでも休んでほしいものだわ。
「あんた、いいのか」
「いいのかって?」
「一応同業者ってことになる。客を獲られて困るのはそっちだろ」
獲られる前提の話に、思わずくすりと笑みが零れてしまう。それが癇に障ったのか、無表情を貫いていた端正な顔立ちが僅かながら歪んだ。慌てて首を横に振って、弁解をする。
「さっきも言ったけれど、生業にしているわけじゃないのよ。報酬だって先方のお気持ちだけだから、無償のことだって多いわ」
「無償? それでいいのか」
「私の場合はね。元々、ゼネラル・ストアを経営するつもりはなかったもの。ただ……」
はっと口を閉ざす。私の話なんてどうでもいい。今はクラウドのことを少しでも知りたい。
「ねえ、私も聞きたいことがあるの。いいかしら」
「なんだ」
「……アナタのその大剣って、誰か」
「ッぐ――!」
「クラウド?」
途端、クラウドが先程よりも明瞭な表情で苦し気に歪み、頭痛がするのか手は頭部をおさえていた。ふらつく身体を支えようと手を添える。何度か声を掛けると次第に痛みが引いたのか、すうっと元通りになった。
「頭痛いの?」
「……なんでもない。……で、なんだ?」
「え?」
「なんか聞こうとしてただろ」
「……」
聞こえていなかった? 誤魔化そうとしているようには、見えない。次になんて問いを投げかければ良いのか戸惑って、なんでもないわと曖昧に笑って誤魔化した。
「早速一人目のお客さんよ。アイテム屋さんなの。入りましょ」
「ああ」
先を歩んだクラウドの背中。最後に目にした時よりも酷く傷付いている刃に、吐息が震えた。
「ナマエさんっ今日も来てくれたんだ! ……あれ、そいつは?」
「今日はティファの代わりに、JSフィルター交換に来たの。集金係は彼、クラウドね」
「……アンタ、うまいことやったな。その役目代わってくれよ」
「あんたには無理だ」
「ぁあ?」
今のはクラウドが悪い。恐らくは揉め事があった時も含めて無理だ、と発言したのだろうけれど、言葉があまりにも足りずにアイテム屋さんは目尻を立てて低い声を発する。幸先が悪いわね。
「彼、なんでも屋さんなの。昨日みたいに倉庫の整理が必要な時は、やっぱり男手のほうがスムーズに仕事が終わるわよ?」
「や、そ、そんなことは……!」
「私がいない時は、是非クラウドをよろしくお願いするわ」
「え、えぇえ……? ナマエさんが、言うなら、考えとくよ……」
「ありがとう。また帰りに買い物させてもらうわね。じゃあこれで」
踵を返すとクラウドも無言で着いてくる。お店を出てすぐに振り返る。
「クラウド、もうちょっとだけ愛想良くできないかしら。あのアイテム屋さんは結構オマケもしてくれるイイ人なのよ?」
「オマケ目当てで? 有り得ない」
「ふふ、そうね。さっきも印象悪かったもの」
「お互いにな」
「そうかも」
次は――マーレさんのところだ。