そして、飛躍していく | ナノ

拭う汗。困惑の塩味

「んもう。流川って意外とお子さまなのね」
「む。あれはどあほうが悪い」
「確かにそうだけど、手を出した流川も悪い」

むすっ……。僅かだが、男は口を尖らせていた。

今日も基礎練習に励む湘北バスケ部。
シュートの練習をするために、赤木は初心者である桜木のためにと、フォームが整っている流川に手本を依頼した。ランニングシュートを軽やかに熟す姿に、ナマエは帰路でのことを思い出してふと目を逸らす。そうでもしないと、脳裏に真っ直ぐな瞳が浮かんで仕方がなかった。

指導を受けている桜木は、この流川のシュートをあれやこれやの手で妨害。さすがの流川も苛つきを抑えられずに反撃。当然、赤木が鉄拳を下すのは早かった。体育館の隅で見学を命じられたが、部活が終わった後に鬱憤を晴らすように、出来なかった時間を取り戻すように居残り練習を流川はする。

「はい、次!」

そんな彼に、ナマエはボールをパスし続けていた。帰ろうとした所を引き留められたのだ。「今日付き合って」と伝えるだけ伝えて、流川は踵を返して練習へと戻ってしまった。とくり、と胸が跳ねたのを誤魔化すようにナマエは背中へと大きく頷いたが、考えてみなくても2人きりだ。先日のこともあって少しだけ、居心地が悪かった。

「もっといける」
「分かった」

大きなコンパスの範囲内にパスをしていたが、遠方にボールを投げると軽やかに流川の体が動く。あれだけ身長があるのにここまでフットワークが軽いと驚かざるを得ない。長い腕を伸ばしてボールを掴み取ると、そのまま流れるようにシュートへと運ぶ。まるで、筆で風の動きを描いたかのような流暢な動作に、感動さえする。

「ナマエセンパイ、ちょうだい」
「ええ。取り逃がさないでね?」
「余裕だっての」

ダムッ
ボールを更に遠くへ飛ばす。バッシュがコートを蹴る音が心地良い。そんな練習を、気付けば1時間もしていた。タオルを手渡しに行くと思っていたよりも汗だくである。流川も、何故かナマエも。

「パス出していただけなのに、私まで汗かいちゃった」
「ナイスパス」
「ふふっ」
「?」
「どんなボールでも取ってくれるから、なんだか楽しくなっちゃって!」

10分前には、疲労を感じたナマエの手元が狂ってあまりに壁際へ飛ばしてしまったが、これすらをも流川は手にしてダンクシュートへ持っていったのだ。感動せずにはいられなかった。

にこやかに笑うナマエの額にも汗が煌めく。じっと流川はそんな姿を見つめて、見つめて、見つめて、ようやく動いた。

「んっ…?」

自身のタオルを手にして、額の汗を拭ってあげてみる。小さく漏れた声とびくついた体だったが拒絶はされない。流川は何度か手を動かす。額から頬に流せば、ナマエは目を瞑っていた。タオルが目に入らないようにとしていたのだろう。

「…………」
「…? 流川?」

流川の手が止まる。タオル越しの手は頬に触れていて、ナマエはどうしたのかと瞼を開く。じっとこちらを凝視する存在に首を傾げた。無言で見つめてくる端正かつ無表情なそれにじわりじわりと、忘れていた羞恥心が込み上げてくる。だが、目を逸らせない。

「……」
「あの、流川」
「黙って」

唇が、微かに開いたまま止まる。張りつめる緊張感と羞恥心に心臓が飛び跳ねそうになっていた。あの夜のように逃げてしまえばいいのに、流川の細い瞳から逃れることが出来ない。次第に、距離が縮まっていく。

タオル越しに頬を上へと向けられて、遂には唇が重なった。柔らかく重ねるだけの口付け。触れる唇がじわじわと熱を帯びていく。上から覆いかぶさるように口付けてきた流川の頬から、汗が唇へと浸透していった。

「……着替えてくる」

頭がぐわんぐわんと揺れる。流川が体育館から離れ、広いコートに1人だけ残された。あれだけ激しい音を発していたはずの空間が静寂に呑まれ、尚更意識をしてしまう。

今、何をされたのか。認識すればしようとするほどに、唇が震えて、頬が次第に熱を帯びていく。目の前に降りた影が、瞳が、触れた唇が、現実なのだと突き付けてくる。慌てて口元を抑えた。

「……は……え……?」

あれは本当に流川だったのだろうか。実は偽物だったのではないだろうか。それさえ考えさせられる。けれど、直前まで練習をしていたのは紛れもない本物である。何か気に障ったのだろうか、それとも実は熱でも出ていたのではないだろうか。

「……なに、あれ……」

女子に、興味がないのではないのか。バスケと睡眠にしか、興味がなかったのではないのか。それとも、流川の言葉通りに、自分にだけ興味があるとでもいうのだろうか。興味で流川はキスをする人間なのだろうか。流川は、自分を好きだというのだろうか。そんな仕草一切見せていないのに。そもそも、出会ってそんなに経っていないというのに。

ナマエはぐるぐると頭の中で考える。いくら勉強や生徒会の仕事で使った頭でも、恋愛で使った経験は多くない。すぐにばふんっとパンクをして、今更ながらに力が抜け落ちた。冷たいコートが、ゆっくりと熱を奪っていく。暫く呆然としていると、体育館の扉が開かれて反射的に体が跳ね上がった。

「……帰る」
「……」

いつも通りの表情、いつも通りの声色、いつも通りの態度。ここまで流川楓という人間が分からなくなったことはない。ナマエは座り込んだまま、巨大な影を見上げた。


* * *


暗くなった道を、流川が自転車を押しながら隣をナマエが歩く。ここ数日、時折見かける光景である。いつもであれば眠そうに瞼をほとんど閉じている流川と、そんな彼に話しかけるナマエの姿があるはずだった。
当然、先程の口付けを受けてナマエも気軽に声を掛けられるほど図太くない。

「……ねえ、流川」

図太くはないが、内へ秘めて悩むほどの繊細さも持っていなかった。

「なんで、キスしたの」
「……?」

真っすぐに流川の視線を見ることは出来ないが、それでも直接的に流川に問う。足を止めたナマエに合わせて、流川も欠伸を漏らしてその足を止めた。じっと、こちらを見ないナマエを見下ろす。

「……なんで?」

がくっと、肩を落としそうになるのを堪える。この短期間で、次第に流川が分かってきたと思ってはいたが、それでもマイペース過ぎる。人様にキスをしておいて何故理由を聞かれて首をかしげる男がいるのだろうか。

「アナタ、女の子を襲うのが実は好きですーってタマじゃないでしょう?」
「たりめーだ」
「なんでそこは即答するのよ……」

思わずはぁ、と大きな溜め息を吐いて呆れかえる。先程までの全てを返してほしいほどに、不思議と脱力してしまった。

ナマエは、クラスの女子と比較しても乙女思考ではなかった。キスをされてときめきはしたが、それをずるずると引きずるようなタイプではなかった。起こったものは仕方がないと、ある意味諦めに入っている。

「まぁ、いいわ。今日は許してあげるけど、ああいうこと、簡単にしちゃダメよ?」
「……」
「勘違いされて、ちやほやされたいなら別だけどね」

短く告げて、ナマエは手を挙げた。いつもこの坂の上で別れるのである。一歩踏み出しても、自転車のライトが動くことはない。背中に流川の声が掛かることもなく、ナマエは家への曲がり角を曲がって、勢いよく走りだす。雑念を振りら払うように。

「どあほう……」

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