そして、飛躍していく | ナノ

絞り出した言葉

バスケ部の臨時マネージャーとなっても、生徒会執行部の仕事がなくなるわけではない。ナマエは合間合間の時間を使って、今年度の各部予算案の集計に入っていた。例年通り、サッカー部や野球部への入部が多い。他所での遠征も多く、必然的に費用がこちらに傾くのは仕方なかった。

しかし、文化部である吹奏楽部もまた中々必要経費が多い。コンクールや演奏会になればトラックを借りなくてはならない。全国区へ行けるほどの強豪ではないが、やはり機会は多い。元々、去年予算は立てていたが、その微調整は難しいものだった。

「例年のを調整して仮案としては出せそうね。……んーっ、もう帰ろ」

1人生徒会室に残っていたナマエは、外が暗くなったことに気付き席を立つ。窓の戸締りをしっかり確認してから部屋の鍵を閉め、職員室へと向かった。既に教職員は3名と少なかったが、デスクに向かって仕事をしているようだった。

「お疲れ様です、先生方」
「おお、ミョウジ。まだ帰っていなかったか」
「今生徒会の仕事が落ち着いて。鍵、ありがとうございました」
「ああ、かけておいてくれ」
「はい」

湘北では、生徒会室に金庫もある。そのため鍵は職員室で厳重管理することになっている。その金庫も、一部の教員と生徒会長、生徒会副会長そして会計長にしか知らされていない。現在後者を2つの役職を兼任していることもあり、責任も重大であり、必ず教師に鍵を手渡しをしないといけないのだが……今日は忙しそうである。

ナマエは別れの挨拶をして教室から出た。そのまま足は校門へと向かったのだが、ふと体育館から漏れている明かりに気が付いて足を止める。今日の部活は既に2時前に終了しているはずなのに。まだ残っている部員がいるのだろうか。

当然、気になって仕方のないナマエの足はUターンをして体育館へと向かっていた。扉越しに聞こえるキュッキュッ、ダムダムという音で中に練習熱心な部員もいるものだと笑みがこぼれた。そうしてゆっくりと扉を開けると――

「ぁ……」

目を、奪われた。

しなやかな肢体が宙を舞い、黒い短髪が揺れ動き、鋭い眼光は前方へ。大きな手に収められたボールは勢いのままにリングへと叩きつけられ、ガゴンッと揺れ動く。重力をもろともせずに、両足でしっかりとコートに足をついた男は、長く細い息を吐いた。

あれが、流川楓。
ナマエは自分自身の呼吸が一瞬とはいえ止まっていたことに驚く。こんなに美しいバスケを見たのはいつぶりだろうか。迫力があるだけではない。綺麗なフォームに、着地。目を奪われない方がおかしい。

「……ナマエセンパイ?」
「る、流川……まだ自主練してたのね」
「センパイこそ、部活終わった」
「私は生徒会の仕事でね」

声を掛けられてはっとする。慌てて笑みを浮かべて、手を振った。汗を拭った流川は、ゆっくりとした足取りで近付く。その間にも、止めどなく汗は流れ続けていた。

「こんな時間まで?」
「それは私のセリフ。流川だって、こんな時間までやってたの?」
「やっぱ忙しい、んスか」

こらこら、私が質問しているでしょうに。と言いたくなるのを堪えながら、ナマエは苦笑した。この流川なりに心配してくれているのかもしれないと察したからだ。

彩子とカフェに行った際に、流川という男がいかにバスケ以外への興味関心を示さないかは、耳にタコができるぐらい聞かされた。だからこそ、ナマエと会話をしていた姿に驚きを隠せなかったらしい。そういえば、木暮や赤木も驚いていたなぁと思い出す。

ナマエからすれば、確かに無口ではあるが彩子がいうほどには感じていなかった。恐らく、初対面が初対面だからかもしれない。

「各部活の予算案を決めないといけなくてね。今だけよ。平気」
「……帰る?」
「ええ。流川はまだ残ってるのかしら」
「俺も」
「え? でも練習……あ、流川?」

短く。伝えるだけ伝えて踵を返す流川。これをナマエが慌てて引き留めようとするが、もはや流川が足を止めることはなかった。どうすればいいのか分からないまま、ここで帰るのも薄情かと考えて、カバンを抱きながら結局待つこととなる。

10分もしないうちに流川は戻ってきた。またもや短く「チャリある」と肩にかけていたカバンを引っ張られる始末。彩子から聞いていた人物像と全然違うことに戸惑いを感じながらも、後輩の可愛い姿にくすりと笑みがこぼれた。途端、細い瞳がこちらを一瞥したのには気が付かない。

流川はいつもの自転車を引っ張り出すと、そのまま押して歩きだす。隣をナマエも進んだ。

「家どこっすか」
「あっち側。坂を上った所にあるの。流川は?」
「……」
「って、あら」

何を言わずに進む流川。同じ方向が家だ、ということなのだろうか。ナマエは分からないながらもその隣へと再び歩を進めた。長い流川の足に追いつくのは大変で、短い足を何度も何度も、流川の倍動かす。しかし坂道は中々に辛く、ナマエは我慢をする女ではなかった。

「流川、ちょっとペースダウンしてちょうだい」
「む?」
「コンパスの長さを一緒にしないの」
「コンパス?」
「歩幅!」
「……ああ」

ちらり、と視線が下へと下がり納得したように頷かれては、正直悲しいものがあるが……。言いたいことを理解してくれたのか、途端、流川の歩は緩い速度へと変化する。「ありがとうね」とお礼を告げれば「別に」と返ってきた。

のんびりと夜道を2人で歩く。街灯によって生まれる影はやけに長く、流川のは格段だった。何か気の利いた発言でも出来ればよいのだろうが、当然流川にはそのような思考はなかった。ただ静かに歩くだけ。時々隣から聞こえる声に耳を傾けていた。不快はない。

「あ。そういえば」
「?」

静寂を破ったのは、またもやナマエである。視線だけを向けると、何故かにやにやと目を細めていた。初めて見る表情、脈絡のない変化に言葉を待っていると。

「流川、早速告白されたんですって?」
「……コクハク?」
「二年生に告白されたの、断ったって有名になってるわよ」
「……? ……。……ああ」

流川は珍しく懸命に思い出した。結果、部活に行こうとしたのを邪魔してきたとある存在を思い出す。確か、屋上から出ようとしたところを扉の前で塞がれて、何やらもじもじと発言していた。中学のころから似たような言葉ばかりを聞いていた気がする。思い出したくもないが、そういえばそうだった。

「ああって……興味なさげじゃない」
「ないんで」
「彩子ちゃんの言っていた通りね」

本当に興味ないんだ、とナマエはつまらなさそうに口を尖らせる。それをじっと流川に見つめられていることにすぐ気が付いて、肩をすくめた。

「もしかして、年上に興味ないとか?」
「そーゆー訳じゃ……」
「ん?」

ふ、と流川は口を閉ざす。自分はどうしてこの人と一緒に下校しているのだろうかと、不意に考えた。いつものように本能のまま動いていたら、こうなっていた。

流川には分からない。この人を、なぜ他の女生徒と同じようにあしらわなかったのか。迫られていないから? 臨時とはいえマネージャーだから? 例えば、もはや顔も覚えていない呼び出してきた女子生徒だったとしても、同じようにするのか。流川は考えるが、分からない。

「……センパイには」
「私?」
「センパイには、興味ある」
「え……」

足を止めて、バスケ以外では働かない頭を使い考えた言葉がこれだった。ナマエもまた足を止め、驚いたように目を見張る。着実に彩子から聞いていた性格からかけ離れている。

「じゃねーと、わざわざ一緒に帰らん」
「あ……えっと……」
「アンタは、印象的だ」

ぼっとナマエは顔を真っ赤にさせた。知り合って間もないと言えど、ストレートに、このような端正な顔立ちの男性に言われたことはなく、突然羞恥心が込み上げた。しかもじっと視線を逸らさずに告げられ、思わず顔を俯ける。

流川からしてみれば思っていたことを告げただけだった。だが街灯に照らされる、綺麗な髪の下で頬を赤らめたナマエから視線を離せない。絞り出した言葉は単調なものではあったが、心の中では言い表せない多様な感情が渦巻いていた。

「私、家こっちだから。お先に!」

生まれた静寂に負けたのは、勿論ナマエである。顔を赤らめたまま走り出した。とてもではないが、このまま一緒にいては心臓がもたないと判断してである。置いて行かれた流川はぽつんと街灯の光の下に残され。興味があるのだと認識した存在の姿が角を曲がったところで、自転車に跨る。そして、

「……ねみぃ」

踵を返し、上ってきた坂を下った。

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