そして、飛躍していく | ナノ

未来を苦悩する

夏が終わった。
暑苦しい日々が過ぎ去る。同時に時々涼しい風が頬を擽る。各部活から聞こえる声が、少しだけ少なくて寂しい季節。ほとんどが3年生は引退して、2年生が主体となっていた。文化部の一部はまだまだこれからコンクールを控えているのだが、運動部はそのほとんどが切り替えとなっている。そして、3年生は受験へと向き合うのだ。

「で、今日も会議かよ」
「生徒会は文化祭が終わった後に役員選挙だもの。それまでは働くわよ」
「部活のサポートもすんのか?」
「解任まではね。先生方から許可をもらったわ」
「はー、物好きだな。文化祭もそろそろ準備期間だろ」

廊下を三井と歩く。生徒会に溜まった過去のゴミを片付け、焼却炉に行った際に出くわした。何だかんだと処理を手伝ってくれたのだ。

「三井は、冬も出るんだって?」
「ああ。2年無駄にしちまったんだ。少しでも、な」
「受験大丈夫?」
「推薦狙いしかねぇだろ」
「もう。だと思ったけどね」

階段を下り、ふと三井の膝に目がいく。あれだけ苦しんでいた壁を打ち破った底知れない精神力が、少しだけナマエは羨ましくも感じた。

「ミョウジは決まってんのか? 結構有名なクチ勧められてるんだろ」
「え? ちょっと、誰よ。漏らしたの」
「さぁ」
「……盗み聞きしたんじゃないでしょうね」
「しねーよ!!」

三井の迫真の声に思わず笑う。確かにナマエは、都内の有名大学へ進学したらどうかと話を高塙から貰っていた。それを有耶無耶に微笑んで返したのだが、三井に言われてつい考えてしまう。

「私ってさ、特別何かがあるわけじゃないのよ」
「あ?」
「ここだと成績は良いけど、全国レベルで見たらまだまだだし。スポーツも特別できるわけじゃない」

芸術的センスがあるわけでもなければ、何かに熱中できるだけの趣味だって無い。釣りは好きだけど、将来釣り関連なんて考えてもないし。と、ナマエがぽつり、ぽつりと話すにつれて次第に足の動きが止まった。三井は数歩進んだところで止まり、振り返る。

「親はいい大学に行って、それから決めれば良いって。でも、そんな気持ちで専攻するのも憚られちゃって」
「真面目かよ! ……」
「らしくないって分かってるけど。次を決めている子たち見ちゃうと、ちょっとね」

三井は大きく息を吐いて、乱雑に頭を掻く。一度窓の外へと視線を移して、様子を窺うようにナマエへ泳がせると、彼女は俯いていた。いつもの穏やかさも、微笑みもない。夕暮れ時のせいでやけに憂いさを増して、三井は調子が狂うようだった。

「俺にゃ分かんねーけど、……流川には相談したのかよ」
「え、流川?」
「あんなんでも彼氏だろ」

ナマエは目を瞬かせた。流川に話す、その選択肢が一切なかったのだ。けれど、三井の言葉に考えるように口元へと手を当てる。

「……でも、興味ないんじゃないかしら。そういうの」
「ねーだろうけど、ミョウジのことだったらちょっとは考えんじゃね? ちょっとな、ほんのちょっと」

親指と人差し指とで作られた空間はほぼないに等しい。三井はすぐにその手を腰に当てた。

「つーか、大学決めたから人生決まるわけじゃねぇだろ。資格関係だと話は変わるけどよ、取ろうと思えばやり直して取れるだろ」
「そうね……」

適当な大学に入って、適当な学科に入って、適当な企業に入って、それでどうしたいのだろう。ナマエは瞼を震わせながら目を閉じる。こんな話を突然されて、三井も困っているだろうに。止めよう、と口角を無理やり上げて顔を上げると、意外と近い距離に三井が立っていたことに驚く。

「俺と来るか」
「……え?」

大きく、目が見開く。

「俺の目指す大学は、偏差値は全国区でも高いぜ。国際コースってのもあるらしいし、文理どっちも学べたはずだ」
「……三井、アナタ受かるの?」
「だから俺はスポーツ推薦でやるっつってんだろ!」

軽く頭を小突かれて、ナマエは笑顔をふわりと漏らした。無理やり上げようとしていた口角が、すでに自然に向いている。

「ま、お前といるのは楽でいいし、大学生活一緒ってのも悪くねぇ」

考えてみろよ、と手を振られてそのまま三井は立ち去った。大きな背中を見つめて、ナマエはやはり羨ましく感じた。どうして、こう力を与えてくれる人なのだろうかと。

「……話してみよっかな」

今日は、まだ残っているだろうか。ナマエは窓ガラスに手を当てて、体育館をじっと見つめる。


 * * *


体育倉庫へ最後の物品が収納される。体育館の扉が鈍い音で閉じられた。春に来た時よりも音は軽い。以前スプレーをしたのが効果的だったのだろう。ナマエは、チャリを押す流川の隣を歩いた。

2人で、無言で校門を出る。ナマエと家が同じ方面ではないと知った日から、送りは良いと一度断ったが流川が首を横に振った。それからというもの、帰るタイミングさえ合えば以前のように送ってもらっていた。

「あのね、流川」
「…喋った…」
「えっ?」
「今日全然喋らねーから、具合悪いのかと」

勇気を出して声を発すればこれだ。流川なりに気遣ってくれていたらしい。体調不良ではないと、ナマエはすぐに笑いながら首を横に振った。

「む。だったらどうして黙ってんだ」
「なあに、私に喋っててほしかったの?」
「いつもと違ぇと、調子狂う」
「……ふふ。そうね……ちょっと私の話なんだけれど」

ナマエはカバンを肩に掛けなおして、流川を見上げる。当人はいつも通りに表情を変えず視線を落としてくれていた。こうして起きていることだけでも奇跡だというのに、話を聞いてくれるらしい。

「大学をね、何校か先生から紹介はしてもらったんだけど、その先を考えられなくって」
「……」

先程話した通りに、今後の進路について悩んでいることを伝えた。目的を持たずに大学へ行っても良いものか。かといって今からどう自分の将来を決めれば良いのか。一度口にしたことのある言葉は、自然と唇から零れていく。

視界の先に、家へと続く上り坂が見えてきてナマエは足を止めた。やはり、こんな話をしてもどうにもならないのではと今更ながらに思ってしまう。つまらなかっただろうなぁ、とまるで三井の時と同じように無理やり口角を上げようとする自分がいることに気が付いた。

「ごめん。それだけなの。聞いてくれてありがとう」
「……」
「……流川? 目、開けたまま寝てる?」
「どあほう、起きてる」

てっきり、つまらなさすぎて立ったまま寝ているものだと思っていた。ナマエはくすりと笑って、軽く手を横にふらりと振った。口では真剣に言ってしまったが、やはり後輩に進路のことを言っても仕方がないかもしれない。

「あまり気にしないでちょうだい。ちょっと話したかっただけなの」
「……俺は」
「ん?」
「アメリカに行く」

頭を、強く殴られた。
それほどの衝撃だったかもしれない。ナマエは、流川の眼差しを見つめたまま唇が乾燥していくのを感じた。今、目の前の男は何と発したのか。どこへ行くと、告げたのか。数多で理解するまでに時間を要した。

「……アメリカ?」
「そう」
「アメリカって……日本じゃないのは知っているかしら」
「たりめーだ。バカにすんな」

むっと口を尖らせる流川は本物だ。ならば、発した言葉も本物なのだ。ナマエは戸惑いを隠せずに視線を彷徨わせ、落ち着かなく笑みをこぼした。

「あの……初めて聞いた……」
「安西先生以外には言ってねぇ」
「……バスケのため?」
「もっと強く、上手くなりてえ」

ああ、本気なのだと分かってしまえば。どこかすとんと、落ちてしまうところもあって。

「いつ行くか、決まってるの?」
「まだ。行くのは日本一の高校生になってからだ。湘北を、日本一のチームにしてから……俺は行くぜ」

力強いその言葉が、心臓を響かせた。すとんと落ちたのはなぜだろう。流川の気持ちの強さを知っていたからだろうか。バスケへの熱情を理解していたからだろうか。それでも、まさかアメリカだなんて誰も……。

流川の眼差しが強くて、真っすぐで、眩しい。

「……」
「……はは」

眩しくて、少しだけ辛くなった。瞼が熱くなって、流川の瞳を見ていられなくて、視線がみるみる地面へと落ちていった。

「私の方が先輩なのに、流川の方が前へ行っているのね」
「……気力を貰ってんのは俺も一緒だから」
「え?」
「俺だけでも出来るけど、センパイがいればもっと出来る……気がする?」
「…なによ、それ」

流川が手を伸ばして、そっとナマエの掌を握った。自転車が地面へ力強く倒れるのを気にしないまま、その手を引っ張られる。すとんと腕の中に収まったナマエは、瞼を閉じる。そうしないと、今にも涙が出て来そうだった。今日の自分はどうしてしまったのだろうか。感情の揺らぎがコントロール出来なくて、辛い。

「変なことでごちゃごちゃ悩んでんじゃねー」

進路や将来を変なことで片付ける男に、涙を我慢しながら笑わなければならないなんて。器用さがどんどん増していくなと、ナマエは失笑してしまう。顔を上げようとすると、頭を押さえつけられる。その掌がぐりぐりと頭を動かしてくる。ナマエは不器用ながらに撫でられているのだと気づいて、尚更泣きそうになった。

「そんでも悩むなら、向こうでも役に立つ仕事探せば」
「…は」
「何年かかるか分かんねーけど、迎えに行けるだけの金貯まったら連れていくし」
「流川? 何言って」

言葉の意味を考えている間にも、流川の真ある言葉が頭を響かせる。

「来ねぇの?」
「っ……」

短い言葉に、頬に温い涙が伝った。

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