休日の日照り
その日、ナマエは自転車を飛ばして海辺を走っていた。潮風は心地良く思わず目を瞑りそうになって慌てて前を向き直す。後部へ固定したクーラーボックスが振動でかたんと揺れる。同時に、背中に背負っていた袋もまた震えた。
休日である今日、ナマエは釣りに出かけていた。父親の趣味から始まったのだが、これがまた面白いのだとハマってからは熱中してしまうものだった。静かに待つ時間はさざ波を楽しむ時間でもあり、心の癒しなのだ。それで釣れようものなら、達成感がある。
「今日はいい天気だし、何匹釣れるかしら」
自転車を止めて、準備をする。釣り糸を垂らして、ぼうっと空を見上げた。ゆっくりと動く雲が心を穏やかにして、肌を擽る風が擽ったい。竿は動くそぶりを見せず、次第に眠気が襲ってくる。忘れた頃にぴくりと手の中で振動が伝わってきて、慌てて立ち上がった。
まだ見えない魚とのやり取り。決して重くない感触だけれど、何だろう。そんなワクワク感も溢れてきて、ナマエは手を動かした。手元へ姿を表した魚影に、釣り糸を手繰り寄せる。
「1匹目はアジかぁ」
「いやぁ、こいつぁ美味しそうだ」
「……こら」
横からひょっこりと顔を出してきた姿に、ナマエは呆れたように半目で横の男を小突く。ははっと綺麗に笑ったその男は、ナマエのクーラーボックスを開けた。
「最近来てなかったみたいだから、俺嫌われたのかと思いましたよ」
「嫌いになることしたのかしら?」
「いや? してない……あれ、してないですよね?」
「なんで私に聞くのよ、もう」
くすくすと笑っている間に、仙道はしゃがみこんだままクーラーボックスの中にアジを入れた。そのままナマエを見上げる。
「まだバスケ部に?」
「ううん。今は野球部のヘルプに入ってるの」
「生徒会じゃないんでしたっけ」
「やりながら、他のお手伝いも少しだけね」
「へぇ、凄いなぁナマエさんは」
隣に改めて腰を下ろしてエサを取り付ける仙道を、ナマエは横目で見た。のんびりとしている仙道が、あんなに激しい試合をした相手とは到底思えない。こういうのを二面性というのだろうか。そういえば、流川もマイペースだが、試合の時だけは違う。少し、似ていると思った。
「熱い視線で溶けちゃいそうなんですけど、ナマエさん」
「なら太陽でも溶けるでしょうね、仙道くん」
「手厳しいなぁ」
ぽちゃん、と再び沈んでいく。釣り竿を手にしたまま、目を瞑って大きく息を吐いた。仙道がいると、不思議と試合を思い出してしまう。言葉にするのは大変なほど、白熱した試合。
「バスケって、面白い?」
「ん〜? まあね」
「この間の練習試合、仙道が楽しそうに映ったわ」
「はは。あいつらが可愛く見えてきましてね」
桜木と、流川のことだろうか。ダブルマークがついてから、仙道の口角が上がっていたのだ。なるほど、コウハイの姿に期待してくれたのかもしれない。
「あの2人は練習頑張ってます?」
「桜木と流川のことでしょう? そうみたい。赤木が偶に話してくれるわ」
「へぇ、こりゃ楽しみだなぁ。湘北と当たった時は見に来てくださいよ、ナマエさん」
「……」
「なんですか?」
「ううん。似た言葉をこの間も聞いたから。……あ、きた!」
掌から引っ張られる強い力。竿がしなり、水面が揺れる。ナマエは立ちあがって、竿を引き寄せながらリールに手を掛けた。激しく揺れ始める糸に、これは大物だと力を籠める。
「こりゃあ大きいですね。キスも付いてるけど、カレイか」
「夕飯楽しみ! 仙道、ヘルプヘルプ!」
「はいはい」
仙道の腕が伸びて、2匹のキスと1匹のカレイが新たにクーラーボックスへ加わった。ここで4匹とは、上々ではないだろうか。ナマエは満足げに頷く。
「ねえ、ナマエさん。あの流川ってヤツとどういった関係なんですか」
「え、流川?」
意外な問いに、ナマエは目を丸めた。対して仙道は変わらぬ笑みを浮かべたままだ。小さく頷いて、自分の竿を再び手にする。視線はこちらを向いたままだった。
「アイツ、俺にガンつけてきたんですよ」
「あぁ、試合に負けて悔しいのよ。流川はバスケに熱い思いあるみたいだから」
でなければ、あれほど自主練もしないだろうし、直向きに食ってかかったりしないであろう。それ故にあのプレイが出来るのかもしれない。バスケに詳しくなくても、流川の動きがいかに凄いかくらいは分かる。
「あれ、もしかして気付いてない?」
「気付いていないって……何が?」
「だってアイツ……。うーん、ま、いいか」
仙道は瞼を閉じて、微かに流川へと同情する。決してこのナマエが鈍感だとは言わないが、あの時に邪魔をしてきた理由を理解されていないのはどこか可哀想に思えた。単純に自分に敗北したからではない。自分がナマエと楽しそうに会話をしていること自体が、気に食わなかったのであろう。
「で?」
「でって……先輩と後輩?」
「だけに見えなかったから聞いているんですけどね。意地悪してます?」
「してません。偶に流川の練習に付き合っているくらいだと思うけれど」
「へぇ? アイツ、そういうの嫌いそうに見えるけどなぁ」
確かにとナマエは思った。流川はチームでどうこうと言うよりも個人プレイを好むタイプだ。個人練習でも、誰かを誘っているのは見たことがない。どうしてバスケに精通していない自分が、流川の練習に付き合い始めたのだろうかと今更に疑問を抱いていた。
「俺もナマエさんに手伝ってもらいてぇなぁ」
「学校違うでしょ」
「違くたっていいじゃないですか。ほら、午前中に練習して、そのままデートなんてどうです?」
「どうです? じゃ、ありません」
「ちぇっ、つれないなぁ」
「魚も釣れないものね、仙道は」
「全然上手くないですからね。ったく、傷つくぜ」
傷つく、と言っているような男の顔ではない。飄々とした笑みを浮かべたまま、仙道は小さく欠伸をもらした。未だに、彼の竿は揺れない。
「あの後、俺たちのこと聞かれませんでした?」
「ばっちり聞かれた」
「はは、でしょうねぇ」
あれだけ仙道が気軽に声を掛けてきたのだ。帰り道に質問攻めにあったのは事実であった。どういう関係なのか、親しげだったが友人なのか。主に彩子からの質問攻めが激しかったのは言うまでもない。
「釣り仲間って答えておいたわ」
「釣り仲間かぁ」
「間違ってないでしょう?」
面白くないなぁ、と仙道はそれでも笑う。更に大きな欠伸を溢した後に、横目でじっとりとナマエを見つめた。
「彼氏って伝えてもらっても良かったんですけど」
「あのねぇ、彼氏じゃないでしょう。ほんっと、口が達者なんだから」
仙道の欠伸が移ったのか、ナマエの口もくわぁと開いて欠伸が漏れる。この穏やかな空間は、家では味わえない。釣りっていいなぁと首を回した。
「ちぇ、全然相手にされてねぇーや」
「本気度が伝わってこないのよ、仙道」
「お、それは許可を出してくれているって捉えていいんですか?」
「何の許可?」
「そりゃあ……キスかなぁ」
仙道の瞳は、何を考えているのか分からない。そう言ったところも、似ている男がいるなぁとナマエは肩をすくめた。
「頬でも叩いた方がいいかしら」
「照れたりしないもんなぁ、ナマエさんって」
「乙女じゃなくてごめんなさいね」
「いや、そこまでは言ってないっす」
ぴくり、とここで初めて仙道の竿が弧を描く。どうやらボウズで帰ることは避けられそうである。仙道はのんびりと竿を引き寄せた。魚影は、見えない。
「……あれ」
「今日は不調みたいね」
「こっちもそっちも、釣れねえなぁ……つまんねぇの」
ちぇ、とエサを付けなおす仙道にナマエはくすくすと笑みをこぼす。そして、自身のカバンの中からドリンクを取り出して仙道へ渡す。きょとんとした仙道を可愛いと思ってしまい、ナマエはまた静かに笑った。
「さんきゅ」
「何にも釣れない仙道へせめてもの情けよ」
「……いつになく厳しいなぁ」
帰るかぁと仙道が片づけをし始めたのを見て、ナマエもまた荷造りを始める。
「ね、ランチくらい行きましょーよ」
「そうねぇ、お腹すいたし。リードお願いしてもいいかしら、仙道?」
「はは、もちろん。荷物も持ちますよ」
「ありがとう」
休日である今日、ナマエは釣りに出かけていた。父親の趣味から始まったのだが、これがまた面白いのだとハマってからは熱中してしまうものだった。静かに待つ時間はさざ波を楽しむ時間でもあり、心の癒しなのだ。それで釣れようものなら、達成感がある。
「今日はいい天気だし、何匹釣れるかしら」
自転車を止めて、準備をする。釣り糸を垂らして、ぼうっと空を見上げた。ゆっくりと動く雲が心を穏やかにして、肌を擽る風が擽ったい。竿は動くそぶりを見せず、次第に眠気が襲ってくる。忘れた頃にぴくりと手の中で振動が伝わってきて、慌てて立ち上がった。
まだ見えない魚とのやり取り。決して重くない感触だけれど、何だろう。そんなワクワク感も溢れてきて、ナマエは手を動かした。手元へ姿を表した魚影に、釣り糸を手繰り寄せる。
「1匹目はアジかぁ」
「いやぁ、こいつぁ美味しそうだ」
「……こら」
横からひょっこりと顔を出してきた姿に、ナマエは呆れたように半目で横の男を小突く。ははっと綺麗に笑ったその男は、ナマエのクーラーボックスを開けた。
「最近来てなかったみたいだから、俺嫌われたのかと思いましたよ」
「嫌いになることしたのかしら?」
「いや? してない……あれ、してないですよね?」
「なんで私に聞くのよ、もう」
くすくすと笑っている間に、仙道はしゃがみこんだままクーラーボックスの中にアジを入れた。そのままナマエを見上げる。
「まだバスケ部に?」
「ううん。今は野球部のヘルプに入ってるの」
「生徒会じゃないんでしたっけ」
「やりながら、他のお手伝いも少しだけね」
「へぇ、凄いなぁナマエさんは」
隣に改めて腰を下ろしてエサを取り付ける仙道を、ナマエは横目で見た。のんびりとしている仙道が、あんなに激しい試合をした相手とは到底思えない。こういうのを二面性というのだろうか。そういえば、流川もマイペースだが、試合の時だけは違う。少し、似ていると思った。
「熱い視線で溶けちゃいそうなんですけど、ナマエさん」
「なら太陽でも溶けるでしょうね、仙道くん」
「手厳しいなぁ」
ぽちゃん、と再び沈んでいく。釣り竿を手にしたまま、目を瞑って大きく息を吐いた。仙道がいると、不思議と試合を思い出してしまう。言葉にするのは大変なほど、白熱した試合。
「バスケって、面白い?」
「ん〜? まあね」
「この間の練習試合、仙道が楽しそうに映ったわ」
「はは。あいつらが可愛く見えてきましてね」
桜木と、流川のことだろうか。ダブルマークがついてから、仙道の口角が上がっていたのだ。なるほど、コウハイの姿に期待してくれたのかもしれない。
「あの2人は練習頑張ってます?」
「桜木と流川のことでしょう? そうみたい。赤木が偶に話してくれるわ」
「へぇ、こりゃ楽しみだなぁ。湘北と当たった時は見に来てくださいよ、ナマエさん」
「……」
「なんですか?」
「ううん。似た言葉をこの間も聞いたから。……あ、きた!」
掌から引っ張られる強い力。竿がしなり、水面が揺れる。ナマエは立ちあがって、竿を引き寄せながらリールに手を掛けた。激しく揺れ始める糸に、これは大物だと力を籠める。
「こりゃあ大きいですね。キスも付いてるけど、カレイか」
「夕飯楽しみ! 仙道、ヘルプヘルプ!」
「はいはい」
仙道の腕が伸びて、2匹のキスと1匹のカレイが新たにクーラーボックスへ加わった。ここで4匹とは、上々ではないだろうか。ナマエは満足げに頷く。
「ねえ、ナマエさん。あの流川ってヤツとどういった関係なんですか」
「え、流川?」
意外な問いに、ナマエは目を丸めた。対して仙道は変わらぬ笑みを浮かべたままだ。小さく頷いて、自分の竿を再び手にする。視線はこちらを向いたままだった。
「アイツ、俺にガンつけてきたんですよ」
「あぁ、試合に負けて悔しいのよ。流川はバスケに熱い思いあるみたいだから」
でなければ、あれほど自主練もしないだろうし、直向きに食ってかかったりしないであろう。それ故にあのプレイが出来るのかもしれない。バスケに詳しくなくても、流川の動きがいかに凄いかくらいは分かる。
「あれ、もしかして気付いてない?」
「気付いていないって……何が?」
「だってアイツ……。うーん、ま、いいか」
仙道は瞼を閉じて、微かに流川へと同情する。決してこのナマエが鈍感だとは言わないが、あの時に邪魔をしてきた理由を理解されていないのはどこか可哀想に思えた。単純に自分に敗北したからではない。自分がナマエと楽しそうに会話をしていること自体が、気に食わなかったのであろう。
「で?」
「でって……先輩と後輩?」
「だけに見えなかったから聞いているんですけどね。意地悪してます?」
「してません。偶に流川の練習に付き合っているくらいだと思うけれど」
「へぇ? アイツ、そういうの嫌いそうに見えるけどなぁ」
確かにとナマエは思った。流川はチームでどうこうと言うよりも個人プレイを好むタイプだ。個人練習でも、誰かを誘っているのは見たことがない。どうしてバスケに精通していない自分が、流川の練習に付き合い始めたのだろうかと今更に疑問を抱いていた。
「俺もナマエさんに手伝ってもらいてぇなぁ」
「学校違うでしょ」
「違くたっていいじゃないですか。ほら、午前中に練習して、そのままデートなんてどうです?」
「どうです? じゃ、ありません」
「ちぇっ、つれないなぁ」
「魚も釣れないものね、仙道は」
「全然上手くないですからね。ったく、傷つくぜ」
傷つく、と言っているような男の顔ではない。飄々とした笑みを浮かべたまま、仙道は小さく欠伸をもらした。未だに、彼の竿は揺れない。
「あの後、俺たちのこと聞かれませんでした?」
「ばっちり聞かれた」
「はは、でしょうねぇ」
あれだけ仙道が気軽に声を掛けてきたのだ。帰り道に質問攻めにあったのは事実であった。どういう関係なのか、親しげだったが友人なのか。主に彩子からの質問攻めが激しかったのは言うまでもない。
「釣り仲間って答えておいたわ」
「釣り仲間かぁ」
「間違ってないでしょう?」
面白くないなぁ、と仙道はそれでも笑う。更に大きな欠伸を溢した後に、横目でじっとりとナマエを見つめた。
「彼氏って伝えてもらっても良かったんですけど」
「あのねぇ、彼氏じゃないでしょう。ほんっと、口が達者なんだから」
仙道の欠伸が移ったのか、ナマエの口もくわぁと開いて欠伸が漏れる。この穏やかな空間は、家では味わえない。釣りっていいなぁと首を回した。
「ちぇ、全然相手にされてねぇーや」
「本気度が伝わってこないのよ、仙道」
「お、それは許可を出してくれているって捉えていいんですか?」
「何の許可?」
「そりゃあ……キスかなぁ」
仙道の瞳は、何を考えているのか分からない。そう言ったところも、似ている男がいるなぁとナマエは肩をすくめた。
「頬でも叩いた方がいいかしら」
「照れたりしないもんなぁ、ナマエさんって」
「乙女じゃなくてごめんなさいね」
「いや、そこまでは言ってないっす」
ぴくり、とここで初めて仙道の竿が弧を描く。どうやらボウズで帰ることは避けられそうである。仙道はのんびりと竿を引き寄せた。魚影は、見えない。
「……あれ」
「今日は不調みたいね」
「こっちもそっちも、釣れねえなぁ……つまんねぇの」
ちぇ、とエサを付けなおす仙道にナマエはくすくすと笑みをこぼす。そして、自身のカバンの中からドリンクを取り出して仙道へ渡す。きょとんとした仙道を可愛いと思ってしまい、ナマエはまた静かに笑った。
「さんきゅ」
「何にも釣れない仙道へせめてもの情けよ」
「……いつになく厳しいなぁ」
帰るかぁと仙道が片づけをし始めたのを見て、ナマエもまた荷造りを始める。
「ね、ランチくらい行きましょーよ」
「そうねぇ、お腹すいたし。リードお願いしてもいいかしら、仙道?」
「はは、もちろん。荷物も持ちますよ」
「ありがとう」